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1人の男がいた。男はただ1人、寝転がりながら宙を仰ぎ、考えていた。生まれた意味、生きる意味、死ぬ意味。どこまで問おうと、世界はその答えを持ち合わせていないと知りながら。それでもいつかを夢見て、宙に風に大地に、自分の内胸に聴き続けた。
それはいつ頃の話だろうか。心拍は鳴り損ねることが増え、4982個目の分岐を考え終えた男は、尚も納得はしがたくて、4983回目の無謀な旅に出た。道程などはその場しのぎで、思いつきをいくつも並べた。思考が散らばる狭い部屋は、男にとってのアトリエで、研究室で、遊園地だった。食事も睡眠も性交も要らないと自ら切り捨てたのは、ちょうど百年前だったか。山紫水明と共に在る男に、一人の旅人が話しかけた。
「あなたはここで何をしているのですか。」
「考えている。」
「一体何を。」
「生命について、この世界に問う。」
「例えばどんな。」
物分りの悪い奴だ、と久方ぶりに男は考えるのを止めた。「生命は何故生まれ、何故生きて、何故死ぬのか。」
「答えは出たのですか。」
「お前は世界で1番高い山を聞かれたらどう答える。」
「エベレスト。」
「じゃあ、世界で2番目に高い山は。」
「K2ですか。」
「そう、全てにおいて答えは決まっている。それを探して見つけるために考えるのだ。」
得意気にそう言うと、旅人はどこか不満気な表情で、近くに腰掛けた。
「……何をしている。」
「あなたの行先を見つめていたくなったので。」
「好きにしろ。」
男はまた以前と同じように考え始めた。以前と違うのは、隣に座る旅人が1人と、身体に根を張る花だけだ。それ以外はなんの変化もなく、悠久を隅から隅までじっくりと味わうことにした。
ある時、旅人がこう言った。
「どうして考え始めたのです。」
「内なる小学三年生が騒ぐのだ。未だ知らぬ真実を知りたいと。」
「大変活発なお子様で。」
「そう言うな。乱れる。」
それからしばらく、静寂が2人を覆う。両者の感情を隠すように。
「どうして旅を始めた。」
今度は男が、旅人に尋ねた。
「私の中に白紙の地図があるのです。」
「図法は。」
「メルカトルです。」
「どこが中心だ。」
「私です。」
「岩屋に閉じ込められるつもりは無いらしいな。」
「そうしてる間にも大海は美しいのですよ。」
男にとっては、否、旅人にとっても、こうした時間は心地良かった。デッドストックの言葉で、心ゆくまで対話する。それだけのことがそれだけではなかった。
ある時は喧嘩もした。
「―何故そうもひねくれているのです。」
「直線は人工的だ。」
「自然は星も光も公平です。」
「或いはその涙もか。」
「またあなたは論点をずらす。」
「地震かと思えば、お前の震えか。何故泣く。」
「無二の隣人が過ちを犯すのです。」
「至上の快感なのだろうなそれは。」
その言い合いはどこまでも続き、スパリと切れる。日々は無常に揺らぎ、特に形を取らず進む。
ある時、旅人はこう言った。
「答えは見つかりましたか。」
いつもとは違う雰囲気に、男はどうとも言い表せないものを抱いた。
「どうした。いつになく性急だな。」
「時間があまり無いようですので。」
その言葉で、男は悟った。
「ああ、そのようだ。答えは見つかったよ。簡単なことだったな。随分と遠回りをしてしまったが。」
「聞かせてください。ぜひ。」
「結論を急ぐのはお前の悪い癖だ。その愚かさも今となっては…な。」
「明言を避けるのはあなたの悪い癖ですね。」
「それが答えだよ。」
男は不敵に笑う。その表情に旅人は驚き、答えに困惑しつつも分かったつもりになって頷いた。どちらにせよ今から死ぬのだから、もはや答えなんて無くても良いのだ。なんでも良いのだ。結局は。
蝋燭が親子を照らしている。。
「……と、これでお話はおしまいだよ。坊や。」
父親のお伽噺は息子にいくつかの疑問を残した。
「男はどうなったの?旅人は?答えって何さ。」
「男は…どうなったんだろうな。死んだのか、生まれたのか。誰にも分かりはしないさ。」
息子は父親そっくりの顔で、無言で問いの答えを求める。それに微笑みで応じながら、父親は笑って言う。
「旅人はそれからも旅を続けて、今は家族と幸せに暮らしているよ。」
「パパは旅人を知ってるの?」
「君も知っているさ。」
不思議を押し殺して、息子は父親に最後の答えを求めた。
「そうだな。男の見つけた答えは、これから君が生きたら、或いは分かることもあるかもしれない。」
「なんかパパ、男みたい。はっきり言ってよ。」
「それを言ったら君はその答えに縛られるだろう。面白くもない。自分で探すのが面白いんだよ。もう寝なさい。」
不満気な顔に愛おしさを感じながら、地図に余白を失った旅人は蝋燭を吹き消す。その日に幕を下ろすように。
かつて、1人の男がいた。男は考えに考え、生きる意味を発見した。その答えはついぞ誰にも知られることはなかったが、ある1人の旅人が断片を目撃していた。旅人は息子に断片を語って聞かせ、息子はそれを胸に刻み生きていく。生命は、紡がれていく。どこまでも。