暖かくて柔らかな日差しが差し込む寝室には特注の6人用布団が敷かれている。
しかし既に長布団はもぬけの殻だった。
…たった1箇所を除いて。
時刻は午前10時
昨夜から行儀良く身動き1つしなかった塊がもぞもぞと動き出し、ぴょこんとボサボサ頭を覗かせた。
「ん…ぅ…」
太陽が照らしているにも関わらずまだ少し肌寒いのか布団からはみ出された白く細い腕は粟立っている。
何度もパチパチと開閉される目は眠たげだがこれは通常運転だ。
布団から上半身を起こした男、一松は欠伸をしながら背中をポキポキと鳴らす。
寝汚い一松にとって周りに誰も居ないこの光景はいつも通りだ。
しかし一松の身体はいつも通りでは無かった。
「…けほ」
小さく喉が痙攣して吐き出された咳は誰にも拾われることなく空中へ消えた。
一松は全身を駆け巡る寒気や滝のように溢れ出した咳に顔を歪め、少し嗄れたハスキーボイスを吐き出した。
「風邪か…」
一松は隠し事をするのが得意だった。
勿論風邪や怪我を隠すのなんて日常茶飯事であり、大事な友達の猫が亡くなって悲しみに暮れてもそれを周りに悟らせる事は決して無かった。
のそりと立ち上がってクラクラする頭を無理やり働かせて布団を丸めて押し入れへ押し込む。
服をいつも通りに着替え、パジャマを畳む。
思いの外音が大きかったのか階下から1つ上の兄の声が響く。
いつも通りの小言が耳に入ったが一松は返事をせずにポリポリと頭を掻きながら階段を1段ずつ降りていった。
音を立てずに開かれた襖に気付いたのはやはり1つ上の兄、チョロ松。
「おはよ、一松。ご飯温めようか?」
チョロ松の気遣いに申し訳と思いながらもふるふると首を左右に振る。
普段から食事を良く抜く一松に何の疑問も持たなかったのか頷いて一松用の食事を冷蔵庫へ入れた。
その間にも小さく小言を言うチョロ松の声は一松の耳には入らない。
ガンガンと痛む頭に眉を顰めて猫に会いにいく為に猫缶を手に取ってマスクを着用する。
すると先程から真面目な顔で長男と野球盤をしていた一つ下の弟、十四松がいきなり飛び上がって一松に抱き着いた。
「一松にーさん、体調悪いなら無理しないで!猫ちゃんには僕が猫缶あげマッスル!」
一松は眠たげな目を開いてにこにこと可愛らしく笑う十四松を見つめた。
居間の視線が全て一松へ集まる。
「…え。一松体調悪いの?」
チョロ松が驚いたように一松を見つめる。
カラ松は手鏡を無音で卓袱台へ置いて無言で立ち上がって台所へ消えていった。
何故バレた。と言わんばかりに見開かれた一松の目は泳ぎに泳いだ。
「…別に。いつも通り。」
面倒は嫌だと急いで玄関へ向かおうと身体を翻した途端、両肩に手が置かれた。
「一松。」
「一松にいさぁん?」
嗚呼、左右に筋肉。
前回体調が悪い事を秘密にしていたらこの2人に茹で蛸になるまで甘やかされて看病された記憶が昨日のように脳裏に蘇る。
ひく、と痙攣する口角はマスクで隠されたが、喉も2人の威圧感に気圧されて声が裏返る。
「…は、い」
表から見れば満面の笑みと優しい微笑み。
その裏には体調が悪いにも関わらず隠して路地裏へ向かおうとしていた事に対しての怒りがふつふつと存在を主張していた。
おそ松はやれやれと肩を竦め、よっこらしょ、と立ち上がった。
「んなら十四松とカラ松、一松の看病頼むぞー。一松、優しい兄ちゃんが猫に猫缶を上げといてやろう。」
いつもと何一つ変わらないにやにや顔に咥内で舌打ちをして諦めたように項垂れた。
「はぁ…」
十四松はあっという間に一松を抱き上げて階段を上る。
カラ松は台所へ行った時に色々な物を持って来ていた。
一松はカラ松に申し訳なくてカラ松を見ることが出来なかった。
バレたと同時に隠していた症状が音を立てて一松を襲った。
今や一松の口からは掠れた咳が継続的に吐き出され、身体は火照り額にはほんのり汗をかいていた。
一松はうわ言のように「ごめん」と呟いていた。
目には薄く涙の膜が張られていて纏う雰囲気は憂いを帯びていた。
一松の事を性的に好きな2人は顔を赤くしながらも必死に一松を看病した。
汗ばみ、赤く火照った薄い身体をタオルで拭き、先程まで身を包んでいたパジャマを着せて氷嚢を頭に乗せる。
普段から行動を共にすることも頻繁にある2人の連携は凄く、あっという間に一松は意識を沈めてしまった。
