あーあ、今日もまた無駄にした。
やり直しだ、スタートから…。
もう、何度目の失敗だろう。
数えきれない程失敗している。
全てを無駄にしている。
もう、嫌になってくる。
やめてやろうと思った日もある。
でも、これは自分の為だ。
自分が決めた、自分の為の足枷だ。
例えそれが邪魔になろうとも、 絶対に
外せない。過去の自分が外させない。
これはまるでキャンバスに絵の具をのせるような、空気に音を響かせるような、そんなもの。
何もないただの“空白”を色や音で鮮やかに、
より華やかに変化させる。
世界は真っ白で、そこから何にでもなれる。
人はもちろん、動物も、植物も、この世界に存在しているものは全て変化できる。何にでもなれるんだ。でも助けがいる。1人じゃできることが少ない。だからこうやって世界が助け合いで回っている。でも、時折、1人を好む人もいる。そんな人は1人でいい。必要な時に助けてあげればいい。無理に馴れ合わなくてもいい。
無理に慣れ合うとそれが壊れる。壊れたらもう治らないんだ。怖いよね、壊れたくない。
壊れるなんて嫌だ。嫌なんだ!!!!
水中でどれだけもがいても上に上がらない苦しさ、もどかしさ、焦燥、怒り、憎しみ…
世の中にはこんな風に感じる人もいる。
言い方は良くなくても、脳が壊れてしまった 人もいる。
そのうちの1人を僕は良く知っているよ…。
その人の体験談を聞かせてあげるよ。
ゆっくり、着いておいで。
暑い夏がまだ残っている9月頃、僕らの学校は始業式があった。学年は中学3年。受験シーズンに入る前の最後の長期休みが終わった。
この日は特別で転入生がいた。
親の仕事の都合とやらでこの学校に卒業まで
いる予定らしい。今更言うのも何だが、とても端正な顔立ちで興味が湧いた。僕は早速休み時間話しかけに行った。その時聞いた話によると母親は日本人、父親はイギリス人でハーフ。
なるほどと納得した。あの顔は父親譲りだと。
転入生の名はラーナで、女性だが髪型が
ショートなのと顔の影響もあり、どちらかといえば男性に見えるほどのイケメン。
羨ましいほどに女子から大人気だった。
僕は毎日、毎休み時間話しかけた。
学年で1番と言えるほど仲が良くなった。
ある日、ラーナの元気がなさそうだった。
聞くと何でもないと誤魔化されてしまった。
モヤモヤしながらも詮索しなかった。
その日から数日経った日、突然不良グループと言われる男子群と仲良くしだした。
違和感を覚えた僕は放課後ラーナに聞いたが、ラーナは誤魔化し続けていた。
何度聞いても「あの人たちと居るのが楽しくなっただけだ」と言う。
正直、僕はラーナが好きだ。大好きだった。
もちろん今も好きだ。だからこそ心配だった。助けてあげたかった。でも好きだからこそ、
あまり詮索するのは良くないとも思った。
僕は3日ほど連続で聞いた。何度も、何度も。
返答は同じ。なら、言いたくないことなんだからこれ以上は失礼になる。そう思って聞くのをやめた。気にしないようにした。
そうやってラーナと僕はどんどん疎遠になった。前まで近かったはずの距離がずっとずっと遠くに思えるほどには、僕らの、教室の雰囲気が変わってしまった。
日を重ねるごとにラーナは校則を守らなくなってきた。膝下まであったスカートは風でなびけば下着が簡単に見えてしまうほどの長さになった。リボンもつけなくなった。元の顔の良さを覆い隠すような派手な化粧、とても長いネイル、至る所に開けてあるピアス。変わってしまった。汚されてしまった。
そんなことを考えながら何週間か過ごした。
その日は月曜日だった。ラーナが腹痛を訴えてトイレに行った。その5分後に不良グループのトップ、けいが腹痛でトイレに行った。
怪しいとは思ったが偶然だと言うことにして気を落ち着かせた。10分ほど経ったら2人同時に帰ってきたら。誰も何も触れなかった。
そこから1週間、毎日同じことがあった。
酷い時は1日に3、4回もあった。
1週間がたった金曜日、僕も着いていくことにした。けいがトイレに行った2分後に僕もトイレに行った。陰から隠れる様にして中を覗いた。微かに聞こえてくるラーナの声、音、全ての情報が僕の脳内に入った。ショックだった。教室に帰ろうとした。その時、うっかり足元にあったバケツにぶつかった。音を立ててしまった。見つかった…。あの状態の2人に。最悪な気分だった。しかもけいは僕がラーナのことを好きだったと知っていたらしい。僕もこの件に巻き込まれた。目の前でけいに穢される様子を脳内に焼き付けさせられた。
感触も残ってしまった。来週もするから来いと 言われてしまった。
こうなっては学校に報告出来ない。
結局毎週、毎日のように僕はトイレに通った。最低だと今でも思っている。
そんな事があったせいだろう。
ラーナが壊れた。
ラーナのあの綺麗な瞳から光が消えた。
肌の透明感も髪の艶も全てそのままなのに、
瞳だけが後から取ってつけた様な異様なもの。
そんなラーナと出会った瞬間、ラーナが人形になってしまったと思った。怖くなった。受験が近付いても回数は減らなかった。
僕は行くのをやめた。どうなったかは知らない。卒業式を最後にラーナを見なくなった。
もうラーナを忘れかけている時に僕らは出会った。
目の前から歩いてくる女性。
ラーナで間違いない。だが、当時と違って
ボサボサの髪、ハリのない肌、ケアのされていない爪、ピアスだけは変わらなかった。
もう1つ変わらなかったものがある。
あの異様な瞳だった。
ゾッとした。
目が合ったとき「こうなったのは僕のせいだ」と言われた気がした。それ程恐ろしく感じた。
だがその瞳に魅力を感じる様になってしまっていた僕は以前より壊れたラーナを連れて行った。人形の様になってしまった
ラーナは今の僕にはとても都合が良かった。
罪悪感も感じながら、ラーナを穢したけいの上書きを僕がした。
そうして1日経って気が済んだ僕はラーナを家に帰した。僕も家に帰った。
これがラーナとの最後の出会い、別れだった。
そして今僕はラーナと会いたい。
だからラーナを一生懸命思い浮かべる。
そして冷たい粘土を触る。
びちょびちょに濡れた手で形を作る。
手に残り続ける感触を思い浮かべる。
僕がそうやって作れるのは身体だけだった。
始めはあの端正な顔に惹かれた。
なのに今はあの身体しか出てこない。
顔がわからない。
顔を作ってもラーナじゃない。
だから僕はやり直す。
乱暴に潰した粘土をびちょびちょにして跡形もなくしてからやり直すんだ。
そうやって1日がなくなる。
「あーあ、今日もまた無駄にした。」
やり直しだ、スタートから…。
もう、何度目の失敗だろう。
数えきれない程失敗している。
全てを無駄にしている。
もう、嫌になってくる。
やめてやろうと思った日もある。
でも、これは自分の為だ。
自分が決めた。自分の為だ。
例えそれが今の僕の邪魔になろうと関係ない 。
悪いのは過去の自分が思い出させてくれないからだ。
ラーナが壊れたから悪いんだ。
ラーナのせいなんだ。
僕は壊れてなんかいない。
壊れているのはラーナみたいな奴のことを言うんだろ?
そう言った鏡越しの僕の瞳は真っ黒だった。