月曜日。別のクラスの男子生徒と出かけていた件でひかりと取り巻きにイジられるのではないかとゆずはは内心憂鬱だったが、意外にもひかりは何も言ってこなかった。藤村とも図書委員の仕事終わりに一緒に下校する機会が増え、ゆずははほんの少し色づいた学校生活を送れるようになっていた。
しかしある日のこと。六限の授業が終わり、委員会の仕事もないので早く帰ろうとゆずはが廊下を歩いていた時だ。図書準備室の前を通りかかろうとしたところで、中から話し声が聞こえた。
「……やだ、やめて……」
「本気なんだよ……」
「でも……」
どうやら男女が二人で中にいるようだ。聞き覚えのある声に、思わずゆずはの足が止まる。男の方は藤村で、女の方はおそらく、ひかりだ。
「俺のこと嫌い?」
「そういうわけじゃない、けど……」
「けど、何」
「吉崎さんに悪いから……」
不意に聞こえてきた自分の名前に、ゆずはは思わずどきりとする。
「ああ、アイツか」
藤村の声は急に低くなり、それがゆずはの背筋をぞくりとさせる。
「あんな女どうでもいいだろ。向こうがどう思ってるかは知らないけど、俺はあんな地味でパッとしないヤツより、立脇さんみたいに綺麗で芯の強い女の子の方がいいな」
藤村の言葉に、ゆずはの心臓がぎゅうと締めつけられる。背筋を冷たい汗が流れて今すぐにでもこの場から走り去りたいのに、足が言うことを聞いてくれない。
「だからさ、俺と付き合おうよ」
「……うん」
小さく聞こえた声に、ゆずはは自分の喉がひゅっと鳴るのを感じた。己の心臓の鼓動がうるさく耳の奥に響いているのに、二人のやり取りはやけに鮮明に聞こえてくる。
「嬉しい。私でいいなら……」
藤村の誘いを受け入れたひかりの声を最後に、ゆずははその場から逃げるように駆け出した。
◆
ピピピ、ピピピピと鳴り響くアラーム音でゆずはが目を覚ますと、そこは実家で使っている自分の部屋だった。
「……夢?」
アラームを止めたゆずははぼんやりとしながら呟く。もう八年も前の記憶だ。最近は思い出すこともなかったというのに、今になってどうしてあんな夢を見てしまうのか。
思い当たる原因といえば一つしかない。出身地からは遠く離れた四国の大学へ進み、そのままの流れで関西の企業に就職していたゆずはがわざわざ有給を取って実家へ戻ってきたのは、兄とその恋人との顔合わせのためだった。
三つ上の兄から「結婚を考えている彼女がいる」と聞かされたのが先月である。家族間のグループチャットで共有された顔写真を見た瞬間、ゆずはは呼吸が止まりそうになったものだ。
まさか今になって立脇ひかりと再び会うことになるとは、予想もしていなかったのだから。