テラーノベル
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第1章 鐘三つ、井戸の味
昼の鐘が三つ、乾いた空をわたる。
最初に変わったのは水だ。井戸の釣瓶を上げるたび、縄は掌に粉を残し、桶の縁はわずかに青黒く光った。舌の奥で、雨樋を噛んだような金属の影がする。最初に倒れたのは人ではなく、家畜だった。牛が草を噛み切る回数が減り、鶏は羽を膨らませたまま動かない。子どもが喉をさすって言う。「冷たいのに、喉が渇くよ」
僧侶は紙の端に日付と鐘の回数を書きつけ、静脈のように村の水路を描く。
「疫病なら、人から人へ順に移るはずだ。これは——水から、同時に」
彼は聖句の上から薄く線を引き、地図の井戸に小さな三角を三つ刻んだ。午の刻、鐘三つのあとに症状が揃う。眠りは浅く、筋はこわばり、朝の祈りの声が半音低い。どの家も“加護水”を受け取った日の欄だけ、墨が濃い。記録は黒く、村は薄くなっていく。
夕暮れ、井戸の縁に杯を置くと、縁取りが指に移った。
「味は、いつからだろう」
「鐘が、三つ鳴るころから」
答えたのは、石畳を掃く女だった。箒の先は、昨日より短い。
第2章 潰し合わせの設計
王都の奥、窓のない小部屋。厚い絨毯が足音を呑み、白い手袋が机の埃を払う。
陰謀家は笑っていなかった。目元だけが笑っていた。彼は羊皮紙を一枚、こちらへ滑らせる。四つの剣、四つの美名、四つの儀礼。周縁の強者がそれぞれの名に引き寄せられ、境でぶつかるよう設計された巡礼路。
「伝承は自然には育たない」彼は手袋のまま言う。「与えるのだ、形を。
四聖剣の物語は、強者同士が削り合う舞台装置だ。誰が勝っても、刃は摩耗する。王都は拍手をするだけでいい」
「誰が、それを——」
「歌の出どころはいつも同じだ」
扉の向こうで、遠い合唱が一段高くなる。陰謀家は筆を立てて引き出しに落とし、最後にだけ素手で水差しの蓋を押さえた。蓋は重く、音は出なかった。
第3章 逆らわぬ誓い
夜、倉の中で灯りをひとつ。私たちは円になった。卓の上に置いたのは、剣ではなく鞘だった。
「王都には、刃を向けない」
最初に言ったのは私だ。言葉は軽く、重石は胸の内に落ちる。僧侶は頷き、魔法使いは指で鞘の口金をなぞり、盗賊は出口を数える仕草をやめた。
「まず、外の敵を断とう。魔王を」
「誓いは首輪になるぞ」
「なら、首輪のまま歩こう。約束に足を入れて、転ばないように」
互いの鞘をそっと触れ合わせ、音を立てない誓約の印とした。
外では、夜半の鐘が一つ、間をおいて二つ、そして三つ。
倉の板壁が小さく震えた。誰も剣を抜かなかった。抜かないという選択だけが、今夜、確かな刃だった。
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