コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
十月十六日、金曜日。今日は待ちに待った須藤さんとの飲み会の日。
朝が苦手な私もこの日ばかりはアラーム無しで目が覚めた。
ブラウンの遮光カーテンを開き、ゆっくりと朝の光を浴びる。
それからシャワーを浴びて、普段の三倍の時間をかけてメイクをして、この日の為に買ったライトグレーのワンピースに着替えをする。
襟元のビジューが華やかで可愛くて、それでいて子供っぽくなり過ぎないお気に入りのものだ。
白いストールを羽織りバッグを持ち、玄関の姿見の前でしっかりと最終チェックをした私は意気揚々と家を出た。
門を出るとつい習慣でキョロキョロしてしまう。
……よし。今日も大樹はいないみたい。
今週になってから朝に大樹と会わなくなった。
出張にでも行ってるのかと思ってたけど、もう五日目になるし、やっぱり少し早い電車で行くことにしたのかな。
別にいいんだけど、時間を変えるって一言言ってくれたっていいのにな。
何も言ってくれないと、玄関を開ける時、今日はいるかなとか気になってしまうから。
本当に大樹には振り回されてばかりで嫌になる。
駅のホームで定刻より二分遅れの電車に乗り込む。次の駅に着くと、いつもの様に乗り換えの乗客が一気に押し寄せて来る。
「……いたっ!」
人の波の勢いに押されて、勢いよくドアの方に押しやられた。
何て圧力! 後ろのサラリーマンの鞄がわき腹に当たって凄く痛い。
そんな固い鞄持ってるんだから少しは周りの人に気を使えばいいのにと、内心怒りながらも文句を言う勇気はないのでひたすら忍耐。
朝のラッシュの電車はいつもよりノロノロと進み時間がかかる。その間もギュウギュウと押され、せっかくふんわりとセットした髪がボロボロになりそうだった。
ああ苦痛……先週大樹と一緒に乗ってた時は全然楽だったのに。
いつも私の後ろに立っていたけど、ぶんぶん振り回していた結構固そうなビジネスバッグが私の身体に当たって痛くなる事なんてなかったし。
電車に関してだけは、大樹が居なくなったのはちょっと惜しいのかも。
我ながら都合がいいことを考えながら、更にきつくなって行くラッシュに耐え三十分、大手町の駅に到着した。
「花乃、おはよう」
会社迄の道を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「おはよう、沙希」
直ぐに隣に並んできた沙希は、今日は黒いトレンチコートを羽織っていてた。コートの裾からはグレーのパンツが見えている。足元は黒いストラップシューズ。
今日は須藤さんと飲み会だと言うのに、普段の通勤スタイルみたいだ。
先週の大樹との飲み会のときは、体のラインが出るワンピースだったてのに。
「花乃、今日は頑張ってるね」
沙希も私のファッションをチェックしていたらしい。私は当然と頷いた。
「須藤さんとの飲み会だからね。沙希は先週と比べてシンプルだよね」
「まあね。私的には今日は会社の飲み会って位置づけだから。頑張る必要ないでしょ?」
沙希はなんだかとても機嫌がいい。
ここ数日話題には出なかったけど、彼と上手くいってるのかな?
「二週連続飲み会だけど、彼は大丈夫なの?」
先週は結局朝方まで飲んでたって話だし心配させてるんじゃないのかな?
「あれ、言ってなかったっけ? 彼とは別れたんだ。今はフリー」
「えっ、そうなの?」
「そう。この前の土曜の夜にね」
沙希は何でも無いように言う。
今度の彼も短かかったな~確か付き合い期間二カ月くらい?
つい数えてしまっていると、沙希が弾む声で言う。
「井口君のこと気に入っちゃったからね。私、浮気はしない主義だから」
「……は?」
井口って……先週初めて会った大樹の同僚だよね?
黒髪短髪で結構イケメンの……何、その急展開。
「まさか知り合った日に気に入って、その次の日に彼氏とは別れたの?」
唖然として呟くと、沙希は不思議そうな顔をする。
「そうだけど。何驚いてるの?」
何って、あなたのその決断力と行動の早さにです!
