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沙希と別れて自分の席に着き仕事の準備を始めていると、美野里がやって来た。
「おはよう、花乃」
「あっ、おはよう美野里」
美野里はブラウスにスカートの何時も通りの女らしいオフィスカジュアル。張り切ってお洒落して来たのはどうやら私だけみたいだ。
「花乃、今日は頑張ってるね」
美野里が沙希と同じような事を言う。
「うん。かなり早起きしたよ」
「そうなんだ。似合ってるよ」
「ありがと」
美野里は基本的にお世辞を言わない人だから、褒められると嬉しくなる。ちょうどそのとき須藤さんが出社して来る姿が視界に入った。
「あ、来た」
つい声に出してしまうと、美野里もゆっくりと須藤さんの方へ視線を送る。
「あの人、時々ぎりぎりの出社になるよね」
美野里の声に少し非難が混じっている気がして、私は首を傾げた。
「須藤さんだってたまには寝坊くらいするでしょ?」
容姿といい仕事ぶりといい完璧な須藤さんだって人間なんだから、疲れて寝過ごすことは有るはずだ。
起きて五分で家を飛び出しました。みたいな変な寝癖がついてる訳じゃないし、いいじゃない。
今朝の須藤さんはちょっと遅い出社だけれど、艶やかな黒髪は綺麗に整えらられているし、シャツもシワ一つもなくパリッとしている。
だるそうな様子もなく、きびきびと仕事の準備を進めている。
真剣な表情は本当に素敵だ。
「ねえ、花乃」
浮かない声が聞こえて顔を向けると、困り顔の美野里が私を見ていた。
「花乃は須藤さんを過大評価し過ぎな気がするよ」
「え……どこが?」
須藤さんは私だけでなく、皆も認める仕事が出来る男なのに。
「彼は確かに仕事が出来るけど、それが人の全てじゃないでしょ?……今日の飲み会で自分でよく見てみるといいよ」
「え……」
な、何、その不安を煽る予言じみた言葉は。
何だかまるで須藤さんが、良くない男みたいな言い方だけど。
美野里にいろいろ聞きたかったけど始業の時間が迫り、真面目な美野里は縋る私を振り切って自分の席に戻ってしまった。
何だか……不安。
沙希が言っていた“拘りが強くて神経質”と合わせてとっても不安。
でも今日に限ってやたらと仕事が忙しい。絶対に残業はしないと必死に仕事をこなし、余計なことを考える暇などなく退社時間になっていた。
素早く片付けを済ませて席を立ち、トイレに駆け込む。
うちの会社は制服が無いからか、更衣室が無い。
その代わりに、トイレにロック付きの小さな個人ボックスが有り、そこに歯ブラシや必要な小物を仕舞うようになっている。
ボックスから歯ブラシ、化粧ポーチ、ブラシを取り出し、油が浮いてしまった顔の修正と、乱れてしまった髪を整える。
せっせと作業をして十五分。
あまりやる気の無い様子の沙希と美野里もようやくやって来た。
沙希は私をちょっと呆れた目で見て言った。
「やる気に溢れてるのは分かったけど、店の予約は七時半だからね」
「うん、分かってるよ」
誰よりも今日の飲み会を楽しみにしている私が、忘れれる訳がない。
「まだ時間有るし少し残業しようかと思ったんだけど、花乃が凄い勢いで出て行くから」
美野里が自分のボックスからポーチを取り出しながら言う。
どうやら私に合わせて仕事を切り上げてくれたみたい。
「残ってたら仕事を追加されて帰れなくなるかもしれないと思ったから」
でも真面目な美野里まで巻き込んでしまったのは悪かったな。
「ごめん、私ちょっと落ち着き無さ過ぎだよね」
そう言うと美野里はちょっと困った顔をした。
「私の事はいいけど……とりあえず準備が出来たら出よう。業務終了の後だらだら長居するのは良くないし、どこかで時間を潰そう」
「分かった」
美野里に促され、三人でオフィスビルを出た。
沙希が予約してくれた店は、会社から徒歩でも十五分とかからない。
のんびりと歩き途中の目についたカフェに入り、窓際の席に陣取った。
ホットカフェラテで一息着き、通りを行きかう人になんとなく目を向ける。
どこに焦点を合わせでもなくぼんやりと眺めているだけだけど……こうして見ているといろんな人が居るんだなって思う。
でも、どんなに沢山の人が居ても須藤さん程素敵な人はやっぱりいない。
ああ、やっぱり私は須藤さんが好きなんだ。
今までみたいに少しいいなって思うのとは違って、本当に恋をしているんだと実感する。
他の人なんて目に入らない……今日は本当に頑張ろう。
緊張して思い通りに振舞えないかもしれないけど、少しでも須藤さんに近づけるように、コンプレックスを克服したい。
沙希と美野里とカフェで時間を潰してから、予約の五分前に着くように店に向かった。
ウエイターに案内され席に着く。
沙希が言った通り店の中はほの暗く、私にとっては凄く心強い環境だった。
キョロキョロと店内の様子を観察していると、美野里が浮かない声で言った。
「須藤さん達遅れるのかな?」
「え?」
反射的に腕時計に視線を落とす。
時刻は七時三十八分。確かに約束の時間より少し遅れている。
「何の連絡も入ってないけど」
沙希がスマホを確認しながら眉をひそめる。
「……仕事を抜けられないのかな」
急なトラブルとかで連絡も出来ないのかもしれない。
そう思って発言したけれど、沙希は不満そうな表情でばさりと言った。
「全員が仕事って事はないだろうし、もしそうだとしても連絡くらい出来るでしょう?」
「……でも、まだ10分も経ってないし、もう少しで来てくれるよ」
正直連絡くらいして欲しいなって須藤さんびいきの私でも思う。
でも、仕事をしてたら頑張っても間に合わないときも有るし、連絡が難しい場合も有るかもしれないよね。
そうやって自分に言い聞かせながら須藤さんの到着をひたすら待った。