都の昼下がり。 一行の姿は、郊外の巷路に面した軽食屋の店内にあった。
軽食屋とは言っても、営業に必要な最低限の設備をかろうじて整えている印象で、お世辞にも小綺麗な店とは言えない。
黄ばんだ壁紙はあちこちが破れており、果てには壁そのものに拳骨サイズの穴が空いている。
フロアを見ると、割れたグラスや先のひん曲がったフォーク等が気ままに散乱し、壊れた椅子が投げ出されるように放置されていた。
居心地について言及するのは野暮だが、これは余りにもあんまりだ。 入店した折りからずっと、葛葉の口は曲がったままだった。
とは言え、そもそも店舗の数が少ない町外れ。 苦労して見つけた飲食店なだけに、席を蹴るのも気が引けた。
何より、場面が場面である以上、無関心を装い立ち去るのは、当人の胆力をもってしても難しい。
「それで、これからどうする?」
顔色を神妙に取りなした老人が、向かいの席に問いかけた。
果たして、そこにはかの虎石なる男性が掛けており、横柄(おうへい)な態度でこれに臨んでいた。
黒ずくめの徒輩による懇(ねんご)ろな手当ての甲斐あって、早くも身を持ち直した彼であるが、もちろん全快とはいかず。
時折り不調を来(きた)しては、脂汗を浮かべて“んっ!”だの“んぐっ!”だのと都度ごとにうめき声を漏らす始末だった。
にも関わらず、いまだに高姿勢を損なわない辺り、彼の人柄と言おうか。 負けず嫌いの地(じ)を見るようで、どことなく親しみがわいた。
「おばちゃん、お水ちょうだい」
「あいよー! とびきりおいしいお水ね」
「へぇ? ここいらに清流でも?」
「ノーノー! 井戸よ井戸! 見る?」
「オー! 井戸!?」
当の葛葉とリースは、現状あくまで外野に甘んじてはいるものの、ちょうど内輪の談義に居合わせるようで、まことに肩身が狭い。
幸いなことに、店主のおばちゃんがよく人情味に足る人で、気慰みには事欠かないのがせめてもの救いだった。
「もう、お上(かみ)の耳には達してるだろうぜ?」
「………………」
「お咎(とが)めなしって訳にゃいかねぇよ、たぶん」
「け……っ」
説法のつもりはないが、事実を曲げずに突きつける老人の口振りは、ひとえに厳格で、優しさの欠片(かけら)もない。
言い換えるなら、気心の知れた友にしか呈することのできない口振りでもあるだろうか。
応じる虎石は、余計な世話だと言わんばかりに鼻を鳴らし、手元のグラスを一気に呷(あお)った。
そのせいか、またぞろ俄(にわ)かな差し込みを得て、目立たぬよう背中を丸めて苦悶した。
「無理すんなぃ。 お前さんの肩のそれぁ、並みの傷じゃねえんだぜ?」
「……バカ言うなよ。 あんなナマクラ」
「あん?」
「え?」
彼とて、己の居場所を失くす覚悟は、常々より万端に整えていたつもりだった。
さっきまで踏んでいたはずの地面が、次の瞬間には容易に崩れ去るような世の中だ。
寝床(ねどこ)にもぐれる保証はないし、朝日を拝める保証もない。
道徳心を失ったのは、いつの頃だったか覚えていない。 どうせロクでもない理由で捨てたんだろうと、鼻先に酸(す)いものが漂った。
最後の友を失ったのは、あれは組織に出仕する前の晩だったか。 下らない言い争いが元で、大喧嘩してそれっきり。
これについちゃ未練はないが、せめて一緒に酒を呑めるような相手がひとりくらい居てもよかったかと、今にして思う。
「なんだぃ、なに見てやがる? 年寄りの面ぁそんなにおもしれえか?」
「いや、なんでも無えよ」
今回の件で、いよいよ帰る場所を失った。 憂(う)さを晴らす代償としては法外か。
いや、元の生活に未練はない。 同僚はいるが仲間はいない。 相棒は、あいつならどこへ行ってもそれなりにやっていけるだろう。
あとは──
『“灰かぶり”ってのも、なかなかよくできた話だと思わない?』
クソ……。未練だ。 これは間違いなく未練だろう。
自分はあの人の顔に泥を塗っちまった。 謝って済む話じゃねえ。 胸が痛む。 胸が痛んで張り裂けそうだった。
「ちょっと、顔色悪いよ?」
「うっせえ……」
「なんだよ、心配してやってんのにさぁ?」
気づくと、あの女が心配そうにこっちを見つめてた。
手前(てめえ)で拵えた傷に責任を感じてるのか、眉を八の形にして、なんとも頼りない表情だ。
そんな眼で見るな。 そんな顔で俺を見るんじゃねえ。
「平気?」
「どうってこと無え」
ややあって、彼の容態も落ち着きをみせ、ひとまず胸を撫で下ろした葛葉は、当面の疑問を質しておく事にした。
「そのお上っていうのは、どんな感じなの? 実際には」
「さて……、どう申したらよいか」
「相当ヤバい感じよね? この兄ちゃんビビらせるくらいだもの」
「ビビってねぇ!」
急な大声が元で、返し返し身悶える男性の模様に顔を顰(しか)めた老人は、悩ましげに思案した。
どこまで打ち明けて良いものか、塩梅(あんばい)が実に難しい。
「組織図としては極々ありきたりな物かと。 彼ら実働員の上に幹部連がおり、その上に棟梁がおるといった具合ですな」
「その幹部ん中に、ややこしいのが居る感じだよね?」
「恐らくは」
二名の目線を知った虎石は、場都(ばつ)が悪そうに顔を背けた。
「まぁ、誰だか言わねぇわな。お前さんの性格からして」
「てか、知ったところでどうする事もできんしね?こっちからカチ込んでどうこうって話でもなさそうな気がするし」
暫時、眉間に指先を据えた葛葉は、現状に則した解決策とは何かと考えた。
とは言え、最良の答えを導こうにも、いまだ不透明な部分が多すぎる。
目隠しをしたまま、なおかつピースの足りないパズルに挑むのはさすがに
「あ……」
ふと、妙案が浮かんだ。 いささか条理に欠くか。 いやしかし
「行く当てないんなら、一緒に来る?」
「は……?」
思ってもみない提案を受け、男性は子どものように目を丸くした。
しかし、彼もまた影路(かげみち)に通じる手合いであるからには、これが単に好意による提案でない事はすぐに知れた。
──俺を囮にする気かよ。
ところが、葛葉の真意はすこし違う。
この男を同伴すれば、いずれは敵の尻尾をつかむことができるかも知れない。 そうした冷淡な目論見(もくろみ)があるのはたしかだ。
それ以上に、彼をこのまま行かせた後のことがどうしても気に掛かった。
今件について、恐らく棟梁はあずかり知らぬことだろうと老人は言った。
ならば、上役に命じられたものとは言え、組織の方針に背いた彼がどうなるか。
何より、彼は生き証人だ。 組織内の色分けこそ定かでないが、各派閥とも血眼になってこの男を探すであろうことは容易に推察できる。
それを思うと、どうしても。
「eeeeeeeeeek!!! ちょっとクズ!? Are you nuts!?」
一方で、リースの反応はじつにシンプルだった。
それまで大人しくジュースを啜(すす)っていたものが、途端に子犬のようにキャンキャンと抗議した。
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