コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「あー。またか」
篠崎は一旦現場を通りすぎながら舌打ちをしてハンドルを切った。
「やっぱり大工さん、1台分しか雪履いてくれないすね」
金子も住宅地図を後部座席に置きながら、シートベルトを外す。
少し道幅が広がったところに停車すると、2人は同時に車から降りた。
トランクに詰んだスコップを手に、現場まで歩き出す。
「また降ってきた」
ちらほら白いモノを吐き出し始めた白い雲を金子が恨めしそうに見上げる。
「天気予報だと、明日まで降るらしいですよ」
「明後日は」
篠崎が白い息を吐きながら聞く。
「晴れるみたいです」
「そりゃよかった」
スコップを回転させて持ちかえると、篠崎は現場の外階段を2段飛ばしで上がり、ドアを開けた。
「ご苦労様です!」
言うとこの道40年のベテラン大工、清藤は長年の現場で色素が沈着した黒い肌から、白い目と白い歯を覗かせて笑った。
「なーんだ。由樹ちゃんかと思ったのに。店長さんかー」
その名前に一瞬動きが止まる。
「………由樹ちゃんじゃなくて悪かったな」
なんとか誤魔化しながら笑うと、
「手土産も無しかい?由樹ちゃんはいつも持ってきてくれるのにな」
清藤は口を尖らせた。
「清藤さん。それは世間一般では餌付けと言うんだぜ」
笑うと清藤はこれまた黒い手で顔を擦った。
「いーんだ、俺は由樹ちゃんが可愛いんだ」
「…………」
新谷を慕っているのは清藤だけではないし、大工だけでもない。
ちょくちょく現場に顔を出しては、肉まんやたこ焼き等を土産に、施工のことや技術のことを熱心に聞いていく新谷を、現場の業者たちは皆可愛がっていた。
そして彼はその知識を、アプローチにも、契約客との打ち合わせにも生かしている。
誰に教わったわけでもない。そこは持って生まれたセンスと、前職で身につけた開発者の血が騒ぐのだろう。
その甲斐があって取得した現場に根付いた卓越した知識を持っている新谷に、唸る客も多い。
(大した奴だ……)
部下として、素直にそう思う。
こんなときであろうとも、
そしてきっと、これからも。
「雪下ろしするから、邪魔するよ」
行って足場に足を掛けようとすると、
「もうやっといたよん」
清藤が言った。
「え?やってくれたのか?」
篠崎が驚いて振り返る。
「ああ。だって、やらないと由樹ちゃんやりに来るだろ」
清藤はヘラヘラ笑った。
「あの子、ここらへんの出身じゃないんだってな。危なっかしくてよ。屋根に上るのも、硬くなった雪にスコップ入れんのも。そんなの現場監督の仕事だからしなくていいって言っても聞かないもんなー」
初耳だった。
去年も相当降ったのに、そんな話は新谷から一度も聞かなかった。
「おっしゃる通り、現場監督である工事課の仕事だ。工期つまってんだから、清藤さんはそんなことしなくていいんだぞ」
「普段はしねぇよぉ。由樹ちゃんの現場のとき限定!」
言うと彼は笑って、インパクトを振った。
「新谷さん、愛されてますね」
住宅地図を持った金子が雪に覆われて境界線の見えなくなった田んぼを眺めながら言った。
「昔からあいつは人たらしなんだ」
篠崎は笑いながらハンドルを片手で持ち、もう片方の手で胸ポケットから煙草を取り出した。
「でもなんか、わかる気がするなぁ。新谷さんってかわいいですもん」
年で言うと3つほど下のはずだが、金子はなんの疑いもなく、そして恋人の前だというのに何の気兼ねもなく、堂々と言った。
「一生懸命だし、懐っこいし。それでいて頼れるところは頼れるし、もちろん優しいし」
言いながら、シートをほんの少し倒している。
「放っておけないんだよな……」
篠崎は火をつけた煙草を吸い込むと、それを一気に吐き出した。
確かにそうだ。
新谷は堅物が多い現場の人間も、気難しい設計士の小松も、天賀谷展示場の癌とまで言われた紫雨も、そして、新人嫌いで有名だった自分までも、片っ端から絆していった。
前職のストレートの男上司も、頭のいい女眼科医も、そして今度はライバルメーカーのエースまでも………。
新谷と話し、彼の優しさと純粋さに触れた人間を引き込む力を、あいつは元々持っている。
