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私は倉田松子、45歳。松子、と書いて「しょうこ」と読むが、かのマツコデラックスが登場してからは、親兄弟以外からは「マツコ」呼び一点である。「しょうこ」と呼ばせたいのなら、もっと他に漢字があったろうに、なぜ「松子」という漢字を当てたのかについて両親に聞いたところ、「松竹梅」の「松」から取ったそうだ。
巨人の王貞治がホームラン世界記録を叩き出した昭和52年、地方でスポーツ用品店を営む二代目の父ヒロシと、いわゆる地方の「名家」と呼ばれる家で生まれ育った母オリエの間に生まれた。両親ともに東京の有名私立大学卒、という当時は珍しいステータスであったため、意識高い系であったと思われる。
厳格な姑の意向にて、母オリエが結婚後は専業主婦となったこともあり、おやつは全て手作りで買い食いは禁止、スナック菓子やインスタント食品、果汁100%以外のジュース類を家庭で口にすることはなく、初めて駄菓子なる物を食べたのは小学校5年生に友達が公園で食べていたものをめぐんでもらうというのが初体験であった。大人になり、当時の同級生から「初めてミルクティーを飲んだのは、マツコん家に遊びに行った時よ。茶葉から入れた紅茶を飲んだのも、陶器の器が出てきたのも初めての経験で緊張した」と言われ、当時自宅に遊びに来た同級生が、借りてきた猫のように大人しくなったのはこういう理由か、と合点がいったのである。
また、教育熱心な両親の元、幼い頃よりピアノ、お絵かき教室、硬筆、スイミング、茶道…etc、と様々な習い事をして育った。両親の希望で幼稚園はミッション系に入り、訳もわからず毎朝「アーメン」と唱え、外国人牧師に「アッポー(りんご)」と英単語を教えてもらう日々を過ごした。
小学校に上がってからは常に成績はクラストップ、運動会では毎年リレー選手に選ばれるなど運動もよくできたため、クラスの中でも中心人物であった。当時、一世を風靡したゴクミに似ていると噂され、調子にも乗りまくっていたイケスカナイJS(女子小学生)時代であった。県下トップの進学校に進むべく、小学5年生からは塾通い、見事中学受験にも合格。なんちゃってゴクミは自信満々で中学校へ入学したのである。