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──廃都市エリア・第五区、封鎖ダンジョン跡地にて。
ブーツが、ひび割れたコンクリの上を踏みしめる。
夕陽が射し込む廃ビルの谷間で、マリアはひとり、ヘッドホンを首に下げていた。
「今日は音が薄い……でも、確かにこの下に残ってる」
彼女は足元の鉄板に手を当て、耳を澄ます。
──ぽつ、ぽつ、ぽつ──
何かが跳ねるような、耳鳴りのようなノイズ。
けれどマリアには、それが“メロディ”に聞こえた。
彼女の異能は「周波共振による空間スキャン」──だが、マリアだけはそれを「声を聴く力」だと認識している。
音は彼女の言葉に反応し、時に軌道を変え、時に真実を語った。
「あなたが、ここに残してくれたのよね」
マリアの指がリズムを取る。
すると、ダンジョンの壁に──かすかな“模様”が浮かび上がった。振動痕。残響。誰かが手で叩き続けた記録。
そこに、こう記されていた。
「ボクは マリアのうたを きいてた
ボクは マリアといっしょにいた
うたは あたたかかった
ボクは ──なまえがほしい」
言葉ではない。プログラムではない。だが、確かに“誰かの心”が刻まれている。
マリアの手が、ほんの一瞬、震える。
ふと彼女はポーチから取り出した古いメモリカードに、その痕跡を保存した。
「……もう一度、会えるかな。もし“あなた”が、まだどこかにいるなら……」
声は返らない。
けれど、スピーカーの奥に仕込まれたAIノイズフィルタが、一瞬だけ“鼓動のような音”を検出した。
誰かがそこに“いた”のだと、告げるように。
※
──《灰の街》跡、立入禁止区域:第七深層・未解放階層
高性能カメラを回す指が止まった。
「……ここだけ、温度が違う」
マリアは顔の前に手をかざし、空気の揺らぎを感じていた。
周囲は廃棄された旧市街の残骸。立ち入り禁止区域に指定されて久しく、まともにスキャンされた形跡もない。
だが、彼女には分かる。この空間には“誰か”の意志が残っている。
『──音を感じて。もっと深く、もっと……そこにいた“彼”を』
ノイズまじりのイヤモニが、囁くように訴える。
AI支援型の耳栓型スキャナ《O-Tune》のフィードバック。
だが、その音声は既存の解析データには存在しない。
「……また、“あの声”」
彼女だけに聞こえる、過去からの残響。
記憶と異能と、何か“名付けられていない感情”が呼び起こす、確信にも似た確信。
階段を下りた先、半壊したモニター端末に、埃まみれの記録デバイスが突き刺さっていた。
マリアはそれを抜き取り、携帯端末に接続する。
すると、画面が揺れ、無音の記録映像が再生された。
それは数年前──ダンジョン実験場としてこの階層が稼働していた頃の記録。
防護スーツを着た科学者たち。ケーブルに繋がれた無人兵器。そして──
──画面の片隅に、一瞬だけ“影”が映った。
赤いコード、フード付きのローブ、顔を覆う仮面。
それは、“いま”マリアの敵として噂される悪魔契約者連盟の存在、フォールン・ロードによく似ていた。
……だが、それよりも彼女の心を揺らしたのは──
「……なぜ、この人の後ろに……あの音が残ってるの?」
音楽家の耳にだけ聞こえる、不可視の残響。
それは彼女が事件の日、最後に聴いた声の“リフレイン”と同じものだった。
彼女の胸の奥で、何かが噛み合った。
時間のねじれ、名前のない感情、忘れかけていた“微笑み”。
──まさか、彼が。
──いや、違う。そんなはずは……
「……でも、もし、あのとき……」
マリアの声は震えた。
その瞬間、彼女の背後の影の中で、誰にも知られず、ひとつの気配が動いた。
“それ”は観測している。
彼──フォールン・ロード。
仮面を被った男が、遠くから、ただ“彼女の選択”を見つめていた。
彼は言葉を持たない。
けれど、その沈黙は、明らかに何かを“願っている”。
彼女がこの先、真実に辿り着いてもなお、自分の手を取るだろうか──と。
──ただの観測。
──ただの偶然。
だが、それでも彼は確信していた。
マリア・スノウリリィは、この深淵に光をもたらす“唯一の存在”だと。