テラーノベル
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「⋯⋯ソーレンさん」
それは
ほんの一瞬の隙を突いた囁きだった。
打撃の応酬の合間
時也の顔が直ぐ傍に迫ったその刹那
ソーレンの耳元にだけ届くように
低く、静かに紡がれた声。
ソーレンの動きが、僅かに鈍る。
だが
それを許さぬように拳が迫る。
咄嗟に身を捻って躱すと
時也の声が続いた。
「⋯⋯どうやら、この施設は⋯⋯」
言葉は分断されることなく
流れるように繋がれていく。
拳が交わり
肘が弾かれ
脚が掠める。
「フリューゲル・スナイダーの傘下です」
(──っ!)
拳を躱しながらも、その名が耳朶を打つ。
ソーレンの脳裏に、一気に緊張が走る。
だが、相手は時也。
会話を続けながらでも
その構えには一切の隙がない。
「どうやら⋯⋯
資金調達の一つ、なのでしょう」
(⋯⋯なら、どうする?)
ソーレンの思考は
言葉ではなく、心で返す。
声にならずとも
読まれているのを前提に。
「観客の中には、粗暴であれど
一般人も居ます。
一網打尽は、難しいでしょう」
まるで戦いの中に
呼吸するように混ざる言葉。
その緻密な情報の流れに
ソーレンの苛立ちが浮かぶ。
(⋯⋯この冷静さ、本当⋯ムカつく)
それでも、しっかりと耳を傾ける。
時也の手が
ふと袖の中へと滑り込んだ。
闘いの中にあって、不自然な動き。
ソーレンの目が反射的に鋭くなる。
「⋯⋯ですので、今回は⋯⋯
施設の破壊のみに注力します」
袖から取り出されたのは、一枚の護符。
その表には、繊細な桜の印が刻まれていた。
「⋯⋯!」
次の瞬間、護符が時也の指先で千切られる。
空気が震え、風が巻き
音もなく──
桜の花弁が、舞った。
「おい!なんだぁ、ありゃあっ!」
「花なんざ、ねぇのに!?」
その一瞬、観客がどよめく。
幻想的な景色に、驚きと困惑が混ざる。
だが──
それはただの〝演出〟ではなかった。
刃のような花弁が、風と共に流れる。
一枚一枚が鋭く
皮膚を裂くような気配を帯びていた。
「⋯⋯っく!」
ソーレンは、反射的に腕で花弁を払う。
だが力任せでは斬られる。
面で受け、流し
切り裂かれぬように
緻密に、正確に。
(⋯⋯くそ、能力解禁ってことかよ!)
その時、足元から何かが
〝破る〟音がした。
リングの床が軋み、突き上げられる。
板の隙間から覗いたのは──
植物の蔓。
その蔓は瞬く間に伸び
リングの柱に絡み
さらに根を張るようにして
床を突き破っていく。
「はい。
避難が済むまでは⋯⋯
リングのみでいきますよ?
