ニシルを残して行くことを気にしながらも、それでもチリーは青蘭と共に遺跡の階段を登っていく。
そこに会話はなかった。
ただ淡々と、二人は階段を駆け上っていく。
もう、何もかもぐちゃぐちゃな気分だった。
力や富をぼんやりと求め、何なのかもわからない”何者か”になろうとした旅路。その果てに待っていた突拍子もない喪失が、全てを狂わせてしまった。
駆け上った階段の先では、石の扉が待ち受けている。
見た目は扉のようだったが、取っ手も存在せず、まるでただの石の壁のようだった。ゲルビア兵達がここで立ち止まっていたのは、恐らくこの扉の開け方がわからなかったからだろう。
破壊するにはあまりにも分厚い。これを破壊するには、大砲の一つでも持って来なければならないだろう。
「クソ……なにかねえのか!?」
立ちはだかる壁に、チリーは苛立ちを隠せない。
あまり時間はない。このままここで立ち往生している余裕は一秒だってないのだ。
状況的な問題も多かったが、チリーと青蘭が何より恐れていたのは……ティアナの死が”深く”なることだった。
人の身体は、生命活動を終えればそこで全てが止まるわけではない。死んだ身体は腐敗し、朽ちていく。
変わり果てたティアナの姿を想像するだけで、チリーはどうしようもない焦燥感に駆られてしまう。
「……ルベル、周囲をくまなく探すぞ。中に入る手段がどこかにあるかも知れない」
入り口がここだけではない可能性もある。それに、この遺跡は古い建造物だ。脆くなっている部分があれば、青蘭の膂力なら破壊して中に入り込めるかも知れない。
チリーが頷き、手分けして遺跡の周囲を調べようとした――その時だった。
「……!?」
突如、石の扉が薄ぼんやりとした輝きを放つ。それと同時に、石の扉は一人でに動き出し、右側にスライドするようにして開いていく。
その様子から、チリーは思わず連想してしまう。
アルケスタの大図書館で、ティアナが開いたあの隠し通路を。
「……ティアナ?」
青蘭が背負っているティアナに問いかけても、当然応えはなかった。
彼女は死んでいる。それは間違いない。
「……ルベル、考えるのは後だ。中に入るぞ」
「一々指示すんじゃねえ。わかってるよ」
ぶっきらぼうにそう答えて、チリーは遺跡の中へ進んでいく。その後ろを、ティアナを背負ったまま青蘭が続く。
中に光源はなく、薄暗い。もう何年閉じ込められていたのかもわからない空気が、逃げるようにして大気中へ散っていく。淀んだ空気の残党を吸い込むと、むせ返るような気持ち悪さが喉に絡みついた。
封じられていた遺跡を暴き、伝説の秘宝を求めて探索する。胸躍るような冒険のハズなのに、二人の中にあるのは焦燥感ばかりだ。周囲を警戒する余裕もなく、二人は足早に遺跡の中を進んでいく。
中は一本道の通路で、罠も何も無い。上下左右、全てが石に囲まれた通路は長い石棺のように思えてくる。
ここが、旅の墓場のようで。
「ルベル……」
不意に、青蘭が口を開く。
「……ンだよ?」
「これで……良いのだろうか」
青蘭にしては珍しい、漏れ出すような弱音だった。
「死を覆すことは……この世の道理に反する……。俺達は、ティアナを蘇らせて良いのだろうか……?」
死は摂理だ。
生きとし生けるものは必ず死ぬ。それがこの世の道理だ。
それを覆すことの是非は、チリーにも青蘭にもわからなかった。
「……道理もクソもねえよ。お前も見ただろ、外のバケモンを」
テイテス王国内を荒らし回る謎の怪物。チリーにはあれが、この世の道理に沿った存在だとは思えなかった。
「あんなモンが暴れ回る世界に、道理なんざねえ」
それに、信じたくなかった。
あの夜、ティアナ・カロルが命を落としてしまうことが、この世の道理だなんて思いたくなかった。
「賢者の石自体、存在するならテメエの言う道理から外れてやがるだろうが」
「……そうだな。すまない」
だが、青蘭が漠然と恐れを抱く感覚も、チリーは理解出来ないわけではなかった。
賢者の石が本当に実在して、それが本当に道理を外れた力を持っているのだとすれば……それを扱うことがどういうことなのか、想像出来なかった。
まるで賢者の石を願いを叶える魔法の石のように思っているが、実態は何もわかっていない。
ただそれが持つとされている大きな力に、理想と願望を重ねているだけだ。
なんとなく、この遺跡の中にあるんじゃないかという実感が二人の中にある。
確証もなければ理由も判然としない、直感と願望が入り混じった泥水じみた感覚だったが。
暗澹たる道が続く。されどその先に光を幻視して。
歩き続けて、急に開けた場所に出た。
