翌朝。
莉月はまだ少し寝不足だった。昨日の衝撃が頭の奥に残っていて、夜中まで布団の中で何度も寝返りを打ったのだ。
――幼馴染の優希が女の子になってしまった。
目の前で泣きそうな顔をして「一緒に戻る方法を探してくれ」と訴えられた姿が焼き付いている。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴り、慌てて制服姿のまま出ると、そこに立っていたのは――
「……お、おはよう、莉月」
昨日とは違う。
長い髪をきちんと結び、体に合いそうなカーディガンを羽織った“女の子”。
だけど声も顔立ちも優希の面影をはっきり残している。
「ゆ、優希……じゃなくて、えっと」
「学校では“光希”って名乗ることにした。苗字は莉月と同じ“白川”。……いとこってことで」
そう言って俯く姿は、どう見ても内気な女子だった。
昨日の怒鳴り声やドタバタの優希が嘘のように小さな声で喋る。
「……わかった。じゃ、行くか」
「うん……」
二人で並んで歩き出す。
通学路の途中、すれ違う下級生がひそひそと「誰あれ、白川くんの隣……」と囁いているのが耳に入る。莉月は思わず咳払いして足を速めた。
教室の扉を開けると、いつもの騒がしい朝の空気が一瞬止まった。
そしてすぐ、ざわざわとした声が広がる。
「おーい莉月! 彼女連れてきたのか!?」
真っ先に声をあげたのは佐伯翔真だった。茶髪気味の髪をくしゃっとさせたムードメーカーで、いつも場を盛り上げる存在だ。
「ち、違う! 彼女じゃない!」
「えー、じゃあ誰だよ! めっちゃ可愛いじゃん!」
わぁっとクラスが沸き立ち、光希はびくっと肩をすくめた。
緊張で声も出せず、莉月の後ろに隠れるように立ってしまう。
すると女子の方から一歩前に出てきたのは、藤宮里奈。明るい笑顔で、場を和ませるように声をかけた。
「ちょっとみんな騒ぎすぎ。……大丈夫? 緊張してるでしょ」
里奈のやわらかな声に、光希はようやく小さくうなずいた。
「……ひ、光希です。白川光希……です。よ、よろしくお願いします……」
その声は震えていたけれど、十分に女の子らしく聞こえた。
男子たちは「おぉ〜……」と感嘆し、女子たちは「可愛い!」と声を上げた。
「ねぇ白川くん! いとこなの?」
「そ、そうだよ。いとこなんだ。しばらくうちに住むから、この学校に転校することになったんだ」
莉月が必死にフォローすると、クラスはさらに盛り上がる。
「いとこか〜! なんかお似合いだけどな!」
「やっぱ彼女っぽく見えるよなぁ」
翔真はニヤニヤ笑いながら肘で莉月をつつく。
莉月は「ちがう!」と声を荒げるが、光希は顔を真っ赤にして下を向いたまま動けなかった。
午前の授業はなんとか過ぎた。
休み時間や授業中も光希はおとなしくノートを取るばかりで、ほとんど喋らない。
そんな様子が逆に「おしとやかで可愛い」と評価されていく。
昼休み。
弁当を開こうとした瞬間、女子たちがわぁっと光希の机に集まった。
「光希ちゃんってどこから来たの?」
「趣味は? 好きな食べ物は?」
「髪サラサラだね〜!」
一斉に質問攻めにされ、光希は顔を真っ赤にして口ごもる。
そこへ里奈が間に入り、にこっと笑った。
「ちょっとちょっと、光希ちゃん困ってるでしょ。……ね、大丈夫?」
「う、うん……ありがとう、里奈さん」
小さな声でそう返す光希に、女子たちは「可愛い〜!」と盛り上がった。
その光景を教室の隅で見ていたのは、桐谷蒼だった。
腕を組み、じっと光希と莉月の様子を観察している。
「……白川の“いとこ”、ね」
小さく呟いた声は誰にも届かなかった。
放課後。
帰り道で、光希は深くため息をついた。
「……疲れた」
「だろうな。すごい勢いで質問攻めだったもんな」
莉月も苦笑する。
光希は鞄をぎゅっと抱きしめながら、うつむいた。
「みんな、優しくしてくれたけど……やっぱり、女の子扱いなんだな」
「そりゃまあ……見た目、完全にそうだからな」
言ってから、莉月はしまったと思った。
優希がどんな気持ちで一日を過ごしたのか、想像するだけで胸が痛くなる。
「……ごめん。辛いのに無理させた」
「ううん。仕方ないよ。学校行かないわけにはいかないし……」
光希はかすかに笑った。
その笑顔は、昨日までの“優希”とは違って儚くて、見ているだけで胸がざわついた。
「でも、やっぱり戻りたい。俺は……俺でいたいんだ」
「ああ、絶対戻れる方法を探そう。俺も手伝うから」
二人の影が並んで伸びていく。
心のどこかで、莉月は妙な感覚に囚われていた。
――隣にいるのは“幼馴染の優希”なのに、どうしようもなく“女の子の光希”として意識してしまう。
その葛藤を抱えたまま、二人の日常は動き始めていた。
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