中央で破壊が始まれば、人は皆
後ろへ逃げていかれるでしょうから」
時也の声は、変わらず穏やかだった。
リングの中央には
花弁と蔓と、芽吹いた枝が溢れていた。
その美しさと異様さに
観客たちは最初こそ見惚れていた。
だが──
それが
現実に破壊していると気付いた瞬間
場内に緊張が走る。
「⋯⋯おい、あれ⋯⋯!」
「やべぇ⋯⋯何か、おかしい⋯っ!」
どよめきが悲鳴に変わるまで
時間はかからなかった。
リング周辺の観客達が
椅子を蹴って逃げ出す。
足をもつれさせ
悲鳴を上げながら後方へ殺到していく。
舞い散る桜の花弁は
美しさの中に鋭利な死を秘めていた。
そして
成長を止めない植物の枝が
リングを押し広げ、歪ませていく。
その中心で
ソーレンと時也はなおも立ち
互いに視線を交わしていた。
それは、ただの〝決闘〟ではない。
破壊と演出
情報と連携
言葉と拳──
すべてを交えた
喫茶 桜による〝宣戦布告〟だった。
⸻
観客が疎らになり始めた頃
ソーレンは視線を横に流しながら
周囲の動きを鋭く観察していた。
観客席を囲むようにして現れるのは
地下格闘技場に雇われた私兵達。
重装備の警備員
耳にインカムを付けた運営の男達。
そのどれもが
無言のままリングを包囲するように
銃口をこちらへと向けていた。
一つ、また一つ。
スライドの音が、次々と鳴り響く。
金属が擦れ合う乾いた音が
異様な緊張を場内に張り巡らせる。
そして
指揮官と思しき男が
怒号のように声を上げた。
「撃てッ!!」
一斉に、銃火が迸る。
火花と発砲音が重なり
怒涛のようにリングへと弾丸が殺到する。
その刹那。
「無駄だぜ」
ソーレンの口元が歪む。
次の瞬間
二人の周囲に、見えない壁が展開された。
空気が歪み、銃弾が触れた瞬間
軌道を止めて宙に絡め取られる。
重力の壁。
密度を操作し
空間そのものを押し返すような防壁だった。
弾幕をものともせず
ソーレンは片腕を振り抜く。
その瞬間
銃弾の向きが変わり
重力のベクトルを纏って逆流する。
「ッ──!」
銃を放った者達に向けて
自身の放った弾が
倍の速度で返された。
しかも
それだけでは終わらない。
「⋯⋯参ります」
時也が静かに口にすると
掌に再び護符が現れた。
指先で払われた護符が舞い
空中に無数の桜の花弁が咲くように広がる。
重力の奔流に、刃の花弁が混ざる。
ソーレンが放った銃弾の嵐と
時也の花弁が
まるで嵐の双翼のように
敵陣を飲み込んでいく。
「ッぐああああッ──!」
「うわ、あああっ!」
花弁は皮膚を裂き、銃弾は肉を抉る。
リングを囲んでいた者達は
悲鳴を上げながら次々に倒れていった。
その嵐の中心にて
時也が煙の向こうから
ソーレンの方へ顔を向けて言った。
「⋯⋯久しぶりの貴方との組手
楽しかったですよ」
時也は微笑み
袖を揺らしながら姿勢を崩さずにいる。
「へいへい。
⋯⋯どうやら俺は
まだまだ甘いって事が解ったよ」
時也の笑顔に調子を狂わされるように
ソーレンは頭を掻いた。
「ふふ。
では、ここからが本番です。
貴方が最も得意とする〝破壊〟です。
存分に⋯⋯暴れましょう」
「⋯⋯なんか、お前⋯⋯
珍しくテンション高ぇな?」
「滅多にありませんからね
こういう〝合法的な破壊〟は」
時也がそう言った時
リングの床が再び揺れた。
足元から
植物の蔓が勢いよく突き上がる。
それは天井まで伸び
鉄筋をへし折り、照明を引き裂く。
ソーレンはその隙に前方へ跳び
壁に駆け上がると
接近してくる私兵の肩を踏み台にして跳躍
空中で身体を回転させながら
鉄骨へ全力の蹴りを叩き込んだ。
鈍い音と共に、梁が軋む。
天井の一角が崩れ落ち、粉塵が舞う。
床、壁、天井──
あらゆる箇所に蔓が這い
花弁が舞い
重力が歪む。
この空間は
もはや〝各闘技場〟ではなかった。
ー〝戦場〟だったー
二人が自らの意志で変えた
破壊と制裁の場所。
そして、その中心には
微笑みながら着物を揺らす男と
獣のように暴れる長身の男が立っていた。
破壊は、まだ始まったばかりだ。
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崩壊寸前の闘技場に響く、獣の咆哮。 血と鉄と花弁の嵐を踏み越え 重力を纏った拳が、最後の狩りを始める。 逃げ場なき戦場を支配するのは、ただ一人──