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「もしかしたら奈央子さんには何か予感めいたものがあったのかも知れんな」
ふいに落とされた栄蔵のつぶやきに、芽生は目の前の老人を見詰めた。
「わたしが死にかけているというニュースを観て、居ても立っても居られなくなったと言っていたそうだから」
細波鳴矢を跡継ぎ候補から外そうと考えた栄蔵は、病床へ鳴矢を呼んで告げたのだ。
『わたしには遺産を相続させるべき人間がいない。縁あってお前をわたしの跡目にしようとうちへ引き入れたのはわたしの判断だ。だが数年かけてお前を育ててみて分かったが、お前には上に立つ人間としての素質がない』
そこまで言ったときに見せられた鳴矢の歪んだ顔が、栄蔵には忘れられない。それはそうだろう。自分にはさかえグループのトップの地位が約束されていると思っていたんだろうから。だが、栄蔵にはグループの皆を守る責任がある。鳴矢にもう少し上へ立つ者としての品位や知性が備わっていたならばあるいはと思い、目を掛けてきたつもりだったのだが、何年かけても及第点に遠く及ばなかった。残念だが、血縁にこだわって鳴矢をトップに据えるのはリスクが高すぎると判断せざるを得なかったのだ。
(息子さえ生きていれば……)
そう思わなかったわけがない。栄一郎にも全く問題がなかったわけではないが、親としての欲目を差し引いても、鳴矢より遥かに優れた素質を持っていた。
『なんの補償もなくその地位を剥奪するのはさすがに忍びない。だからな、鳴矢。わたしが死んだら、財産の十分の一は跡継ぎ候補から外す代償として、お前にいくよう遺言状を書き直した』
残りは会社へ。
もともと栄一郎が亡くなった時、会社へ一〇〇%引き渡すつもりだったものを、十%ほど差し引いて鳴矢へ渡す。それが、栄蔵に出来る精一杯の譲歩だった。
栄蔵の遺産は、十分の一でも彼とその母親がつつましやかに暮らしていくには申し分のない額だ。
仕事だって配置転換はしても解雇するわけではない。鳴矢さえその気であれば、さかえグループ社員としての立場は保障するつもりだった。
鳴矢は栄蔵から見ると、母方の従妹・鳴海の子、つまりは〝またいとこ〟にあたる。
すでに栄蔵の妻・澪は鬼籍に入っているので、法定相続人の順位でいくと第一位は子の栄一郎のみだったのだが、こちらもすでに亡くなっている。第二候補の親や祖父母も皆この世にはいない。加えて栄蔵は一人っ子だから、第三候補の兄弟姉妹や甥・姪も存在しない状態だ。
遺言書がなければ栄蔵の死後、 遺産は国庫に帰属になってしまうから、栄蔵は栄一郎が亡くなったのち、苦渋の決断で遺言書を作成した。
それを少し改変して鳴矢にもほんの少し相続の権利が発生するようにしたのだが、栄蔵に孫がいるとなると話が違ってくる。
奈央子は、娘を失ってから二十年以上ずっと……。どこかで生き伸びていて欲しいと希ってやまなかった孫が、栄蔵の不調をきっかけに娘たちみたく命を狙われるようになるのではないかと心配になったらしい。だからこそ禁忌を破ってでも栄蔵に連絡しなければ、と強い使命感にかられたのだと使いの者へ語ったそうだ。
『孫が殺されたとは思えないんです。殺すつもりがあったなら、赤子のこと。そのまま娘と一緒に川へ沈めればよかっただけ。でもそうじゃなかったから……。考えたくないですが、きっと犯人だけが沙奈が産んだ子の居場所を知っているはずなんです! いつか何かの時に利用出来ると考えてのことかも知れません!』
そう告げた奈央子の瞳は涙に潤んでいたけれど、力強い光を宿していたと使者から報告を受けている栄蔵だ。
「奈央子さんは……沙奈さんと栄一郎さんのこと」
芽生の問いに、栄蔵は吐息を落としながらも「自殺なんかじゃないと信じているようだよ」と即答した。
正直、息子に関しては栄蔵も他殺だと思わなかったわけじゃない。
そもそも中村母娘を追放した場所での死というのが、余りにも不可解だ。
そこへいたということは、息子はきっと沙奈へ会いに行ったに違いない。会ったから自殺したのか? それとも会えたから誰かに殺されたのか?
