「まあ、なんかいろいろ美味かったな」
帰りのタクシーの中で錆人は言った。
今日一日の感想がそれだったようだ。
およそ、求婚者めぐりツアーのあとのセリフとも思えない。
「だが、バランスが悪い」
突然の駄目出しに、は? と月花は横に座る錆人を見上げる。
ぎゅうぎゅうに乗っているわけではないので、距離はあるが。
揺れるとちょっと肩が振れそうで緊張する。
「雑炊、焼肉、スープか。
ランチの店とスイーツの店と酒の出る店ならよかったのに」
何故、あなたのお腹の都合に合わせて、プロポーズされないといけないのですか……。
「そういえば、結局、雑炊屋には会えなかったな」
なんだかんだで面倒見のいい西浦が連絡をとってくれたのだが、電話にも出なかったようだった。
「雑炊、美味かったが、二日続けてはちょっとな」
と錆人は呟いている。
「まあ、ともかく、焼肉屋とスープ屋はなんだかんだで、人が良さそうだ。
とりあえず、事情があるから、偽装結婚式をやりたいと言ったら、許してはくれそうだったな」
「はあ、まあ、そうですね。
式だけだったら、私もいいですよ。
あ、なんなら、あのウエディングドレスを着て、写真だけ撮ることにしてはどうですか?」
「いや、式もやらないと困る」
「なんでですか……?」
と訊きながら、実はちょっと想像がついていた。
「前のプロジェクトで助けた結婚式場が、ぜひ式はうちでと言ってくれているんだ」
「……どれだけ人助けしてるんですか」
いや、いいことなんですけどね……。
「そもそも、式だけで、さよならでも困るんだ。
じいさんのこともあるし。
あ、そうだ。
今度、じいさんにも会って欲しいんだが」
「あのでも――」
「俺はお前を金で買ったようなものだ。
言うことを聞け」
悪役かっ、と思ったが――。
「お前のところの派遣会社にはちゃんと話は通してある。
ややこしい仕事も頼むことになるからと、最初の倍の賃金を提示している。
派遣会社が何パーセントかとるんだろうから、全額お前の懐には入らないだろうが」
……ああ、給料払って雇ってるって意味ですね。
まあ、孫の結婚が急に駄目になって、おじいさんがガックリ来たら可哀想だから。
ちょっと話を合わせるくらいなら、とつい、思ってしまった。
まあ、いいおうちのおじいさんとか気難しいかもしれないけど。
どうせ、本物の花嫁じゃないから気が楽だしな~と月花は思う。
「私的な連絡先も教えておいてくれ」
と言われ、携帯の番号を教えた。
だが、そんなことを言っておいて、錆人は、今、仕事用のスマホしか持っていないようだった。
「これに書け」
と小さなメモとペンを渡してくる。
月花は、そのメモ用紙に携帯の番号を書いた。
手帳の後ろのミシン目があるページを切り取ったものらしい。
今にもなくしそうなくらい小さかった。
それを手帳に挟んでしまいながら、錆人は言う。
「ところで、お前はあの三人の中に好きなやつとかいるのか」
……それはむしろ、真っ先に訊くべきだったことなのでは?
と思いながらも、
「いえ、特に。
とてもいい方たちなのですが。
それだけに、会って間もない私を好きだとおっしゃるのが。
どうにもピンと来なくて」
と答える。
「間もないのか」
「そんなに長くはないですね」
「まあ、時間は関係ないのかもしれないけどな。
運命の相手というのは、見た瞬間にピンと来るものらしいぞ」
なんですか、そのいかにも、どこからか借りてきました、みたいなセリフは……。
この人も愛とか恋とか興味なさそうだもんな~、
と自らも、ぼんやり生きてきた月花は思う。
「でもまあ、スープ屋のお前に対するドキドキはなんか違う気がしたな。
雑誌の覆面調査員が来たときのドキドキみたいな」
覆面なのに、何故、気づかれているのでしょうね、私は……。
「まあちょっと、いい人たちなので、断りづらいです」
「じゃあ、俺と結婚すればいい」
いい理由になるだろう、と言う錆人に月花は言った。
「いや、それこそ、不誠実ではないですか?」
「だが、お前がそんな曖昧な態度を続けてて。
あの三人が出刃包丁と牛刀包丁とペティナイフで殺し合ったら、どうする?」
……なんで刃物類だけ、妙にリアルなんですか。
「いや、殺し合うほど、愛されてはないですよ」
「そうやって、お前が謙遜して、彼らの気持ちを勝手に否定することこそ失礼じゃないか?」
と言ったあとで、錆人は少し考え、
「俺だって、お前を手に入れるためには、戦えとあの三人に言われたら。
偽装結婚を頼んだ手前、身体を張って戦うのも、やむを得ないかと思っている」
と言い出す。
いや、そんな事態になったら、もう他の方に頼んだらいいかと思いますね……。
「まあ、ちゃんと考えてやれ。
……いや、だからって、俺との偽装結婚をやめるとか言われても困るんだが」
この人、なんだかんだで、やっぱり人がいいな、と月花は思った。
自分にとって、不利益になるとわかっていて、そんなアドバイスをくれるなんて。
「それにしても……
何故、お前があんないい男たちにモテてるんだろうな」
心底疑問そうにそう言ったあとで、窓の外を見、少し考えていた錆人だったが。
ふいに、こちらを振り向いて言う。
「お前、実は資産家のおじいさんとかいないか」
「……私本人の魅力はない、と思っていらっしゃるということですね」
月花が車を降りるとき、錆人は身を乗り出し、言ってきた。
「仕事のように結婚しよう。
きっと上手くいく」
いきますかね~? と月花は思っていたが。
まあ、この人、仕事はずっと順調なのだろうから。
それと同じ感じでやったら、偽装結婚も上手くいくと思っているのだろうなと思った。
「とりあえず、俺はお前からの好感度を上げることが、もっとも重要なタスクだと思う。
とりあえず、俺に何をしてもらったら嬉しいか書き出せ」
あの、私の仕事なっちゃってますけど。
「そうか。
お前も思いつかないか。
男にして欲しいこととか」
いや、決めつけないでくださいよ。
まあ……ありませんけど。
「雑誌やネットで調べろ。
明日までに幾つか候補を上げてこい」
じゃあ、と言いかけ、気づいたように錆人は言う。
「危ないから、お前が部屋に入るまで見ててやる。
早く入れ」
なんかようやく、恋人らしいというか。
人間らしいことを言われた気がする。
まあ……
偽装なんだから仕方ないんだが。
このままじゃ、寒々しい家庭になりそうだな~。
いつわりの家庭とは言え、なんか嫌だな、と思いながら、マンションのエントランスに入る。
タクシーの中の錆人に向かい、ぺこりと頭を下げた。