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「まだ健介にしか話してないよ」
「お前から告白したのか?」
「……そういうわけじゃないよ」
恥ずかしかった。健介には電話で色々話したが、こうして面と向かって話すと、顔が赤くなるのが自分でも分かる。
慧は気を紛らわせるように、雑誌に目を落とす。
「告白されたんだよ」
「相手は? 俺の知ってる奴か?」
那由多の声が踊っている。夕貴も「嘘? 誰々?」と、満面の笑みを浮かべていた。
「美緒、さん……」
「美緒?」
那由多は小首を傾げる。そんな那由多とは対照的に、夕貴は「え? あの(・・)美緒?」と、眉間に皺を寄せ、声のトーンを落とす。
「うん……」
「那由多、覚えているでしょう? 同じ中学だった、鹿島美緒」
「鹿島美緒……? ああ、あいつの事かな? あの綺麗どころ?」
「そう、あの綺麗どころ」
何故か、夕貴は不機嫌そうだ。
「ねえ、慧。余り言いたくないんだけどさ、大丈夫?」
「大丈夫って?」
「その、慧には余り言いたくないんだけど、うちら女子の間じゃ、良い評判聞かないよ、あの鹿島美緒は」
「評判?」
慧は夕貴の方に顔を向けるが、その頭をポンッと那由多が叩いた。
「おい、茂木。あまり余計なことは言うな。お前はコイツの保護者じゃないだろう? 面白おかしく、コイツの話を聞くだけで良いんだよ」
「だけどさ、那由多……」
「憶測だろ、お前達の評判や噂ってのはさ」
「そりゃ、そうだけど」
得心がいかないという風に、夕貴は唇を尖らせる。
鹿島美緒の噂。
夕貴だけではない。慧だって、噂は知っている。でも、今日美緒と一緒に帰って、色々話せた。とても、彼女が噂通りの人物には思えない。
「噂の真偽は、慧が確かめるさ。な?」
那由多は笑いながら、ウインクする。少しキザな感じがするが、本当に様になる。彼がやれば、芝居がかった仕草も自然に見えてしまうから不思議だ。
「うん。ありがとう、那由多君」
「良いって。それよりもさ、お前、そんな雑誌を見て真似するつもり?」
「うん……。僕さ、余り服には頓着しなかったから。勉強しようと思って」
「確かに、慧っていつも同じ服着てるイメージがある。あの健介だって、ななと付き合って少しは見られるようになったのにね」
「なるほどね。それで、雑誌のコーデを真似しようっての?」
「うん、変かな?」
何も知らない慧は、雑誌やネットの知識をフル活用するしかない。
「……ちっと見せてみ」
那由多は慧の手から雑誌を取り上げると、もの凄い早さでページを捲っていく。最初から最後まで一分もかからず捲り終えた那由多は、元のページを開いて慧に戻した。
「ん~、俺の考えだけどさ。慧には読モみたいな服の着こなしは止めた方が良いと思うぞ」
「どうして?」
「造形の問題。顔だけじゃなくて、体全体の造形だな。俺みたいなモデル体型で、薄い顔の男は似合うだろうけどな」
「いうじゃない、那由多。慧だって、一般的に言う、塩顔って奴でしょう?」
「まあ、そうだけどさ。慧の場合は、印象が薄い、影が薄いんだよな。これは、雰囲気というか、服を来てどうこうできる問題じゃない」
暗に、というか、完全に慧を馬鹿にしている発言だが、不思議と那由多の言い方に嫌な感じはしなかった。それは、那由多が忖度なく事実だけを言っているからだ。彼は、慧を傷つけようとも、自分を格好よく見せようともしていない。ありのままを述べているのだ。
「確かに、那由多君は昔から華があるよね。同じ制服を着ていても、別物みたいだったし」
「それに、重要な事が一つ。値段。これはデザイナーズブランドだから、カタログ通り買おうとすると、ン万してもおかしくない」
「……確かに。凄く高いね。シャツが二万円って、そんなに良い素材を使ってるのかな?」
「んにゃ、生地は何処も同じ。作っている場所がイタリアだろうが、中国だろうが、関係ない。値段自体がブランドを表しているんだ。余り安すぎたら、ありがたみがないだろう?」
「俺がお薦めするのは、近くにある量販店でいいんじゃないかな?」
「そんなので良いの?」
夕貴が心配そうに声を上げる。それには慧も同感だ。腕を組んだ那由多は、「よく考えてみ」と、前置きをする。
「そこらの量販店に売ってる服。安いからって、そう馬鹿にできるものじゃない。ああいう所こそ、世間一般的な『売れる物』、つまり、『流行』の物を置いている。そうじゃなきゃ、季節物を大量に取り扱っているファッションセンターなんかは潰れちまう。安いだけじゃないんだよ」
「なるほど。確かに、那由多君の言う通りかも」
「それにさ、俺たちは高校生なんだから。身の丈に合った物を身につけるべきだと思うぜ。ま、雑誌を見て流行の着こなし、色使いなんかは勉強できる。色褪せたシャツやヨレヨレのデニムとかじゃなくて、デートの時には安くても新しいのを着ていくんだね」
言って、那由多は腕時計を見た。
「と、そろそろバスの時間だ。慧、買ってくるなら早く買って来いよ」
「うん」
慧は雑誌を小脇に抱えると、レジへ向かった。
帰りのバスで、慧達は一番後ろの席に座った。帰宅ラッシュも終わり、バスに人はまばらだった。
バイトで疲れていたのだろう。夕貴は座席につくなり、「着いたら起こして」と言って、ウトウトと居眠りを始めた。那由多は片肘を突いて窓の外を眺めている。
中学三年の時、那由多と一緒のクラスになった。
不思議な雰囲気をもつ人物だった。男子生徒からも女子生徒からも、人気があった。彼を嫌っていた人物を、慧は知らない。慧達とも仲が良かったし、札付きの不良とも仲が良かった。
運動も勉強も、何をやらせても人よりもできる。勉強だって、慧は那由多に勝てたことがなかった。いつも笑っているように見えるが、時折、鋭い眼差しをすることがある。彼は、この世の全てを見通せるのではないか、そう思うような達観した発言をすることもある。
誰とでも仲良く付き合えるが、必ず一線を引いて、それ以上先には進ませない。彼の本当の胸の内は、誰も知らないのかも知れない。
那由多に対して、慧はそんな印象を抱いていた。
「用事があるなら話せよ。バスが着いちまうぜ?」
「あ、気づいてた?」
「窓ガラス。反射して見えるよ」
窓ガラスの映り込みを通して、那由多は笑った。
「あのさ、那由多君。美緒さんの事だけどさ」
「一つだけ」
那由多は慧の言葉を遮った。彼には、慧の質問が、悩みが見えているのかも知れない。彼は溜息をつきながら、慧を見た。その顔には、深い憂いが秘められていた。
「しばらく忘れていたけど、慧から聞いて鹿島美緒を思い出したよ」
「なにか、思い出したの?」
「色々とね。同じクラスにもなったことあるしな」
「そうなんだ。那由多君から見て、美緒さんはどう写る?」
緊張していた。著名な占い師の前に立ったときのような緊張感。
「少なくても、アイツは悪い奴じゃないよ」
「……そう。それなら良かった」
「ただ、色々と問題を抱えている。昔からね」
「問題?」
「…………」
那由多はそこで口を噤んで、窓の外を見た。
「お前なら平気だよ。誰よりも素直で誠実だし。鹿島美緒には、お前みたいなのが必要なのかもね」
一度、彼は大きなあくびをすると、目を閉じた。話は終わり。言外に彼の態度は語っていた。