すぅすぅと寝息を立てる一松の隣で十四松とカラ松は優しい顔で無造作でふわふわな猫っ毛を撫でていた。
体温が基本高い2人の手が冷たく思える程一松の頬は熱く、2人は眉を下げた。
「一松にいさん、大丈夫かなぁ」
悲しそうに笑っている十四松の顔を見て動きを止めたカラ松は、すぐに十四松の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でた。
「ただの風邪だろう。きっと大丈夫さ!なんたって俺達が着いているからな!」
いつも通りのよく通る声で十四松を自信付けたが、一松の身動ぐ姿を見て声を潜めた。
「さぁ、十四松。一松の為に梨を剥いてくるから一松の傍に居てやってくれ。」
今度は優しく壊れ物を扱うかの様にサラサラと撫でられ、十四松は嬉しそうに目を細めながら頷いた。
しかし、玄関から鳴り響く黒電話に出た十四松はデカパンに呼び出されてしまったと申し訳なさそうに、心配そうに家を出て行った。
カラ松は普段体格のこともあり、乱暴だと思われがちだが、案外丁寧に梨を剥いて切り分けて皿に乗せている。
(一松が謝る事なんてないのに…寧ろ体調が悪い事に気付けなかったのが悔しいな。)
カラ松は考え事をしていて背後から忍び寄る影に気付かなかった。
「カラ松?」
「カラ松兄さん?」
その声は一つ下の弟、チョロ松と
末弟、トド松だった。
2人は怪訝そうな顔でカラ松を覗き込んでいた。
「あ、あぁどうした?」
意識を飛ばしていたカラ松に頬を膨らましたトド松が言い寄る。
「どうしたって…もー!何回も呼んだんだから!」
あざとく腰に手を当ててカラ松を覗き込む。
「す、すまない。それで、どうしたんだ?」
そんなにボーッとしていたのかと少し反省する。
すると先程までは全て演技だったようで心配そうな顔で呟いた。
「なんかボーッとしてたみたいだし…疲れてたのかなーって」
カラ松はにっこり笑った。
「あぁ、考え事をしていたんだ。センキュー!」
チョロ松は一連の流れを無視してホットミルクに神経を集中させていた。
トド松は咋に安心したように台所を出ていった。
それを追いかける形でチョロ松もホットミルク片手に居間へ向かった。
カラ松は再び梨を皿に乗せ始めた。
すると閉じられた襖の向こう側から階段から
“何か”が落ちた音が響いた。
そう、例えるなら…人。
カラ松とチョロ松は顔を見合せた後、血相を変えて居間を飛び出した。
「「一松か?!」」
そこに横たわっていたのは酷く呼吸を荒くした一松。
びっしょりと汗をかいて薄く開かれた目は焦点があっておらず、涙の膜が薄く張られている。
カラ松が慌てて駆け寄り、チョロ松はタオルや氷嚢を取りにカラ松と同様慌てて台所へと引っ込んだ。
カラ松が顔を青くして必死に一松の名前を呼ぶ。
意識が混濁しているのかカラ松の呼び掛けには応えず、掠れた嗚咽を漏らしている。
「どうした?!一松!吐きそうなのか?!起き上がれるか?!」
昔どこかで倒れた人を揺すってはいけないと言われた事がある。
カラ松はまずうつ伏せだった体制を返して仰向きにした。
「チョロ松!呼吸が段々浅くなっている!」
口元に耳を当てていたカラ松が慌ててチョロ松に叫ぶ。
チョロ松は更に顔を青くして携帯電話片手に一松の元へ走ってきた。
「あ、救急です!赤塚区××××-××-××です。はい、弟が倒れてて、はい。朝から熱が…はい、呼吸が浅いです。お願いします!」
チョロ松はそのまま兄弟へ電話を掛けた。
「おそ松兄さん!一松が倒れて今救急車が…。うん、十四松とトド松も拾って来て!もうすぐ救急車着くと思う!」
チョロ松が電話を切って数分後、けたたましい音と共に救急隊員が入ってきた。
青白くなった弟の顔を血相を変えて見つめるカラ松とチョロ松も同乗することになった。
車内で響く隊員の声と無機質な機械音。
カラ松とチョロ松はただ祈りながら一松の名前を呼び続けた。
そこからの記憶は朧気であり、水彩のようにぼやけている。
おそ松が言うには命に別状は無く、点滴を打っただけらしい。
あれから全員がハラハラしながら数時間が経過した。
現在午後3時
固く閉ざされた瞳が微かに震え、薄く開いて淡いアメジストが光に反射して輝く。
ゆっくり上体を起こして辺りを伺う。
