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「……そいつ、今なんつった?」
「ん? あー、“あんた正気かい? いいやイカれてやがるね! あたいはこんなデカい赤ん坊のお守りはゴメンだよ!”って言った」
「そんなこと言ってないよ!?」
矢庭に、堰(せき)を切ったような笑声が割って入った。
何事かと思うと、どうやら出所は男性の後ろ腰。 そこにきっかりと収まる握斧のようだった。
「デカイ……っ、赤ん坊……!」と、何がそんなにツボったのか、かの女声は酒やけの不健康をそれとも思わせぬ調子で笑いこけた。
即座に身を小さくするリースとは対照的に、葛葉はこれにいたく興味を唆(そそ)られた。
見たところ、特に何かしら霊的なものが依(よ)っている気配はなく。 また、付喪神の類でもなさそうだった。
そうすると、相手は生きたニンゲンという事になるが、この器物が通話機の役割など果たしているのだろうか。
「あの、そちらさんは?」
「あたしカヤマツリ」
ひとしきり腹を抱えて満足した様子の先方は、歯切れのよい口振りで応答した。
「カヤ……マツリ、さん……?」
「そうよー? よろしゃ」
それが姓なのか、はたまた名を表すものか判別はつかない。
もっとも、一個人の名前に執着を得ない世の中であるから、これは深追いせずとも良さそうだった。
「そんで、そちらさんはどういった?」
「あぁ、協力者ね! あたしは協力者ってヤツ。 巫覡(ふげき)ってのかな? 古い言い方だと」
「つまり、巫女さん?」
「ちゃうちゃう! あたしは違うよ? 単に呼び方の問題ね」
女声は喋々(ちょうちょう)しい物言いで、あっさりと手の内を明かしてくれた。
危機感がないのか。 あるいは、先の提案が余程に嬉しかったのか。
「御遣と巫覡はワンセットでね、あたしがこう、パワーを送ったげるのよ。 コイツ……、この、デカい赤ん坊に」
そこで堪えきれずに吹き出した先方は、暫時ゲラゲラと爆笑した。
裏表のない性格のようで心安いが、相棒の虎石にとってはたまったものではない。
先頃から舌打ちを連発しつつ、居心地悪そうに手元のメニュー表を睨みつけていた。
こうした場面で勘定高いものを持ち出すのは気が引けたが、これは大きな収穫だ。
御遣のもとへ霊威を発信するという協力者。 闘争の最中に彼がみせた奇天烈な動きにも得心がいった。
敵方の手並みを把握できたからには、今後の対策も少しは講じやすくなるかも知れない。
「さっきの話……」と、そこでいよいよ忍耐を欠いた虎石が、視線を上げずに言った。
特に気を逸(はや)らせたつもりはないが、催促のように思われるのだけは断じて避けたかった。 自然と横柄(おうへい)な態度にも拍車がかかる。
「まさか、本気じゃねえよな?」
「さっきのって、一緒に行こうよって話?」
「本気で言ってんなら、おめぇ病気だぜ?」
「寝首でも掻くつもりかい?」
含み笑いで応じる葛葉に対し、彼は鼻を鳴らして外方(そっぽ)を向いた。
「それについちゃ心配ねえや。 そもそもコイツにゃ女性(にょしょう)の寝床に忍び込めるほどの度胸はねえよ」
「言えてる言えてる」
老人による耳に痛い口出しと、莞爾(かんじ)として笑う女声を受け、虎石の顔はますます横を向いた。
利害の一致と言うには些(いささ)か窮屈な間柄ではあるが、少なくとも男性の側(がわ)にとっては利する点の多い提案ではある。
遠からず追っ手は掛かるだろうし、幹部連もこの件を査問に付すべく、全国に網を張って待ち構えるはずだ。
それらを独りで切り抜けるのは、いくら何でも無謀に過ぎる。
手助けが必要とは言わない。 仲間が欲しいなんてこれっぽっちも思わない。
ただ──
