「……あと、半年で卒業だってさ」
秋の気配が混じりはじめた風が吹く中、屋上で美咲がぽつりと呟いた。
日が傾くのが早くなり、校舎の影が二人を長く飲み込んでいた。
「卒業って、“次に進む”ってことなんだよね?」
「うん。でも、私たちには“次”なんてない」
「そう。だから、ゴールって感じがしない」
優羅は、制服のスカートの裾を指でつまみながら、少し笑った。
「この制服、嫌いだった」
「え、なんで?」
「“普通の女子高生”のフリができるから。…できない自分が、より浮き彫りになる」
「……分かる気がする」
美咲もまた、自分の胸元のリボンを引っ張った。
「私も、このリボンを締めてると、何かを誤魔化してる気がするんだよね。“普通”っていう枠に無理やり入れられてる感じ」
「だからさ――」
「うん?」
「卒業式には、もうこの制服、着なくていいようにしようよ」
優羅の言葉に、美咲は少しだけ目を見開いた。
でも、驚いたのは一瞬だけで、すぐに頷いた。
「……うん。いいね、それ」
「“卒業”なんて、私たちには意味ない。だから、自分たちで“終わり”を決めよう」
その“終わり”が何を意味するのか、ふたりとももう知っていた。
「最期に着る制服は、きっと、今日だよ」
その夜、ふたりはいつもより長く連絡を取り合った。
LINEのやり取りが続き、深夜1時を過ぎても途切れなかった。
『もし今、どこか遠くに逃げられるなら、どこに行きたい?』
『どこでもいい。優羅さんがいれば』
『じゃあ、逃げるのはやめようか』
『うん。もう、逃げるのも疲れたから』
スマホの画面に滲むような文字たちが、ふたりの心を結び直していく。
『明日、屋上で待ってる』
『うん。制服で、ね』
それはまるで、ふたりだけの“卒業式”の約束のようだった。
翌日。
快晴。空は眩しすぎるほど晴れていて、それが逆に不穏だった。
屋上の扉を開けると、美咲はすでにいた。
制服のまま、柵の前に立ち、風に髪をなびかせていた。
「……来てくれた」
「当然でしょ」
優羅も制服姿だった。
しわも汚れもない、最後の“綺麗なかたち”で。
「ねえ、優羅さん」
「なに?」
「私たち、ほんとうにここまで来ちゃったんだね」
「うん。でも、不思議と怖くないよ」
ふたりは柵の前に並んで立つ。
眼下には街と、道路と、通学路。ふたりが生きてきた“日常”が広がっていた。
「ありがとう。ここまで一緒にいてくれて」
「私こそ。あなたがいなかったら、とっくに終わってた」
「……ねえ、怖くなったら、手を握ってもいい?」
「ううん。怖くなる前に、握って」
ふたりの手が、静かに重なる。
どんなに拒んできた“触れ合い”も、今は必要だった。
「これが、最期の制服姿」
「うん。誰にも見せない、私たちだけの卒業」
「じゃあ、行こうか」
そう言った瞬間――
突然、屋上の扉が開いた。
「優羅! 美咲!」
先生たちの声。足音。怒鳴り声。複数の大人たちの影が近づいてくる。
優羅と美咲は、ほんの一瞬だけ視線を交わした。
その目は、“壊れる前に守りたかった”という後悔と、
“ふたりなら大丈夫”という祈りと、
そして“もう終わりたい”という決意が混ざっていた。
その手は、決して離れなかった。
たとえこの結末が、“地獄への卒業式”だったとしても。
制服のすそが風に揺れた。
それが、ふたりにとっての“最期の制服姿”だった。
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