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吉崎ゆずはという存在をひかりが初めて認識したのは、高校に入学したばかりの頃だ。四月の始め、二年生や三年生の先輩たちが部活動の勧誘に精を出していた時期。
中学から引き続いてテニス部に入ることを決めていたひかりは、足早にその勧誘の波を抜けて帰宅するところだった。そこに一人の先輩男子が声をかけてきたのだ。いわく、運動系の部活動だが、女子の方の人数が足りていないのだと言う。男子の部と女子の部とで合わせての勧誘らしい。よほど切羽詰まっていたのか、その先輩男子はひかりの足を止めさせようと必死になっていた。
最初はやんわりとした表現で断っていたひかりだが、彼はそれを意にも介さずしつこくつきまとってくる。こんな時に限って、同じ高校に進学した中学からの友人は用事で先に帰ってしまっていた。あまりの食い下がりぶりに脳の血管が切れそうになったひかりは、「もう入る部活は決めているし、迷惑だからついてこないでください」と冷たく突き放す。
すると彼はあろうことか、部活動への勧誘からナンパじみたものへと言動を切り替えたのだ。「てかさ、君マジで可愛いよね。俺、結構好みのタイプなんだ」と下心が見え隠れする台詞を吐かれて、ひかりはいよいよ我慢がならなくなった。
「いい加減にしてください! 離れて!」
「ねえ彼氏いる? いないんならちょっとだけでいいから俺と遊ぼうよ」
「触らないで!」
強引に腕を取られそうになり、ひかりは思わず声を荒げた。しかし相手はその程度で引き下がる男でもなく、ますます下卑た笑みを浮かべてこちらへとにじり寄ってくる。掴もうとしてくる手を振り払おうとしたら、勢い余って相手の顔に軽めの平手をお見舞いしてしまった。
「いってえな、おい! 何しやがる!」
「あ、あなたがしつこいからでしょう!?」
「はあ? うぜぇな。ちょっと可愛いからって調子乗りやがってよ」
ひかりと男子生徒のやり取りは明らかに異常だが、近くを通る生徒たちは皆、自分は関係ないというふうに見て見ぬふりをして通り過ぎていく。
誰も助けてくれないのなら、自分で何とかするしかない。そう腹をくくったひかりに対して逆上した男が右手を振りかぶった瞬間、「ああ、いたいた!」と場違いなまでに明るい声が聞こえた。彼がその声に気を取られた隙に、いつの間にか近づいてきていた一人の女子生徒がひかりの手を握る。
「今日、一緒に帰る約束してたよね? 遅くなってごめんね!」
「えっ、ちょ、ちょっと」
あれよあれよと言う間に、ひかりは彼女――吉崎ゆずはによってその場を連れ去られた。呆気にとられた様子の先輩男子をその場に放置し、ゆずははひかりを校門前まで引っ張っていく。
「だ、大丈夫? 何もされてない?」
「うん……。あの、あなたは? というか、どうして助けてくれたの?」
ひかりの最もな疑問に、ゆずはは「あ」と声を漏らす。
「私、吉崎ゆずは。その、多分同じ一年生だと思って、すごく困ってそうだったから、つい……」
そこまで言うと、彼女はうっすらと頬を染めて俯いてしまう。おそらく、元々はどちらかというと内向的な性格なのだろう。ひかりのために、なけなしの勇気を振り絞って行動してくれたというのか。
不意に、ひかりの胸にあたたかい何かが溢れた。顔が熱を帯び始めるのを感じ、ひかりは訳も分からず戸惑う。
「あの」
何か話そうと口を開きかけたところで、ゆずはがハッとした様子で声を上げた。
「ごっ、ごめん! いきなり馴れ馴れしくして! もし次また同じようなことがあったら、すぐに助けを呼ぶか逃げるかしてね? あ、わ、私そろそろ帰らなくちゃ……!」
そう言い残すと、彼女は学校外へと走り去っていく。その後ろ姿が見えなくなるまで目で追いながら、ひかりは自らの鼓動の速さに呆然としていた。