「面白えこと……」
「ん? なんて?」
「面白えことがあんだろ? どっかに」
その言葉に言い知れない魅力を感じたのは、単なる仕事疲れか、それともケンカに負けて弱ってたせいか。
ここではないどこか遠くへ。 見たことのない場所へ。 今日が届かない明日へ。
魅力的だ。 魅力的すぎて、不覚にも泣けてきそうだった。
都の外れ、手付かずの自然が広がる清々(すがすが)しい景観の中、まさに出立する一行とこれを見送る老人は、つかの間の名残を惜しんだ。
表情豊かなリースが快活に再会を唱え、童の手を引いた葛葉が懇(ねんご)ろに謝辞を述べる。
ふと、若い時分の英気を偲(しの)ばせる炯眼(けいがん)が、他街道へ通じる野道の先をじっとりと見た。
果たして、視線の先では気忙しい足取りの男性が、一人でさっさと歩を進めている。
「くれぐれも」
その背中に旧情を手向(たむ)けた老人は、頼みの綱に施(ほどこ)すように、重ね重ね懇請(こんせい)を加えた。
「ん、任せてよ」
はにかみながらも応じる葛葉は、先方に気掛かりを与えぬよう直(ただ)ちに請け合った。
同行者をいっぺんに二人も得ることになったが、この後の見通しに然(さ)したる変化はない。
世界に蔓延(はびこ)る火種の後始末。
そんな風に嘯(うそぶ)いてはいるが、要は風の吹くまま気の向くまま。 行きたい所へ行って思うように振る舞うだけだ。
磐石(ばんじゃく)な歯車の上とはまことに居心地がよく、ふと己の意義を見失いそうになる。
『でかいチカラ、都度(つど)ごとにコントロールすんのは面倒だろ?』
ゆえに、あらかじ歯車なる絵図面を製作し、それに則(のっと)って歩を進めるのが我ら族(うから)の流儀なのだと、いつぞや親父殿が言っていた。
これを親の敷いたレールと取るかはさておき、道行きに陰りを得ないというのは殊(こと)のほか気楽なものだ。
もっとも、死に際の浮世にそうした楽観が通用するかと言うと、まさしく一考の余地がある。
現に、この度はワケの分からん連中と事を構える運びとなった。
それもまぁ、歯車の是非と割り切ってぶち当たっていきゃ何とかなるだろう。
あと、気になる事といえば。
「お爺さん、本当のところは何者なん?」
思えば端(はな)から妙だった。
こちらの心胆をまるで見透かすような口振りに、件(くだん)の組織の内情を鳥瞰(ちょうかん)するような物言い。
後者はともかく、あの口振りのほうは単に勘働きの良さで片付けるには気味が悪い。
「ここでは無い別の地で──」
「ん?」
「別の場所でふたたびお目にかかる機会があれば、きっとお話し致しましょう」
「めんどくさ」
所感がうっかりと口をついたが、老人はにこやかに笑うのみで、こちらの胸中にも苛立(いらだ)ちはない。
身内が身内なだけに、持って回った言い方にはすっかりと慣れっこだった。
「クズー!」
そうする内、道の先からお呼びが掛かった。 どうにも旅心地を刺激する底抜けの声だ。
「クズだぁ? そりゃいいや! おいこらクズ!」
「……その呼び方、どうかと思うよ?」
この土地に特有の気候か、陽光は朗(ほが)らかで屈託がない。
草原を駆ける風は、懐かしい土の匂いをたっぷりと含んでいた。
「それじゃ!」
孫を見送る祖父のような顔つきの先方に、手のひらをさっと示す。
折りからの風が、行く先に迷いが生じぬよう力強い後押しをくれているようだった。
野道の先を見ると、ちょうどリースが全身を使うような仕草で手招きをくれていた。
すこし先のほうへ目をやると、一向に後ろを返り見ない虎石が、ゆったりと歩みを進めていた。
これに追いつこうと駆け出す葛葉の足取りは弾むように軽やかで、混沌とした世の趨勢(すうせい)を少しも感じさせないものだった。