コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「……お前が頼んでやらないから、俺たちが頼む羽目になったじゃないか」
錆人が『春の訪れを感じるスープ』を、
西浦が『冬の寒さを吹き飛ばす灼熱の常夏スープ』を頼んでいた。
「ああでも、私、以前、試食してるんで」
「何処でっ?」
と二人に訊かれる。
「いや、閉店後、来てくれって言われて。
いつもお世話になってるんで、来て試食しました」
「二人きりで試食とか。
さては、お前の胃袋をつかむ気だな」
と言う西浦に、錆人が言う。
「いや、お前も焼肉で胃袋をつかんでいるだろう」
「俺が調理するわけじゃないから。
俺の仕事は店のトータルプロデュースだ。
……くそっ。
ということは、月花の心をつかんでいるのは、うちの齢六十七歳のシェフと言うことにっ。
うちの店で試食してみてくれと言っても、俺の場合は、そこにシェフもいるというわけだっ」
いい雰囲気にはなれんっ、と言う西浦に、錆人が言った。
「じゃあ、シェフは帰らせたらどうだ」
「なにを言う。
試食第一号の感想をシェフは聞きたいに決まっているっ」
……ほんとうにいい店長だ。
錆人は、
「俺では胃袋はつかめないので、お前の心をつかむとしよう」
と月花を見つめ、言ってくる。
「なにで?」
と問うたのは、月花ではなく、西浦だった。
錆人は真面目に考えたあと、言った。
「金の力でかな」
ストレートすぎるっ!
「いや、女子から見て、他に俺に魅力などなさそうだからな。
仕事人間なんで、面白みもないし」
……いや、今日ずっとあなたを拝見してますが、結構面白いですよ。
「なんせ、偽装結婚なのに逃げられるくらいだからな」
やっぱりちょっとは気にしてたんですね、と月花は苦笑いする。
「『石のスープ』、元の話があるんだったな。
どんなのだっけ?」
センスのいい配色の紙カップに入っているスープを飲みながら、西浦が訊いてくる。
「ポルトガルとかの昔のお話ですよね。
ざっくり言うと、食べ物がなかった旅人が石を水に入れただけで、おいしいスープができるって村の人たちに言って。
あと少し、あれを足したら、完璧においしくなるんだけどとか。
あと少し、これを足したら絶品のスープになるんだけどとか、みんなに言って、具材を入れもらい。
石だけで、ほんとうに美味しいスープを作ってしまうというお話なんですけど」
すごく好きなお話なんです、と月花は言った。
「最初にこの店に来たとき、このメニュー見て。
わ、石のスープだ!
と思って頼んだら、具沢山ですごく美味しくて。
そうか。
村人みんなでいろいろ突っ込んだら、こんなに美味しくなるのかと感心したんですよね」
「まあ、この店で具材突っ込んでるのは、たぶん、一人の料理人だが……」
と錆人は呟いていた。
西浦に訊かれ、石のスープの民話を語る月花を、そして、その周辺を錆人は観察していた。
「それでこのお店の常連になったんです」
微笑む月花をカウンターの向こうから、あのクールメガネ、船木が微笑んで見ている。
そして、そんな珍しい船木の笑顔に、他の関係ない女子たちが被弾している。
月花を早く連れて逃げねばっ。
船木に惚れたあの女性たちが、一斉にライバル月花に襲いかかるかもしれんっ、
と錆人は落ち着かなくなる。
やっと見つけた俺の花嫁……っ。
……衣装の似合う女だっ、大事にせねばっ、
と思っていた。
「冬のビール、美味しいですね。
乾燥してるからですかね~?」
とグラスの半分くらいを一気飲みしたあとで、月花は言った。
窓際の席で、三人は喉が渇いたと、追加でビールも注文していた。
錆人が呟く。
「スープ屋って健康的なイメージなのに、酒もあるんだな……」
近くの席にスープを持ってきた船木が、
「目指してない、健康的とか」
と言う。
「『おいしい! ヘルシー!』って書いてあるぞ」
錆人が指差した壁には、カラフルな飾り文字で、『delicious!』とか『healthy!』とか斜めに書いてある。
「あれは業者が勝手に書いたんだ。
インテリアの一種だ」
「そういえば、お前たちには会えたが、雑炊屋には会えなかったな」
と言う錆人に船木が言う。
「ああ、三田村、いなかったのか。
どこ、ウロウロしてるんだろうな」
「お前たちは、みな知り合いなんだな」
「店近いからな。