既にそこは暗黒の中だったが、闇に目が慣れた二人には中央に鎮座する祭壇が見えている。
厳かな石柱に囲まれた荘厳な祭壇の高さは、大体チリー達の胸元辺りくらいだろうか。
その中心に、闇の中で鈍く輝きを放つ真っ赤な宝石を見た。
「賢者の……石……」
チリーは思わず口にして、その場に立ち竦む。
今すぐにでも手に取って、その力に縋りたい。そんな思いとは裏腹に、実在した伝説に対して筆舌に尽くしがたい畏怖を感じ取ってしまっていた。
それは隣にいる青蘭も同じだ。
そこにあるのが賢者の石だと思えていても、簡単には近寄れなかった。
実在していた。
実在してしまった。
僅かに震えながら隣を見て、チリーの視界に入ったのは背負われたままのティアナの遺体だった。
すぐに、我に返る。
ここで立ち止まっていても意味がない。
何かに弾かれるようにして飛び出した。
そのチリーを、やや遅れて青蘭が追う。
チリーと青蘭が、同時に手を伸ばす。
伝説の秘宝、最大の魔法遺産(オーパーツ)……”賢者の石”に。
願いは同じだった。
ティアナ・カロルの死を覆す。ただそのために手を伸ばした。
紅き石が応える。
赤黒い輝きを伴って。
「――――ッ!?」
次の瞬間、正体不明の力が賢者の石の中から溢れ出す。
それはまるで逆流する巨大な滝だ。
摂理に抗い、道理を無視して、赫く膨大なエネルギーが荒れ狂う。
真っ赤な閃光が大きく膨れ上がり、それは文字通り爆発した。
「なん……で……」
何が起きているのか、チリーにも青蘭にもわからなかった。
ただ賢者の石から溢れ出した力が、無秩序に荒れ狂う。
周囲の景色が、一瞬にして消し飛んだ。
「う……おおおおおおおおッッ!?」
流れ込む流れ込む流れ込む。
飲み込みきれない、身の丈に合わないエネルギーが身体の中に入り込んでくる。
身体の内側がパンパンに膨れ上がるような感覚を伴っても、エネルギーは止め処なく流れ込んでくるのだ。
人の形を保っていられるのだろうか? そんな疑問さえ力が飲み込んでいく。
気がつけば視界は、赤く染まり切っていた。
深く、昏い結末が訪れる。
後に残ったのは、無数の瓦礫の山だけだった。
***
飛んでいる鳥を追っているようなつもりだった。
夕暮れに飛ぶ鳥を追いかけて、どこにもたどり着かずに終わるような、そんな旅のつもりだった。
どこまでも広がる赤い地平線の向こうへ溶けていく鳥に追い縋り、いつまでも走り続けようと、そう思った。
それが全てで、本当は鳥なんてどうでも良かった。
掴みたいわけじゃない。掴もうとする過程だけが欲しかった。
鳥を掴めば血に汚れ。
赤い地平線は堕ちていく。
結末なんていらなかった。
赤く美しい宝石のような過程を、深く昏い結末が染めていく。
そのグラデーションの中から、まだ出られない。
俺達は、どうして何もかも喪わなければならなかったんだ?
「ルベル……ルベルッ!」
かすれた意識の中、青蘭の声が聞こえてくる。
薄っすらと目を開けると、土埃にまみれた青蘭の姿があった。
「青……蘭……」
そう口にして、チリーは強烈な違和感に襲われる。
身体が散り散りに弾け飛びそうな感覚だった。
自分の身体の中で、制御出来ない何かがのたうち回っている。
強い力が、血と共に濁流のように流れているような感覚だった。
あまりの気持ち悪さで身体も起こせず、チリーはそのまま激しくむせ返る。
そうして吐き出せれば良かったが、身体の中を巡り続けるばかりだった。
「……しばらくすれば落ち着くハズだ。俺も目を覚ました時、すぐには起きられなかった」
チリーより先に目覚めていた青蘭もまた、同じ状況だったのだろう。彼の言う通り、しばらくすれば段々と身体の中が落ち着いてくる。
身体を起こせるようになって、チリーはようやく立ち上がってから周囲を見渡して――絶句した。
「なんだ……これ……?」
そこにあったのは、荒れ果てた大地と瓦礫の山だけだった。
テイテス王国の国民も、ゲルビア兵も、怪物も、なにもない。何一つ残ってはいなかった。
一気に、賢者の石に触れた瞬間の記憶がフラッシュバックする。
賢者の石から溢れ出した力が、全てを吹き飛ばしたのだ。
あの暴れ狂う赤い力の奔流が、何もかもを消し飛ばした。
「そん……な……」
虚ろな目で立ち上がり、チリーはもう一度辺りを見回す。
「ニ、ニシル…………」
遺跡の外で待機していたハズのニシルの姿は、もうそこにはなかった。
青蘭が背負っていたハズのティアナの遺体も姿を消している。
否、姿を消したのではない。
「……全部……巻き込まれちまったのか……?」
そう呟いた瞬間、チリーはその場に膝から崩れ落ちる。
