─涙が頬を伝う
生暖かい感触が弱っている心を更に強く握り締め息苦しさが増す
「僕はなにをしてるんだろ」
と、か細い声で呟いた
誰も聞こえやしない。誰も声を聞きやしない。
そんなことをつぶやく間にも
虚しさや寂しさが侵食してくる
(苦しい、辛いよ、僕がなにした?なぁ神様、お前に僕がなにをしたって言うんだ…)
こんなことを思ってはまた音楽を聴き、
目を閉じて眠ろうとする。
本当は声を大にして誰かに伝えたかった。
だが誰も僕に見向きもしないし、
気味悪がられてしまう。
なぜそう言いきれるかと聞かれたら
昔からそうだったからだ。
大人たちは必ず
「生きてればいいことあるさ」や、
「そんなこと言わずにやることをやりなさい。」と、誰も最後まで話を聞かず結論を出そうとする。
まだ話をちょっとでも聞いてくれただけマシだ。
ほとんどの場合
「忙しいから」と、
一掃されてしまうことがほとんどだ
なら「友だちに…」と思っただろう。
それこそほんとに宛にならない
「病んでますアピールかよ笑」
「辛いのはみんなそう。お前だけじゃない」
なんて言ってくる。
辛いと言えば馬鹿にされる世の中で
誰に話せばいいんだ?
「可哀想」
「私なら話を聞くのに」
なんて哀れみはやめてくれ。
無意識にも他人を蔑んで悦に浸ってる人たちには何も話すことはない。
そんな話をすればあとから
「俺よく聞いてあげたな」
「人を助けるって気持ちいいことだな」
なんて酒のつまみにされる。
人は皆自分より悲しい思いや、辛い思いをしてる人の話を聞く度自分より下だなと見下す。
だから救いの手を差し伸べ、
適当に聞き自然と悦に浸っている。
そういう輩ほど
「辛かったね」
「自分がいるからいつでもぶつけて?」
なんて言葉をよく言うんだ
なんの足しにもなりやしない。
本心で思ってもない言葉で救済する。
だから僕は嫌だった。
全ての原因を作った神様も、
聞くふりをして悦に浸る輩も、
そんな奴らが正しいと思ってる世の中も
全部全部嫌いだ。
嫌なことを思い出す度スマホの音量を上げる
少しでも早く忘れたいのだ。
「くそ、くそ、くそ、くそ!!!!!
なんで、なんで、なんで!!!!
なんで普通になっちゃダメなんだ!?!?
クソッタレが!!!!!!
普通に生きて幸せを望んでるヤツら
全員死ね!!!!
幸せなんて望んでないじゃないか!!!!
ただみんなが持ってるような普通の家庭、
普通の日常が欲しいだけなのに!!!
なんでだよ!!!なぁ!?」
息が切れる。呼吸が荒くなる。
溜め込んでいた言葉を吐き出す。
なのに一向にスッキリしない。
家中に溜め込んでいた言葉が響く。
捨てられた人間はこうも荒むものなんだと自分自身でも思った。
誰しも辛い理由なんて全部単純だ。
だがその辛い理由を複雑に変えてしまっているのは自分自身でしかない。頭では分かっている。
だが心が単純でいることを許さない。
「こんなに傷つけられたのに単純ってなんだよ」と、心で思って単純から複雑になってしまう。
必死に生きようと、共感を得ようとするために、欲しい言葉をかけて貰うためにお互いを求め合う。
僕もその1人だ。
依存していた相手が急に消えた
唯一の心の救いでもあり心から許せた人が
自分の傍から居なくなったのだ。
居なくなってからの僕は放し飼いにされた
『獣』でしかない。
そんな獣に誰が近づくのだろうか?
誰しも熊やイノシシに近づかないように
そんな獣と変わらない人間には誰も近づかない。
どんなに辛い思いをしていても、
近づく人すらいないのだ。
それが溜め込んだ人間の末路であり
人を憎んだ哀れな獣なのだ
音楽が消える。
「もう…長くないんだな。はははっ
クソみたいな人生だったよ」
と、笑いながら泣いていた。
コメント
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「普通」という概念は、どうして生まれてしまったのでしょうか。 もしもそれが無かったのなら私は、もう少し楽だったかもしれないのに。 もっと早くこれを見つけたかったです。 今更かもしれないですけど、私はこれがとても好きです。 ありがとうございます。