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「⋯⋯もう⋯⋯やめ⋯て⋯⋯」
不意に、部屋に響いたのは
かすれた弱々しい声だった。
それは
先程まで笑い声を上げていたアライン──
いや、その姿のまま
口元に張りついていた歪な笑みを保ったまま
ぽろ、ぽろと、涙を零し始めた。
その様はあまりにも異様で
時也もソーレンも、言葉を失った。
「この能力で⋯⋯酷いことを⋯⋯
しないでください⋯⋯」
唇から紡がれたその声は
まるで壊れた人形のように頼りなく
哀しげで。
やがて
こわばった口元の笑みがゆっくりと解け
その瞳には、怯えと悲しみが浮かんでいた。
目の前にいるのは──ライエルだ。
彼は
まるで自分の存在を
押し留めようとするかのように
震える両手で肩を抱きしめ
自分の身体を小さく丸める。
そして──
顔を伏せ、肩を震わせながら
嗚咽を漏らし始めた。
「⋯⋯あ?なんだ⋯⋯コイツ、急に」
ソーレンの訝しむ声が、室内に響く。
彼の眉は寄り
目の奥にわずかな戸惑いが滲んでいた。
それに応えるように
時也は静かに口を開いた。
「⋯⋯ソーレンさん。もう大丈夫です。
重力を解いてください」
穏やかな
けれどどこか疲れを滲ませた声音だった。
その言葉にソーレンは一瞬迷うが
やがて渋々と手を下ろす。
異能の解除と同時に
見えない力で押さえつけられていた
時也の身体が、ふっと緩む。
その瞬間、青龍が駆け寄り
すぐさま彼の体を支えた。
「大丈夫ですか?時也様」
「⋯⋯すみません、青龍。もう大丈夫です」
そう答えた時也の視線は
嗚咽するライエルの方へと戻されていた。
その表情に、もはや怒気はなかった。
ただ
深く沈んだ理解と、静かな哀しみがあった。
「彼の方は⋯⋯味方です」
時也はそう告げると
ベッドの脇にある椅子に腰を下ろし
背を丸めて泣くライエルの背に
そっと手を伸ばし──
震える肩を、優しく摩った。
その仕草は、まるで子を慰める父のように
柔らかく、慎重で──
決して否定することのない温もりが
そこにはあった。
「⋯⋯彼の方って⋯⋯どういう事だよ?」
先ほどまで血の気を滾らせていた男が
まるで別人のように
優しくなっているその光景に
ソーレンは絶句し
絞り出すように言葉を漏らした。
「⋯⋯彼は、思わぬ事情で
二重人格のような事に
なってしまっているのです」
時也の言葉に
ソーレンと青龍が同時に、視線を交わす。
どちらも
言葉に出来ない困惑が顔に浮かんでいた。
「は?二重人格⋯⋯?」
まるで信じがたいというように
ソーレンが眉を顰める。
だが──
青龍は、時也の顔をじっと見つめた。
そして、静かに問いかける。
「時也様が味方と仰られるならば
今のこの方は⋯⋯
無害と捉えて良いのですね?」
その声音には、まだ完全な納得はなく
しかし
主の言葉を受け止めようとする意思が
込められていた。
それが、青龍という存在の
忠義であり、理性だった。
「⋯⋯ごめんなさい⋯ごめんなさい⋯⋯」
嗚咽混じりの謝罪が
途切れ途切れにベッドの上に響いた。
その声は、もはや先程までの
アラインのものではなかった。
少年のように震え、怯え
壊れかけた硝子細工のように、儚く脆い。
「彼の記憶を見て⋯⋯あなた方に⋯⋯
アリア様に⋯⋯なんて酷い事を⋯⋯っ」
前世の記憶の魔女──ライエル。
記憶を繋ぐ者としての誇りを持ち
役目に命を懸けていた男は
その誇りを砕くような
過去の記録に触れてしまった。
彼は両手でベッドのシーツを握り締めると
それを顔に押し当てた。
声を殺し、布に沈めながら、静かに泣いた。
その背が細かく震えるたび
切なさと罪悪感が空間を覆っていく。
「私が⋯⋯不死鳥に殺されなければ⋯⋯
こんな事には──⋯っ」
声がひび割れ、息が詰まる。
ライエルの言葉は
悔恨の底から絞り出されていた。
その言葉に、時也は一度だけ目を伏せ
震える彼の背に、もう一度
そっと手を添えた。
そして──
優しく、穏やかに
まるで宥めるように語りかける。
「貴方のせいではありません⋯⋯
全ての元凶は、不死鳥にあります」
その声は、嘆きに寄り添いながらも
真実を確かに言い当てる響きだった。
怒りではなく、慰めでもなく──
ただ、認めてくれる声。
ライエルの嗚咽が、一層深くなる。
「私は⋯⋯
記憶を繋ぐ者として⋯⋯失格ですね。
アリア様にも⋯⋯顔向けができません⋯⋯」
その言葉は
自分自身を断罪する刃のように震えていた。
魔女たちの再生を導く者が
最も望まなかった
〝記憶の暴走〟を招いてしまった。
その責任は
誰よりも彼自身が痛感していた。
「それは⋯⋯僕も同じです」
時也の手が背から離れることはなかった。
「彼女を護ると言っておいて
このざまなのですから⋯⋯」
声は静かに、しかしどこか深く沈んでいた。
自責の念を噛み締めながら
それでもライエルの心を追い詰めないように
自分自身の失態も等しく差し出していた。
その時だった。
「⋯⋯⋯⋯」
言葉はなかった。
ただ、すっと──
隣に腰を下ろした気配があった。
ソーレンだった。
不器用なその男は
何も言葉を持たなかった。
だが、彼なりのやり方で
そっと着物に包まれた背中に手を添えた。
ごつごつとした掌。
温かさはあるのに、不器用で
でも確かな力を宿した手だった。
その背に伝わる温もりが
どれほどの救いだったか──
時也の口元は僅かに緩み
ライエルの嗚咽が、少しだけ弱くなった。