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あの日のことがふと頭をよぎる。当時学校でいじめられていた私は酷くやつれていた。そんな私に嫌気がさして高架橋から飛び降りようと思っていた。柵に足を掛けて乗り越えようとした時、仄かに香る珈琲の匂いに気がついた。自殺をするなら人がいなくなってからの方がいい。夜の空がもうすっかり藍色に染まっている。
「何をしているの?」
珈琲の香水をつけている大学生に話しかけられた。
「なんで飛び降りようとするの?」
「うるさい!あなたには関係ないでしょ!」
「関係なくないよ。私も自殺をしにここまで来た。」
「えっ?」
「両親が交通事故に巻き込まれてなくなった。それまで親にすがって生きてきたせいで技術も才能も何も無い。あるのは死亡保険のお金だけ。就活も少ししたけど全然手応えがなかった。だから生きるのが大変で。犯人はまだ見つかってないから最後に犯人を探したかったけどね」
「そうなんだ・・・。犯人の顔とかは覚えてるの?」
「いや、全く」
彼女から香る珈琲の匂いが無意識に私の心を落ち着かせる。死にたいという感情も収まった。2人のため息が重なる。
「それじゃ1つお願いがあるんだけど。」
「なに?」
「結構変な話を言うけど。私と君で入れ替えない?」
「どういうこと?」
「私が君として暮らして、君が私として暮らすっていうこと」
「でもなんで?」
「私が君の両親を殺した犯人を見つけ出す。実際の子供だと危険があるかもしれない。私も一人暮らしで誰にも意識されていないから変えてもバレないと思う。環境が変われば落ち着くと思うよ。
多少お金も渡すし」
「まあ分かったよ」
「名前は?」
「葉山恋華《はやまれんか》」
「私は谷置夢。よろしくね」
「うん。いろいろありがとう」
その時の思いつきで変な提案をしてしまったがそれは本当に正しいのだろうか。ただ、一度言ってしまったからにはそうするしか道は残されていない。これからの生活に少し不安を抱いた。
夢先輩とは週に何度も遊びに行くほど仲良くなっていた。夢先輩は珈琲の香水に思い入れがあるらしく、会う時は必ずその匂いを辺りに漂わせている。1度なんで好きなのか尋ねて見た事があったが軽く流すようにして話してくれなかった。ただ、「この匂いは心を救ってくれる」
とだけ言っていた。
そして今日は夢先輩と初めて旅行に行くことになっている。向かう先は長崎にあるハウステンボスだ。花が綺麗でオランダの景色が再現されたその場所は夢先輩に似合うと思って僕が選んだ。少し胸をドキドキさせながらも新幹線の車内でゲームなど、着く前から盛り上がった。しかし僕には使命がある。この旅の途中、夢先輩に今の想いを伝えなければならない。タイミングを伺いながら夢先輩との会話を楽しんだ。
ハウステンボスはパンジーをはじめとする沢山の花が咲いていて、写真で見た時よりも何倍も美しかった。思わず見蕩れてしまう。でも、1番良かったのは夜のイルミネーションだ。一面を着飾る光、まるで異世界のような光景だった。僕達は空いている場所に座り水上パレードを見た。幻想的な空間が広がっていて社会に前より馴染めたような感覚が湧き出てきた。家から出てこんな素敵なものを見る日が来るとは思ってもいなかった。そんな景色を横目に夢先輩の顔を見る。一日中遊んだせいか珈琲の匂いはほとんどなくなっていた。夢先輩の目に反射する光。妖艶な夢先輩の姿が光り輝いて見えた。そんな夢先輩のことを思うと想いを伝えることができなくなってしまった。本当に僕でいいのだろうか。今までの関係が壊れてしまうのではないか。僕はポケットに入れていた指輪の箱を触りながら光り輝く景色を眺めていた。結局僕は指輪を渡せないままでいる。ホテルのチェックアウトを済ませて昼ごはんを食べて新幹線に乗って家に帰る。あとそれだけの時間でこの想いを伝える覚悟ができるだろうか。想像すると緊張と恥ずかしさで頭が真っ白になってしまう。新幹線に乗って席に座ったぼ僕は勇気を振り絞って夢先輩に話しかける。
「あのさ」
「なに?」
ダメだ。どうしてもこの先の言葉を話すことが出来ない。
「ごめん。なんでもない」
「そっか」
モヤモヤとしかものが胸に残るまま新幹線は終点へと向かっていく。夢先輩から香る珈琲が僕の鼻を突き刺す。
夢先輩と別れたあと仄暗い街の中を歩く。夜風が町の木々を震わす。駅から家まで遠くないので肌寒いのは我慢できるだろう。途中、喫茶店の看板がやけに目に付いた。
家に着くと僕はすぐに異変に気がついた。中から電気が漏れだしていた。ドアに手を掛ける。鍵もかかっていない。この家の鍵を持っているのは僕しかいない。他に入れる人がいるはずがないのだ。不審に思った僕は玄関のドアに耳を当てて中の音を少し聞くことにした。静寂の中にところどころ聞こえる2人の声。1人は男性、もう1人は女性だろう。強盗とかならもっと雑音が聞こえてくるはず。もしくは僕の存在に気づいたのか。あらゆる可能性を考えたがどうしても非現実的なものになってしまう。僕は恐る恐る玄関を開けて物音をあまり立てないようにしてリビングへと向かった。