「ねえ、優羅さん。死ぬのって、どっちからがいいと思う?」
その日もふたりは、屋上ではなかった。
あの日の騒動以来、学校側の監視が強まった。屋上は鍵がかけられ、ふたりがひとりになれる場所は少なくなっていた。
今、ふたりが並んで座っているのは、川沿いの公園のベンチだった。
夕暮れ、誰もいない静かな場所。聞こえるのは川の音と、時折通る自転車のタイヤの軋む音。
「……私が先に死んだら、美咲がひとりになるでしょ」
「うん。でも、優羅さんが残るのも、イヤだな」
「……どっちも残したくないってこと?」
「うん。どっちも、置いていきたくない」
夕日が沈みかけて、空は茜色に染まっていた。
ふたりの影が、長く、細く伸びて、重なっていく。
「じゃあ、一緒に、同時にってどう?」
「ロマンチック」
「……皮肉だよ」
「ふふ。でもね、ほんとに、真剣に考えてる」
美咲の声はふわりと軽く、それでいて芯があった。
「私は、“生きる”より“死ぬ”方に希望がある気がしてる」
「私も、そう思う」
「生きてると、息が詰まるんだよね。毎日、“普通”のフリして、誰にも本音言えなくて、ずっと息止めてるみたいな感覚」
「うん。だけど、美咲といるときだけ、呼吸ができる」
「それって、嬉しいけど、悲しいね」
「……なんで?」
「だってさ、ふたりでしか呼吸できないなら、世界にはもう戻れないじゃん」
優羅は、それ以上何も言えなかった。
ただ、美咲の手を取って、指先を絡めるように握った。
ふたりの手は、いつからか自然に重ねられるようになっていた。
でも、そこにあるのは安らぎじゃなく、覚悟だった。
「ねえ、もし死ぬなら、どこがいい?」
「んー……どこか高い場所。空が見えるところ」
「じゃあ、橋の上?」
「うん。飛び込んだあと、もう何も見えなくなるくらい、綺麗な空がいい」
「最期に見るのが空って、なんかいいね」
「でも、やっぱり怖いよ」
「うん。私も」
「じゃあさ……」
「ん?」
「“一緒に死のう”って、今ここで約束して、でも、すぐには死なないってどうかな」
「……え?」
「約束だけしておくの。タイミングは、そのときの“ふたりの気持ち”で決める。でも、絶対に“どっちかだけ残る”ってことがないように」
「……いいね、それ」
「“片方がいない世界では生きない”って、約束」
「約束」
ふたりは同時に、小指を差し出して結んだ。
儀式のように、静かに、重く、やさしく。
その日から、ふたりは“死ぬ準備”を始めた。
リストカットの深さが、少しずつ深くなる。
ポーチの中にあるカッターは、日に日に鋭さを増していく。
ふたりだけの共有ノートには、死ぬ方法・場所・時間帯――
そして、“遺書のような言葉”が、少しずつ書き加えられていった。
でも不思議と、ふたりは明るかった。
笑いながら未来を壊す準備をしていくその姿は、狂気と紙一重だった。
「優羅さん」
「なに?」
「もし、どっちかが突然“もうやめよう”って言ったら、どうする?」
「……怒る。泣く。許さない。でも、無理には引きずらない」
「……そっか。じゃあ、安心」
「なんで?」
「優羅さんは、きっと最後まで私の気持ちを尊重してくれるから」
「……でも、それって怖くもあるよ。あなたが“消えたい”って思ったら、私も一緒に落ちるってことだから」
「ふふ。共犯、だね」
ふたりは、深く、深く沈んでいく。
普通の世界ではもう呼吸できないふたり。
生きることも、死ぬことも、互いなしでは成立しないふたり。
「じゃあ、最後にもう一回だけ聞くね」
「なに?」
「どっちが先に死ぬ?」
「……それは、内緒」
「え?」
「だって、それは最期の瞬間まで、ふたりだけの“秘密”でしょ」
美咲は微笑んだ。
優羅も、うなずいた。
この“共犯関係”のまま、終わるときが来るその日まで――
ふたりは、誰にも見つからない暗闇を、ただ手を繋いで歩き続ける。