栄蔵は息子の死を知った当時、そんなことが頭の中をぐるぐるしたのを覚えている。
いずれにせよ自分が二人を引き離さなければそんなことにはならなかったという負い目が、真実を突き止める気持ちにブレーキを掛けてきた。
だが、もうそんなことを言っていられる状況ではない。
奈央子の話によると、栄一郎は亡くなる直前、沙奈との間に子が出来たのを喜び、栄蔵を説得すると意気込んでいたという。
だとしたら息子の死因は、自殺であろうはずがない。
腹心の者が奈央子の元から帰ってきてすぐ、栄蔵は鳴矢を呼んで、一か八か。『栄一郎が残した子供がどこかで生きているかも知れない』と鎌を掛けた。『わたしはその子を探し出すつもりだ。もし可能ならお前にも力を貸して欲しい』と。
栄蔵の言葉を聞いた鳴矢は、真っ先に遺言書が書き換わるか否かを聞いてきた。
それはそうだろう。
鳴矢にとってはそれが一番気掛かりなのだろうから。
栄蔵は鳴矢に『書き換えることにはなるが、お前への分配金額は変わらないよう配慮する』と答えた。『書き換えるのは会社へ残す額の方だから』と。
鳴矢は上に立つ人間としての器でこそなかったが、頭が悪いわけではない。きっと、それだけで残りの九割が孫娘にいく可能性を考えたはずだ。
栄蔵は、それに思い至った鳴矢がどう動くかを注意深く観察するつもりでいた。
孫が男の子か女の子か、鳴矢へ告げなかったのもわざとだったが、鳴矢はそれを何故か訊いてこなかった。その時点でグッと鳴矢への不信感が高まったのは言うまでもない。
奈央子から沙奈のお腹にいた子は女の子だったと報告を受けていた栄蔵は、唯一の法定遺産相続人である子が、結婚適齢期の異性だと知った場合、鳴矢がどう動くか……何となく察しがついていた。
孫が無事見つからなかった場合、栄蔵の資産はほとんど全てが会社へ渡ると示唆していたのは、もしものとき孫に危害が及ばないようにするための保険のつもりだった。
悪知恵の働く鳴矢のことだ。もしも彼が孫の居場所を知っていたとしたら、栄蔵の全財産を手に入れるため、何としても孫を取り込もうとするはず。
そう思っていたのだが――。
まさか栄蔵が孫娘を探し始めるよりも遥かに前の段階で、鳴矢が用意周到にも孫娘への接触をはかっていたとは考えもしなかった。
もっと言えば鳴矢を跡継ぎにしないと告げるより先、息子に靡かない孫娘へ鳴海が短慮を起こして、唯一の法定相続人である芽生を亡き者にしようとするだなんて思いもしなかったのだ。きっと鳴海は栄蔵の血を引く孫さえいなくなれば、跡継ぎとして嘱望された鳴矢に田畑家の資産相続のチャンスが訪れると考えたんだろう。
鳴矢に跡継ぎの資質がないと通告したあと、細波母子はきっと、あのとき芽生を殺さなくて良かったと心底安堵したに違いない。
奈央子から聞かされた話を総合して鑑みるに、沙奈が産み落とした赤子を攫い、『陽だまり』へ捨てたのはきっと細波鳴海だ。
栄一郎が沙奈に話したという〝遠縁の者〟も鳴海だろう。
栄一郎が亡くなった当時、鳴矢はまだ七つかそこらの子供だったから、そうとしか考えられなかった。
物証こそなくて追い詰められないでいたけれど、鳴海にはある程度警戒をしていた栄蔵である。だが、まさか鳴矢までがそこまで卑劣な真似をするとは思わなかった。鳴矢が、芽生を何らかの形で自分の前へ連れてきたら、そのときに彼女を保護すればいいと安直に考えていた自分の浅はかさを呪いたくなった栄蔵である。
鳴矢が芽生を自らの伴侶として栄蔵に紹介したいと言ったとき、栄蔵は芽生が鳴矢の美貌にほだされたのかと思っていたのだ。実際鳴矢は見た目だけならかなり見目麗しい。加えてさかえグループに勤めているというステータスもあったから、女性らによくモテていることを栄蔵は知っていた。
きっと孫娘も、そんな鳴矢に言い寄られて舞い上がって、結婚を了承したんだとばかり思っていた。だが、ふたを開けてみればそうではないことがわかって、ゾッとしたのだ。
(あやうく、栄一郎と沙奈さんの二の舞になるところだったじゃないか)
芽生が幼い頃から傍にいたという相良京介が、もしも芽生を守ってくれていなかったなら、可愛い孫娘はいま自分の目の前にいてくれただろうか?
