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詩音を見送ったあと、新藤さんに完成した自宅まで送ってもらった。何度も頭を下げてお礼の言葉を伝えた。
新藤さんには本当にお世話になったので、落ち着いてからまた改めてお返しをしたいという意向を伝えた。
お返しは不要なので、私の生存確認を毎日新藤さんに連絡するよう約束させられた。
彼と別れたあと、玄関に足を踏み入れた。
誰もいない静まり返った家。あれだけ完成が楽しみだったマイホームが、色褪せて見える。
二階に上がり、数少ない荷物をリビングソファーに乱雑に置いた。スマートフォンと詩音の骨が入った骨壺を持って、三階の寝室へ向かった。
階段を上っている途中で、ダークブラウンの手すりの隙間から子供部屋が見えた。扉が開いているので中まで見える。
きちんと閉めていたのにどうしてだろう――子供部屋を覗いてみると、私の母親が送ってくれた詩音のベビーベッドがすでに完成して組みあがっていた。
「ど、うして……」
ベッドの傍には空になった段ボールが散乱していた。
これ、絶対、光貴だ。
退院後に驚かせようと思ったのだと思う。なにも知らないのだから罪はないけれど……言いようのない怒りが沸いた。
組み立てずにそのままの状態だったら、返品することもできたのに。もう無理だ。
それに、完成したベビーベッドを見てしまったら、余計に辛くなる!!
もう。ベッドの主はいないのに。この小さな骨壺にすべてが収まってしまったのだ。
これ以上ベッドを見るのが辛くなって、勢いよく子供部屋を閉めた。
急いで寝室に駆け込み、布団を頭から被って大泣きした。
光貴はいつも、いつも、肝心な所で外してしまう。
私が欲しい言葉もかけてくれないし、私が傍にいて欲しい時も、この手を取って欲しい時も、全部空回りしてしまう。
どうしてこんなにすれ違うの。
もう、全てが嫌になった。
私は泣いた。誰もいない新築の家で一人、声を上げて泣き続けた。
どのくらい時間が経ったのかはわからないけれど、枕元で鳴り続けるスマホの振動音で目が覚めた。斎場で光貴との電話のあとに着信音を切ってバイブにしたままだった。
すでに日は暮れたようで辺りは暗く、夜が訪れていた。遮光ブラインドで外の様子はわからなかったけれど、暗くなっていることはわかった。私は骨壺を抱いたまま、泣きつかれていつの間にか眠ってしまっていたようだ。
着信は私の家族、光貴のご両親、新藤さんのループで定期的に着信が入っていた。
さっきの着信は新藤さんだった。何度も着信を残してくれたということは、心配して連絡してくれたのだろう。そのまま折り返し新藤さんに電話をかけた。
ワンコールもしないうちに彼が電話に出た。『はい、新藤です』
心なしか声に安堵の色が伺えた。相当心配してくれていたのだろう。気が付かずに申し訳なかった。
『すみません、しつこくお電話をしてしまって。お休みかと思ったのですが、どうしても心配でしたので』
『いいえ、とんでもありません。あれから知らないうちに眠ってしまい、つい今しがた目覚めたのです。ご心配をおかけして申しわけありません』
『そうでしたか。お疲れの所と承知しておりましたが、律さんが心配でしたから、諸々手につかなくて。声を聞くことができたので安心致しました』
「……本当にお世話になりました」
『お元気になられたら……約束、いつか叶えて頂けないでしょうか。楽しみにしておりますので、宜しくお願いします』
「約束……?」
急に言われたので、何のことかわからなくて戸惑った。
『お忘れでしたら結構です。ゆっくりお休みください。それでは失礼致します』
通話が途切れた。
約束ってなんだろう。いつ新藤さんと約束をしたかな――……
「あっ」
思い出した。
そうだ。ライブハウスに一緒に行こうという約束だ。ずいぶん前の約束なのに、ちゃんと覚えていてくれたんだ。
あの時、新藤さんとはふたつ約束をした。
ひとつはインディーズのRBの音源をもらうこと、もうひとつはライブハウスへ一緒に行って、飲みに行こうという約束だ。
音源をもらう約束は叶えてくれた。退院の荷物の中に白い華のCDと共に大事に持ち帰った。
ふたつ目の約束――単なる社交辞令だと思っていたけれど、新藤さんはちゃんと覚えていてくれて、実施してくれるつもりでいたんだ。
彼に会う口実ができたと思うと嬉しくなった。
痛みを共有できる人に会えるのは、今の私にはとても支えになる。
小さな約束があることで、ほんの少し生きる希望みたいなものが湧わいた。
忘れないうちに急いでメッセージをしておいた。
約束は覚えています、いつかまたどこかのライブハウスへ一緒に行きましょうね、と。