この状況に対して、何一つ理解が及ばなかった。
自分達だけが生き延びている理由も、まるでわからない。いっそここが死後の世界であればまだ救われただろう。だがあざ笑うような鼓動が、身体の内で響く。
「……賢者の石の力は……俺達には制御出来なかった。アレは……ただの膨大なエネルギーだったんだ……!」
青蘭の言葉が、耳を通り抜けていく。
「俺達は……触れてはならないものに触れてしまったんだ……ッ!」
ただの膨大なエネルギー。
触れてはならぬ禁忌の魔法遺産。
暴走した力が、全てを飲み込み、何もかもを破壊し尽くしたのだ。
この大惨事が、自分達の手によって起こってしまったという事実に、チリーは心底震え上がる。
何をしたって取り返しがつかない。
たった一人の命を願い、何もかもを喪った。
親友も、夢も、旅も、願った命さえ。
残った抜け殻にたっぷりと流し込まれた正体不明の力が身体を満たす。
空っぽの中に入り込んできて、心のあった場所まで満たしてしまいそうだった。
伝説の赤き石を追い求めた旅路が、幕を閉じる。
がらんどうになったような身体が動かせない。
「俺達は、どうして何もかも喪わなければならなかったんだ?」
***
赤き崩壊(レッドブレイクダウン)の顛末を語り終えて、チリーは一息つく。
胸の中にわだかまっていたものを、少しだけ吐き出せたような気がした。
「……あの後俺と青蘭は当て所もなく彷徨った。何もしねえ俺に愛想尽かして、途中でどっか行っちまったけどな」
赤き崩壊の後、ルベル・C・ガーネットの精神は一度死を迎えた。
何もしない、何も出来なくなったチリーを置いて、青蘭はあの後どこかへ消えてしまった。
青蘭があの時何を思っていたのか、チリーにはわからなかった。何かを考えることを放棄してしまっていたチリーには、他人の感情などわかりようがなかった。
青蘭がいなくなった後辺りからだろうか、チリーがゲルビア帝国から追われるようになったのは。
それが赤き崩壊からどれくらいたった時のことなのか、チリーの中では判然としない。
「俺は……死ねなかった。何もかも放棄した癖に、死ぬ勇気すらなかったんだ、俺には」
生きる意味がもうなかった。
旅も、夢も、仲間も、愛した者も喪って、何一つ生きる理由がなかった。
そうして彷徨って、ペルディーンタウンの洞窟でひっそりと眠りについた。
このまま静かに終わりを迎えてしまいたかった。
「……」
自嘲気味に語るチリーに、ミラルは簡単に言葉を吐き出せなかった。
なんて声をかければ良いのかわからない。
簡単に紡いだ言葉で、辛かったねなんて言えない。
生まれてすぐに失って、その後手に入れたものも何もかも喪った。
どうしてチリーが何もかも喪わなければならなかったのか、ミラルにはわからない。
考えれば考えるほど胸が締め付けられる。
そうしてキュッと絞り出されるようにして、ミラルの目から涙がこぼれた。
「……ミラル? お、おい! なんでお前が泣くンだよ!」
突然泣き始めたミラルに戸惑うチリーだったが、やがてその温かみにゆっくりと気づく。
「だ、だって……こんなの、悲し過ぎる……! なんでチリーが、こんな……」
思えば、ミラル・ペリドットはこういう少女だった。
誰かのために傷ついて、誰かのために涙を流す。いつだって、誰かを想い続けていた。
そんな彼女だからこそ、守りたいと思った。
今度こそ喪わない、守ると誓った。
それが、空っぽの器をもう一度満たしたのだと気付いた。
「……ありがとな」
自分のために泣いてくれる少女が、愛おしくなって思わず抱き寄せる。
栗色の髪をそっとなでて、チリーはミラルを強く抱きしめた。
「俺にはもう何もなかった。賢者の石を壊して、清算して、その先なんか考えちゃいなかった」
深い眠りと孤独は、傷を癒やしてはくれなかった。
がらんどうの胸を、冷たい隙間風が吹き付けるだけだった。
「お前がくれたんだ。新しい理由も、意味も……その先も」
ミラルと出会って、変われた気がする。
壊すだけの力を、守るための力に変えられた。
もう一度、本気で生きようと思えた。
「お前が満たしてくれたんだ。空っぽだった俺を、お前が」
胸の中で泣きじゃくるミラルそう伝えて、チリーは夜の中に身を委ねた。
しばらくこのままでいたい。
辛い記憶で冷えた心を、温めていたかった。
「ありがとう、ミラル。俺はお前となら……もう一度生きてみたい」
これは少女の宿命と、全てを喪った少年の再起の物語。
赤き石を巡る伝説が、もう一度幕を開ける。
彼らが、運命を切り開く。
To Be Continued.