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溜めてるのは、俺のほう
スタジオの隅。
元貴はモニターを見つめたまま、指示を出している。
「そこ、もう一回」
「……若井、今のニュアンス違う」
「了解」
若井は笑って返事をする。
いつも通り。
外向けの、軽い声。
でも、ギターを構えた指にだけ、力が入っていた。
――近づくな。
――外では線を引く。
元貴の言葉を、若井はちゃんと守っている。
守りすぎるくらい。
休憩に入っても、
いつもなら自然に隣に行くのに、今日は行かない。
元貴はそれに気づいて、ほんの一瞬だけ視線を上げた。
「……若井」
「なに?」
距離はある。
声も普通。
「さっきの、別に悪くなかった」
「ほんと?」
「……ああ」
それだけ言って、元貴はまた前を向く。
若井は小さく笑った。
でも、その笑いは少しだけ苦い。
夜。
機材を片付ける音だけが響くスタジオ。
最後まで残ったのは、結局二人だった。
「俺、先行くね」
若井がそう言った瞬間、
元貴の手が止まる。
「……今日は?」
「今日は、帰る」
理由は言わない。
でも、元貴には分かる。
守ってる。
距離を。
「……勝手に決めるな」
低い声だった。
若井はゆっくり振り返る。
「元貴が言ったんでしょ」
「外では出すなって」
「それは――」
言いかけて、元貴は黙る。
若井は初めて、感情を隠さずに言った。
「俺さ」
「我慢するの、得意なんだよ」
一歩、近づく。
でも触れない。
「元貴が大事だから」
「壊したくないから」
元貴の胸が、嫌な音を立てる。
「……じゃあ、なんで今言う」
若井は少しだけ目を伏せた。
「限界だから」
沈黙。
逃げ場がない。
「触らないって決めてる」
「名前呼ばないって決めてる」
「でもさ」
若井は元貴を見る。
「元貴が何でもない顔で指示出してるの、
正直きつい」
元貴は、ゆっくり近づいた。
「……我慢してるの、俺だけだと思うな」
若井の手首を掴む。
昨日と同じ場所。
「勝手に距離取られて、
平気なわけないだろ」
若井の目が、はっきり揺れた。
「元貴……」
「外では守る」
「でも二人のときまで、
我慢する気はない」
元貴は低く言う。
「……限界なら、戻れ」
一瞬。
そして若井は、静かに息を吐いて笑った。
「ずるいな」
「知ってる」
距離は、また戻った。
もう一度。
若井は囁く。
「ほんと、戻れない距離だね」
元貴は答えなかった。
でも、その手を離さなかった。