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57 ◇深い関係
私は驚き急いでドアを開け、家の外に飛び出した。
果たして……あぁ思っていた通りの人物がそこに佇んでいた。
私の姿を見るや否や、彼女は私に抱きついてきた。
「私、私ったら何てことをしてしまったんでしょう」うううっ。
「いや、君は悪くない。悪いのは俺だ」
抱きついてきた彼女を懐に抱え、やさしく諭すような声をかけた。
そして私は続けて彼女に言った。
「もうこんな時間だし、また改めてちゃんと話会おう。
ひとまず送るから」
そう話して彼女の背に手を当てて促し、車のKeyを取りに家の中へ
入ろうとした私の目の前に、妻が悲し気な顔で立っていた。
今でもこの時の心底悲し気だった妻の顔が忘れられない。
妻はどの辺りから家の外に……私たちの様子を見ていたのだろう
気になったもののとにかく藤原をどうにかしないと、という気持ちの
ほうが勝っていたため、妻をちゃんとフォローする時間も取れないまま
適当な言葉でその場を凌ぎ、私は藤原を家まで送り届けた。
送る車の中で彼女はひたすら、私に謝り続けていた。
「ごめんなさい、ゴメンナサイ。
私、気が付いたらあなたの家の前まで来てしまって、来てしまったら
歯止めが利かなくなって電話かけてしまって」
「何であんなこと、俺の妻に言ったの?」
「すみません、ほんとにすみません。自分でも分からないんです」
彼女は明らかに動揺していた。
彼女は夫の浮気に振り回され続けて、苦しんでいた。
ひとりでその苦しみを抱えていて、私の浅慮による相談に乗るという
発言で彼女は私に依存してくるようになってしまった、という経緯が
騒動の根底にあった。
それにしてもだ、互いに既婚者でおいそれと結婚できるような関係でも
ないし、こと私に至っては妻の綾子に対して何の不足もなかったわけで、
彼女と深い関係になったのはほんとうに気の迷いと流れでたまたまと
いうしかなかった。
そしてまた彼女との付き合いの中で将来一緒になろうとか、そんな話は
一切出してないし、出てもなかったのだ。
彼女も暗黙のうちにそこのところは了承しているものと思っていたので、
その夜のことは正直自分にとって晴天の霹靂だった。
58 ◇大きな過ち
当時目の前でどちらかを選べと言われたとしても……
例え藤原が妻より若く美しくとも……
私は愛しい妻を間違いなく選んだことだろう。
それくらいには妻を愛していた。
それなのに、私は……当時の私はあの状況下では仕方がなかったとはいえ
してはいけない大きな過ちを犯したのかもしれない。
それは一番混乱して悲しみに暮れる妻を家に置き去りにしたこと。
とにかく藤原を我が家から引き離したくて、妻から遠ざけたくて
彼女を送ったのだが。
あの時、私は一体どう動けばよかったというのだろう。
幾ら考えても、今もってどうすれば良かったのか、結論を出せないで
いる。
私が帰宅して妻の顔を見た時には、置き去りにされた時の悲し気な
表情は妻の顔からすっかりと消え去り、こちらが驚くほどだった。
「ちゃんと説明する時間を作るから。
今夜のことは本当にすまない」
「あの女性とSEXしたの?」
「だから、そのことについてちゃんと説明させてくれないかな」
「説明はいい。
したのかしてないのか、今ちゃんと答えて!」
「面目ないが、一度あった」
「私と別れてあの女と一緒になりたいの?」
「そんなわけない。離婚は絶対しないよ」
「分かった。じゃぁ、おやすみなさい」
そう言うと妻は寝てしまった。
説明もさせてくれない勢いの質問だった。
その後何度か説明しようと試みたが、妻からその都度一蹴され続け、
今日に至っている。
妻の心情を聞けぬまま時は過ぎ、その後の妻の私への対応というか
生活する中での態度は今までと変わらぬ態度で接してくれていたので、
私はいつの間にか許された心持ちでいたのだっだ。
つまりあの事件はあれ以来、私たち夫婦の間では封印されてしまったと
いうわけだ。
妻に敢えて今の気持ちを聞く勇気は私にはなく、熟年離婚も切り出さず
私と一緒に側にいて身の回りの世話を焼いてくれて、これだけでも
感謝しなければいけないとしみじみ思う。
59 ◇相談女登場
当時藤原紀子は中途入社で入ってきた。
当時すでに彼女は既婚者だった。
控えめな性格ながら元気溌剌な様子で仕事を張り切っていた藤原が
入社後半年ほど経った頃から、沈みがちになっていった。
落ち込んでいるのが誰の目にも分かるほどで、けれどいち上司の私には
どうすることもできなくて、もどかしい思いをしていた。
そんな中、ある日のこと、2~3人残業していた部下にもう帰るよう
号令をかけ社を出たのだが、私は車のkeyを机のいつもの場所に忘れたことを思い出し、
社屋に舞い戻ったことがあった。
もう誰も彼も帰っただろうと思っていたのに藤原だけがまだ
残っていた。
早く帰りなさいと声をかけ、私が出口に向かおうとした一瞬、彼女の
泣き顔が目に入ったのだ。
時間帯とシチュエーションがいつもと同じなら聞かずにスルーしている
ひと言を私は発していた。
「最近元気ないよね? 何かあった?
俺が力になれることがあったら相談してみて」と。
若気の至りとはいえ、力になんてなれるはずもないのに何で
あんな期待を持たせるようなことを簡単に口に出したのだろう。
あの時の彼女の境遇を思えば、待ってましたとばかりの
渡りに船とまではいかなくとも、藁をも縋る救いの言葉に聞こえたに
違いなかった。
目に涙を溜めた藤原はぽつぽつ話し始めた。
要するに夫が冷たい態度をとるようになり、しばらくの間理由を探して
いて、そのことでさえ辛かったのに、昨日は酔って帰った夫から
堂々とお前などもう愛してない、いらない、だから一緒に暮らす意味も無い
離婚してくれと言われたのだとか。
「何が何だかもう分からなくて」と彼女は言った。
訳が分からない?
一体どこが? と私はその時思った。
ちゃんと冷静に彼女の夫の言い草を分析してみれば理由は
いわずもがなであった。
おそらくは、余所に好きな女ができたのだ。
だが私は直球を彼女に投げられるほどの無神経さは持ち合わせてなかった
ため、話を聞くことしかできなかった。
コメント
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うわあ、57~59、それぞれの視点が重なってすごく胸に響きました。特に58の「説明はいい。したのかしてないのか」の畳みかけ、あの静かな強さに妻の深い傷が透けて見えて、読んでいて息が詰まりました。59で藤原さんの境遇が明かされて「力になれると思った自分」を責める主人公の後悔も、身勝手でありつつもリアルだなと。封印されたまま今に至る関係、この先どうなるんだろう…続きが気になります。