「自分でパンを作って売ってるなんてすごいよ。僕も……食べてみたいな。雫さん、ちゃんと夢を叶えてるんだね」
「私は、希良君みたいに夢を叶えるって程ではないけど、でも、好きなことを仕事にできてることに感謝かな。誰かに、自分のパンを食べてもらえることが幸せで……」
「やっぱり、雫さんはあの人と結婚して正解だったね。あんなに可愛い子もいて、好きなパン作りを仕事にできて。本当に……良かった」
この気持ちは嘘じゃない。
心からそう思えてる自分がいる。
雫さんの幸せは……僕の幸せだから。
「ねえ、希良君は? 結婚……とか」
ちょっと、聞きづらそうにしてる。
「うん、したよ。2歳になる女の子がいる」
「そうなんだ! パパになったんだね。2歳の女の子なんて、すごく可愛い時だよね。希良君……幸せなんだね」
雫さんは、とても嬉しそうな顔をした。
僕が幸せになることは……
あなたの願い……だろうから。
「うん……幸せだよ」
僕は、満面の笑みを浮かべて言った。
これでもう、きっと雫さんは僕のことを気にかけなくて済む。
「希良君は幸せだから大丈夫」って。
いつまでも心配かけてちゃいけないし、今日、ちゃんと結婚したことを言えて良かったって思う。
うん、でも……それと同時に……
「忘れてほしくない」って、複雑で愚かな気持ちが、ほんの少しだけ僕の心に湧き上がってしまった。
「希良君。私、教えてもらった星空……昨年、長野に見に行ったんだよ。希良君が、祐誠さんといつか見に行ってって……言ってくれてたでしょ?」
えっ……
「あっ、そうだったね。あの星空、見てくれたんだ。すごく綺麗だったでしょ?」
「うん、ものすごく綺麗だった。素晴らしい景色で正孝も喜んでたよ。正孝がね、学校の理科の授業で習ったんだって。それで、長野に日本一の星空を見に行きたいって言って。正直、それを聞くまで希良君に言われたこと……忘れてたんだけど」
そっか……家族みんなで見てくれたんだね。
ずいぶん昔の約束、僕も忘れてたよ。
「雫さんに見てもらえて嬉しいよ。でも、長野に住んでるのに、僕はまだ家族とは行ってないな」
「子どもさんがもう少し大きくなったら連れてってあげてね。奥さんも、きっとあれを見たら感動するね」
「そうだね、いつか連れてくよ」
ずっとあなたと行きたいって思ってた。
でも、もう……
僕にも守るべき家族ができたんだから、いつまでもあなたを思い続けることはよくないよね。
ちゃんとわかってるよ……
そんなのずっとわかってる。
だけど、この人を長い間想ってきた気持ちは、自分が思う以上に、どうしようもなく果てしなく深くて。
あなたは、僕の心の中にどこまでも存在し続けて……
黒板にマジックで書いた文字を、必死に黒板消しで何度も消そうとするみたいに……
いくら頑張ったって、どうしても消えないんだ。
男は未練たらしいってよくいうけど、あれは……正論だ。
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