奈央子から連絡があるまで、自分に孫がいることすら知らなかった栄蔵が、鳴矢の行動から割り出した孫娘と思しき女の子へ監視役を付けられたのは、本当につい最近のことだ。だが栄蔵が頼んだ人間は、相良ほど芽生に対して親身になってはくれなかった。そればかりか、芽生がヤクザ者と関わっているというだけで尻込みするような役立たずだった。
芽生の傍らにいつも相良がいたことが裏目に出たといえばそれまでだ。だが彼がいたことで救われたことの方が多かっただろうことも理解している栄蔵は、相良に対して恩義すら感じている。
最愛の息子には相良のような頼れる存在がいなかったから……あんな悲劇的なことになったのではないだろうか。
そうして栄一郎に手を掛けたかもしれない鳴海が、自分の息子をいけしゃあしゃあと栄一郎の後釜に推してきたと思うと、反吐が出そうだ。
細波母子がここまで汚い人間だと知ってしまった今となっては、相良のような存在も必要悪に思えた。
思い起こせば、全てが後手ばかり。後悔の連続な栄蔵なのだ。そんな自分がもう二度と同じ轍を踏まないためにしなければならないことはただひとつ。
今現在、栄蔵の目の前にいる孫娘を守るため、細波母子に断固とした処置を――。
きっと芽生のすぐ横にいる相良京介は、細波母子がしてきた全てのことを知っているはずだ。
堅気ではない彼らの手にそんな二人の命運が委ねられているというのなら、自分は秘密裏にでも相良京介が属する団体をバックアップしようではないか。
そんなことを考えていたら、今まで想い詰めたように押し黙っていた芽生が、ポツンとこぼした。
「沙奈さんは……赤ちゃんのこと、要らないって思ったんでしょうか」
その言葉に栄蔵は思わずと言った具合に芽生を見詰めて、「そんなことはない!」と即座に否定した。
「でも……沙奈さんはきっと、ひとりで子供を産み育てることを不安に感じていたんですよね? だから安全に産めるはずの産院ではなく、私的に出産することを選んだんじゃ? そうすれば赤ちゃんだけじゃなく、沙奈さん自身の命も危険にさらされます。なんだかまるで、赤ちゃんと一緒に死にたがっていたみたいじゃないですか」
芽生は、自分が親から望まれてこの世に生を受けたんじゃないと感じて苦しんでいるようだった。
「でも結局二人とも死ねなかったから、私だけ助かるよう手配して自分だけ栄一郎さんの元へ……」
消え入りそうな声音でそうつぶやいてうつむいた芽生に、栄蔵は適切な言葉を見つけられないままに口籠る。
そんな栄蔵を見かねたんだろうか。京介が口を開いた。
「なぁ芽生よ。俺にゃー子供を産んだ母親の気持ちなんざ少しも分かんねぇがな、わざわざ赤ん坊の身内がいるこの街へ生まれたてのガキぃ連れてきて孤児院へ捨てて行く意味が分かんねぇわ。普通に考えてここまで出向いてきたんなら、何が何でも爺さんの所へ乗り込んで、恨み節のひとつでもぶちまけてから赤子、押し付けていくだろーがよ」
――そうなっていないのなら、へその緒も外れていないような芽生をこの街に連れてきたのは産後すぐの沙奈ではないし、ましてや捨てたのだって彼女じゃない。
言外へそう含めた京介に、芽生が泣きそうな顔をする。
「私、お母さんに……捨てられたんじゃ、ない?」
芽生の言葉に、栄蔵がゆっくりと頷いて、京介も「当たり前だろ」と太鼓判を捺す。
「お前自身位は死んだ両親と、そこへいる爺さんや、遠くにいる婆さんからクソほど愛されてるって胸張っとけや。本来なら生まれた時からずっと受けられるはずだったそういうモンをお前から引き剥がしたのは、親父さんやお袋さんの命を奪った人間と同一だ。だからな、芽生。馬鹿どもに踊らされて家族の愛情とかそういうのだけは疑ってやんな。――な?」
そこで京介に抱き寄せられた芽生は、「うん、うん……」と何度も頷きながら、ポロポロと温かな涙を落とした。
コメント
2件
めいちゃん、京ちゃんの言う通りだよ!
うわ、第27話も重すぎる……でもめっちゃ良かった。栄蔵がここまで細波親子を警戒してたってのがじわじわ効いてくるな。鳴海が赤子を攫って陽だまりに捨てたっていう流れ、確かにそうとしか考えられないし、鳴矢が芽生に近づいたのも全部計算ずくってのがゾッとする。 でも何より刺さったのは「捨てられたんじゃ、ない?」って芽生の問いかけと、それに対する京介の返しだわ。母親に捨てられたと思い込むの、めちゃくちゃ辛いよな。でも京介が「当たり前だろ」って太鼓判押すシーンで泣きそうになった。この2人の信頼関係、ガチで尊い。 栄蔵が「相良みたいな存在が必要悪」って認めたのもデカいし、ここからどう細波親子を追い詰めるのか超気になる。次回、待ってます🔥
鷹槻れん

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鷹槻れん

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月詠 涼
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