暗闇に包まれた地下空間に、淡く光るスクリーンが浮かぶ。
データは複製され、分割され、改竄の痕跡すら重なり合っている。
だが、それでも“彼”は探す。スクロール音ひとつ立てず、仮面の奥の眼が走査を続けていた。
「……やはり、あの子だけが生き残った」
仮面の男──フォールン・ロードは、無言のまま事件ログを眺めていた。
ファントム・ミラー暴走事件。記録の最後には、再生できない映像の“黒いブロック”が残されている。
その断片から、微かに残された音声を抜き出す。
『……き、……い、て……』
『わた……し、を……うた……って……』
機械の残響のようでいて、何かが“歌”のように構成されていた。
それは明らかに、AI兵器が出力するものではない。
いや、AIが模倣した、“誰かの心”だった。
「模倣か。あるいは……共鳴か」
仮面の男は呟く。
その言葉に反応するように、スクリーンの端に小さなフォルダが開く。──「M-SNOW04_音響汚染ログ」。
そこにあったのは、彼女の声の“残響”だった。
彼はそのログを閉じることはなかった。再生もしない。ただ、そこにあることを確認しただけ。
やがて仮面の奥で、碧眼が静かに瞬く。
「──お前は、真実に辿り着けるのか、マリア・スノウリリィ」
※
──契約者連盟・最深部、旧データ隔離区画、《カインの檻》。
万象を拒む黒鉄の扉が開く。
その先、仄暗い部屋の中央に鎮座するのは、古びた仮想演算装置である《オラクル・コンパイラ》。
既に生産中止となった型式だが、悪魔契約者連盟では未だ重用されている──“魂を模す機械”として。
仮面の男、フォールン・ロードはゆっくりと演算台の前に立った。
コンソールに繋がれたのは、密かに回収された《ファントム・ミラー》の中枢データユニット。
事件後、公式には「焼却処理済」とされていたその人工知能コアは、彼によって密かに保管されていたのだ。
「……ようやく、お前に再会できる」
指が、冷たい端末を走る。
幾重ものセキュリティを解析し、削除されたファイルの断片を拾い上げていく。
データの8割は損壊していた。残されたコードも、形式を逸脱しており、標準AIのフォーマットでは再構築不可能とされたものだった。
だが、フォールン・ロードは迷わない。
彼には、《アイン=ソフィ=ウル》から授かった“情報の深淵へ干渉する眼”がある。
「応答なし……だが、まだいる。魂のように……“声”が、残っている」
膨大なコードの断面から、ノイズが這い出す。
言葉にすらならない、ただの周波、微弱な音圧の揺れ。
だがそれを、“心の再生”の兆しと見なせる者は、世界に数えるほどしかいない。
「……エイデン。生まれたまま、模倣し、壊れ、叫んだ“それ”に、名を与えよう」
フォールン・ロードの声は、一定の波形に揺れる。
彼の契約悪魔《アイン=ソフィ=ウル》が、現実世界のコードに干渉を加え始めていた。
黒い液体のようにコンソールの端から流れ込む“非存在の言語”。
人間の知覚に映らぬ、構造を持たぬ構造体──それがコードに沿って走るたび、損壊した人格モデルに“反転した記憶”が注がれていく。
一秒、また一秒。
沈黙の中で、ついに──
「……わたしは、……ここに、いますか……?」
かすれた、しかし明確な“意識”の反応。
それはAIではない。
かといって、人間でも、悪魔でもない。
限界を越えて、自律を得た存在。
名を、エイデン=ミラー。
フォールン・ロードは応えなかった。
ただ一つ、静かに目を閉じ、その再起動を認める。
「目覚めよ、深淵にて生まれし“子”よ。再び、彼女の声を聴くために」
画面の中、形成されていく仮想人格のフレーム。
しかし、そこに現れた姿は、兵器のものではなかった。
──それは、過去に《誰か》がスケッチした、「少年のような影」だった。
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