沙希って悩んだりしないのかな?
「で、井口君とはこれからどうするの?」
私の質問に沙希はきょとんとした顔をした。
「どうするって、付き合おうと思ってるけど、かなり話が合うんだ。毎日遅くまで話してるから寝不足よ」
「毎日?……遅くまで?」
それってもう付き合ってるって言うんじゃないの⁈
なんて言うスピード。私には付いていけません!
「神楽君には聞いてないの? 健が……あっ、健って井口君ね。神楽君には私と連絡取り合ってること話してるって言ってたけど」
「は、早くも呼び捨て?」
どれだけ先に進んでしまうの?
「その方が呼びやすいでしょ?」
「あ……はい、そうですね」
もう彼氏も同然だもんね。
馴れ馴れしかな?とか気にする必要ないんだよね。
一週間の内に別れと新たな恋の始まりを経験するなんて、さすがは恋多き女。
尊敬半分、呆れ半分な気持ちでいると、沙希が言った。
「ねえ、神楽君とはその後どうなの?」
「どうって?」
「連絡取ってるんでしょ?」
沙希は私をじっと見つめて言う。
なんだか探る様な目をしている?
「連絡なんて取ってないよ。朝も最近見かけないし」
「そうなの? どうしたんだろう」
「さあ? 仕事なんじゃないの?」
適当に答えると、沙希は顔を曇らせた。
「ねえ、この前も思ったんだけど花乃って神楽君に対して冷たくない?」
「え……うん。私大樹が苦手だからね」
沙希の非難する様な目に押され、“嫌いだから”とは言いづらかった。
「何で苦手なの? 神楽君良い人じゃん」
沙希の言葉に私は「はあ」と溜息を吐いた。
またこのパターンだ。
いつもそう。大樹は外見と社交性と要領の良さで、たいていの人に好かれる。
だから私が嫌いって言うと、私の方がおかしい人って思われる。
でも恋愛経験が多くて沢山の男の人を見ている沙希まで、大樹にころっと騙されてしまうなんて。
「この前の飲み会の時も神楽君は花乃にすごく気を使ってた。心から花乃に楽しんで貰いたいって思ってるんだって感じたよ」
「確かに最近はいろいろと気を使ってくれてる気もするけど……でも大樹は誰にでもそうだよ。昔からやたらと要領良く立ち回るんだよね。だから友達も多いみたい。私は昔、嫌なことをされてから距離を置いていて今更仲良くしようって思えないけどね」
もうこの話はしたくない。
沙希は納得をしていない表情だけれど、私はさっさと楽しい話題に戻した。
「ところで、今日のお店ってどんなところなの?」
「ああ、期待していいよ」
予約してくれた本日の飲み会会場は、沙希いわく、「花乃にとってかなり話をしやすい所」らしい。
気になってお店のホームページで見ると確かにお洒落だけれど、沙希の言う話しやすい所という意味が全く分からなかった。
「私のお気に入りの店で照明が一番暗いの。花乃は顔が赤くなる事を気にしてたでしょ? 暗い所の方がその辺を気にしないで話せるかと思って」
「そ、そうなの?」
それは凄くありがたい。薄暗いお店なら顔の色なんてはっきり分からないだろうし、最大の問題は早くもクリアだ。
「ありがとう沙希。さすがだよ」
大樹にもひけを取らない、段取りの良さ。
私の反応で気を良くしたのか、沙希はフフっと笑った。
「お酒も種類が豊富だし、料理もいいからね。注文が多い須藤さんにも満足して貰えると思うよ」
「へえ、料理楽しみだな……ところで須藤さんって注文が多いの?」
おおらかそうなイメージを持っていたから意外だった。
「須藤さんと同じチームの子に聞いたらそう言ってたよ。酒と料理だけじゃなく拘りが強い性格みたいよ、神経質なところもあるみたい」
「……そうなんだ」
なんだか、私の想像の中の須藤さんとイメージが違う?
拘りが強くて神経質って、ちょっと不安だ。うっかり地雷を踏んで気分を悪くさせてしまったら……。
ああ、どうか今夜の飲み会上手く行きますように。