ところで、お前は何者なんだ」
「俺は――」
「上司です」
錆人の余計な言葉をふさぐように月花は言った。
「なんか知んねーけど。
月花に偽装結婚しようと持ちかけている困った上司らしいよ」
と西浦が船木に教える。
「莫迦なのか」
と目を見開く船木に西浦が、
「だろ?」
と言ったとき、船木が言った。
「月花と偽装結婚して、偽装で済むわけないだろ」
「……お前たちの中の月花像と俺の中の月花像がずいぶん違うようなんだが」
と錆人は呟く。
「こいつはよくいる美人でスタイルもよく、品も良くて。
性格も悪くなさそうな女の一人に過ぎないのでは?」
「……なにほめ殺してんだ、この上司」
腕組みして聞いていた西浦が眉をひそめる。
「特に褒めてない。
たくさんいるじゃないか、そんな女。
俺は見たままを言っただけだ」
すると、船木がテーブルに手をついて身を乗り出し言う。
「お前はなにもわかっていない。
月花のいいところはそんなところではない」
そのまま船木は語り出す。
「姉に頼まれて、この店を手伝うようになって、しばらくして。
――俺は自信を失った。
俺には人の心がわからない」
ちょっとわからなさそうですね、という顔を周囲のテーブルの女性たちがしていた。
「なにか新しいことをはじめようとしても、姉はうるさいし」
「おねーさんがオーナーなんです」
と月花が錆人に教える。
「腐っていた俺の前に月花が現れた。
俺も最初はお前のように、ああ、よくいるタイプの美人だなと思っただけだった。
月花は俺の考えた新メニューを注文し、今お前たちがいる後ろのテーブルに座った」
船木はそこに、そのときの月花がいるかのように。
今は誰もいないそのテーブルを目を細め、眺めていた。
「月花はガラス張りの店内から夜の街を見たあとで、スープを一口、口にした。
だが、その途端、大きく顔をしかめた。
やはり、いまいちなのか。
俺は美味く感じるんだが、と思った次の瞬間、月花の顔が花のようにほころんだ。
俺は嬉しくなった。
だが、もう一口、口にした月花はまた顔をしかめたんだ。
カップを持ち上げ、ニオイを嗅いだりしている。
俺は不安になり、話しかけた。
『その新メニュー、どうですか?』
と。
『おいしいけど、口に入れた瞬間、チーズや香草のニオイがきついですね。
すごく好みがわかれそう」
と言う月花に、
『……そうですか。
私は気にならなかったのですが、熟考してみます』
と俺は答えた。
プライドが高い俺は、ほんとうはショックだったのだが、顔には出さずに去ろうとした。
だがそのとき、月花が慌ててカバンからメガネを出すのが見えた。
月花は、まったく似合わないそれをかけて、こちらを見ると、
『ああっ、店員さんじゃないですかっ。
すみませんっ』
と言った」
「……裸眼だと店員かどうかもわからないのか。
常にメガネはかけておけ」
「嫌です」
と言う会話を月花は錆人とする。
確かあの日、目の調子が悪くて、コンタクトが入れられなかったのだ。
それでメニューも見えず、レジにいた店員が勧めるまま、新メニューを頼んでしまったのだった。
「打ちのめされはしたが、ストレートな感想が聞けて俺は嬉しかった。
それ以来、俺は月花の訪れをらしくもなく、ドキドキしながら待つようになった。
彼女の素直すぎる表情を観察するようになったんだ。
長く女性にときめいたことなどなかった俺だが。
月花が店にやってくると、未だに腹の底がきゅーっと痛くなる感じがして、ドキドキする」
「……そのドキドキはたぶん、なんか違うドキドキだと思うぞ」
と錆人が冷静に分析していた。
「……すまない。
いや、俺が謝るところではないんだが。
上司として、なんとなく謝っておこう」
と錆人が言う。
「一口目、匂いがきつかったんです。
でも、美味しかったです。
季節ものだったので、今はもうないみたいなんですけど」
「ありがとう。
あれから俺はちょっと自信をつけて。
姉に否定されても、どんどん新メニューを考えて出している」
船木がそう語る間、西浦はなにごとか考えていた。
「どうかされましたか?」
と月花が訊くと、
「いや……。
お前、裸眼だとそんなに見えないのなら。
式場で花婿がすり替わってもわからないのでは?」
と西浦は言い出す。
……それはさすがに、
わかるんじゃないですかね……?
たぶん。
おそらく……。