(なにも俺が特別だったわけじゃない……)
篠崎はまた一口煙草を吸い込むと、それを肺に貯めてから、少しずつ吐いていった。
◇◇◇◇◇
紫雨から電話がかかってきたのは、八尾首市内全ての現場の雪下ろしが終わり、頑張ってくれた金子をマクドックナルド店で労っている時だった。
『篠崎さん、今、もしかしてドックにいますか』
「はあ?」
見事に言い当てられた篠崎は、ハンバーガーを置き、思わず周りを見回した。
『ポテトが揚がった時の音楽が聞こえる……』
「すげぇな、お前」
普段はこういう店に入らない篠崎は半ば感心しながら笑った。
『ドックでデートですかあ?高校生みたいで微笑ましいですね』
いつもの軽口も、状況が状況だけにどういう反応していいかわからない。
しかし、昨日のことを新谷が誰かに相談するとしたら、この男にだろうと思っていたため、彼が何も知らないのは少し意外だった。
「……何だよ。こっちはハンバーガーに集中したいんだから手短に言え」
『えらっそうに。まだ定時前ですよ?』
『お待たせしました~。生ビールの方~?』
電話の向こうで女性店員の声が聞こえる。
『はい俺でーす!』
「……切るぞ」
篠崎は携帯電話を耳から離し、通話を切った。
「いいんですか?」
金子が笑いながらポテトをつまんでいる。
「いーんだ、あいつなんか」
瞬く間に再度着信が鳴る。
「……なんだよ、てめえは!早く要件を言え!」
電話口の紫雨はケラケラ笑っている。
『言いますよ、言いますって。おっかないなぁ』
「何だよ!」
『今、セゾンで新しい太陽光発電パネルを開発中なの知ってますでしょ』
「え、ああ」
従来は電機メーカーが製造開発していた太陽光パネルを使用していたのだが、来年度からセゾンエスペースが独自で開発するという話は以前から聞いていた。
『その試作品が出来たらしいんです。それで……開発部が……各県を回ってマネージャー・リーダーたちに意見を仰ぎたいという……わけらしいんですが』
ビールを飲みながら話しているのか、会話が途切れ喉を鳴らす音が響く。
「……おい」
『ゲプッ。おっと失礼。それで開発部の奴らが天賀谷に来るのが、来週の金曜日、らしくてですね』
「来週の金曜日?」
テーブルに置いてあった手帳を開く。
「だめだ。来週の土日、ハウジングプラザのイベントで、金曜日はその準備をすることになっている」
『えー、抜けらんないすか』
「他の展示場もみんな店長が来るんだ。無理だよ、んな急に言われたって。今回はうちとミシェルが――」
『……………?』
そのメーカーの名前を言った口が勝手に止まる。喉がつまる。
『……篠崎さん?』
「…………あ、悪い。……うちとミシェルがイベントの係だから、抜けられないんだ」
『そんなの―――ムキマラ君に全部やらせればいいじゃないですか』
そのふざけたあだ名を聞いた瞬間、視界が上下に揺れた。
「………とにかく、無理だから。切るぞ」
携帯電話を再び耳から離す。
『ああああ!待って!!新谷でもいいですから!』
「……………」
黙って耳にそれを戻す。
『あいつ、太陽光パネルとか詳しいし。とにかく誰か出してください。俺、今回取り纏め役なんで、不参加の展示場があると秋山さんに怒られるんすよ。新谷ならマネージャー推薦つーことで、体裁とれるんで!ね?』
「………わかった。言っとく」
篠崎は言いながら、ポテトを口に運ぶ金子の口元を意味もなく眺めた。
『明日、資料ファックスしておくんで、………あ、その塩辛俺のです~!おいこら、飯川!俺のだろうが!ぶっ殺すぞ!』
篠崎は今度こそ電話を切った。
「天賀谷展示場は飲み会ですか?楽しそうですねー」
金子がハンバーガーを頬張る。
「酒の方がよかったか?」
苦笑いしながら、ほとんど背の変わらない長身の後輩をかろうじて見下ろす。
「いえ、飲み会はみんな一緒の方が楽しいでしょうから。明後日の地盤調査が終わったら行きましょう!」
篠崎は開いたままの手帳を見つめた。
本来なら定休日である水曜日の予定は、昼前から夕方まで地盤調査で埋めてある。
「……そうだな」
その頃には自分には何らかの答えが出ているだろうか。
そして自分だけではなく、新谷にも―――。