一松に気付き、目尻に涙の後を付けた十四松が一松に思い切り飛び付いた。
ふぐっ、と突然の圧迫に一松の口から嗚咽が漏れる。
焦った様子で十四松を引き剥がしたチョロ松も咋にホッとした様子だった。
引き剥がされた十四松はトド松と共に俯いてプルプルと震えている。
「えっと…」
一松は自分の状態が理解出来ず、困惑しながら兄弟の顔をチラチラ伺っている。
「お前、階段から落ちたんだよ。ホントびっくりしたんだからさぁ…」
優しい微笑みを浮かべながらも眉を吊り上げて腰に手を当てて怒るチョロ松。
一松は驚き、小さく謝罪をした。
「呼吸も浅くてとても焦ったぞ。命に別状は無いが3日間だけ検査入院だ。」
眉を少し下げて説明するカラ松に何時ものイタさは無く、一松は少しむず痒くなった。
カラ松から視線を逸らせば後ろでうずうずしている弟達と目が合い、両手を開く。
目を細めて微笑めば2人とも目に涙を浮かべて一松の腕に飛び込んだ。
「「一松に”ーさ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”!し”ん”し”ゃう”と”お”も”った”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”!!!」」
タカが外れたように大声で泣き喚く2人の頭を優しく撫でて「ごめん」と謝る一松の顔はとても嬉しそうだった、と3人は語る。
10分程号泣し、一松の服を涙やら鼻水やら涎やらでぐちゃぐちゃにした2人は顔を赤くした。
「っとにかく!なんで兄さん達を頼らないのさ!次こうやって1人で動こうとしたら怒るから!」
「えぇ…ご、ごめん」
「そーだよ!一松にーさんに呼ばれたらすぐに行くのに!そんなに僕達頼りない?」
ぷりぷりと怒るトド松と捨てられた仔犬のような顔で一松を見上げる十四松に一松の心は締め付けられた。
「ご、ごめん…頼りなくないよ。もっと兄さん達を頼るようにするから。」
この回答は正解だったようで、ふんすと鼻を鳴らしたトド松が一松の薄い腹にグリグリと頭を押し付けた。
眉を下げてトド松の頭を撫でていた一松だったが、ふと視線を感じて顔を上げた。
するとそこには能面のような笑顔を浮かべたおそ松がいた。
一松の肩が跳ね、口許が引き攣る、
「いーちまっちゃ〜ん?」
語尾にハートが付きそうなほど愉しげに己の名前を呼ぶおそ松はまるで悪魔のようで。
喉がひくつき、声にならない声が漏れる。
「こっからはお兄ちゃんからのかるーい説教。一松さぁ?こうやって周りに頼れないで倒れたり意識不明になったりしたの何回目だっけぇ?」
ゆっくり、それでいて確実に近付くおそ松から逃れようと両手をベッドへ着く。
しかしその両手はトド松と十四松に掴まれ、固定される。
「おま、トド松っ十四松っ!!は、はなせ!」
顔面蒼白で2人を視れば2人とも妙に怖い笑みを浮かべていた。
冷や汗をだらだらと流しながらチョロ松とカラ松を見遣ればチョロ松は目を閉じて首を左右に振っていてカラ松はあわあわと両手を動かしている。
「か、カラ松お兄ちゃん助けてっ!」
普段は兄さん呼びすら、名前も呼ばない。
それでも目の前の脅威から逃れたくて必死に名前を呼んだ。
途端カラ松の顔付きが変わり、へにゃりと破顔させた後使命感を働かせて一松を抱き上げて病室から飛び出した。
絵の具を塗ったように景色が素早く過ぎていく。
後方からは兄弟の不満を漏らす声が飛び交う。
一松は横抱きされていると理解し、顔を赤くしてカラ松を見上げた。
「か、からまちゅ…」
顔を赤くして羞恥から来る涙を目尻に溜めて舌足らずにカラ松の名前を呼ぶ一松をちらりと見て、カラ松はとても幸せそうに笑った。
「この俺がどんな時でも助けるからな!」
未だスピードを落とさずに走るカラ松は息一つ荒げず、一松の額にキスを落とした。
一松の脳内は情報過多で働かなくなり、一松はトマトのように赤くなって意識を飛ばした。
看護師達は走り去るカラ松のスピードが早すぎて注意できなかったが、とても幸せそうだった、と後に語る。
「「「「待てごらぁぁぁぁ!!!」」」」
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すごく好きな、カラ一だった 最高すぎる!!そして、全話見ました👀