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涙が止まりませぬ。😭 umbrella大好き😌
2023年8月13日。埼玉・ベルーナドーム。
Mrs. GREEN APPLEとして初のドーム公演。
そして、結成10周年を祝う記念の夜が、静かに始まろうとしていた。
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楽屋の空気は、いつもより静かだった。
元貴は、ピックを握る指先に少し汗が滲んでいることに気づいた。
だけどそれは、緊張というより――祈りに近かった。
滉斗が声をかけてきた。
「お前、顔こわいぞ」
「うるさい。…お前こそ、いつもより目が優しい」
「……それ、お褒めの言葉でいい?」
元貴は、少しだけ口元を緩めた。
涼架は、ピアノの前で小さくうなずいた。
「“あの人”が、見てくれてたらいいなって…
…今日の、俺たちの音」
ステージに出る直前、
元貴はポケットから、古びたUSBを取り出した。
タケさんが生前、自分にくれたもの。
あの中には、まだ未完成だった頃の“umbrella”が詰まっている。
「あの時、これ渡してくれたでしょ。
“忘れないように”って言ったくせに、先にいなくなるなんてさ」
呟きながら、拳を握る。
「でも、忘れてないよ。
俺たちは、音で覚えてる。音で、生きてる」
USBを胸ポケットに戻して、深く息を吸い込んだ。
「行こう。“あの人”のために。」
満員の観客で埋め尽くされた客席。
色とりどりのライトが揺れ、鳴りやまぬ歓声が天井を震わせる。
その中心に、スポットライトを浴びた3人の影が立っていた。
大森元貴、
若井滉斗、
藤澤涼架。
それぞれが10年分の重みを背負いながら、でも確かに、あの頃よりも深くつながっていた。
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――そして、本編中盤。
一瞬、照明が落ち、ドームが静寂に包まれる。
観客たちが息を呑んだその瞬間、
ピアノのイントロが、そっと空気を震わせた。
「……っ!」
客席のあちこちで、小さな歓声とも嗚咽ともつかない声が漏れた。
まさかの選曲。
誰もが知る名曲なのに、一度もライブで演奏されたことのない――「umbrella」。
光のスポットが元貴を照らす。
彼は、静かにマイクを握った。
『不幸の雨が降り続き
傘も無い僕は 佇む毎日』
その声は、柔らかく、けれど芯のあるまなざしのようだった。
数年前のデモ音源と同じ旋律。
だけど、そこには年月が刻んだ音の深さがあった。
客席では、涙を流すファンが何人もいた。
顔を上げたまま、音に身をゆだねるように。
『君が笑えるならば側にいよう
僕が傘になる 音になって 会いに行くから』
――その瞬間だった。
ライティングの演出で、舞うように落ちる透明な光の粒。
それが本物の雨のように、彼らの上に、客席の上に、優しく降り注いでいた。
ふと、元貴が空を見上げた。
そして心の中で、誰かに話しかける。
(タケさん。
やっと、この曲を、ここで歌えました)
あの日、タケさんが最初に聴いてくれた音。
あの日、葬儀で流れた音。
そして今、ここに集まった何万人の人々の上に、静かに降る音。
音楽は、時を超えて、生き続けていた。
ラストの“lala…”のコーラスに入ると、涼ちゃんがゆっくりと目を閉じながら鍵盤を叩き、
滉斗がギターを抱えたまま、じっと音に身を任せていた。
まるで、3人がひとつの傘の下に集まり、
その傘で、目の前のすべての人をそっと包んでいるかのようだった。
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終演後、楽屋に戻った3人。
元貴は、ステージ袖でひとり、ペットボトルの水を握りしめていた。
手が、少しだけ震えていた。
「おつかれ、元貴」
滉斗が静かに声をかけてきた。
「歌ってくれて、ありがとうな。……俺、“umbrella”の生演奏、ずっと夢だったんだ」
「……こっちこそ」
ふっと笑って、元貴は言った。
「やっと……“傘”を、みんなの上に広げられた気がする」
その言葉に、涼ちゃんも微笑んだ。
元貴はふと、胸ポケットに触れた。
そこにあるUSBが、微かに温かい気がした。
「タケさん。
……やっと、届けられたよ」
彼の心の中で、微笑む声が聴こえた気がした。
『うん、聴いてたよ。』
そんなふうに。
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音は、傘になる。
そして、時に言葉よりも確かに、誰かの心を守ってくれる。
“umbrella”は、今日からまた、新しい誰かのための傘になる。
それは、音で紡ぐ祈りであり、愛だった。
END