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「何? 三人で船に乗り込むだと? 遥季、お前もいて何でそんな話になるんだ」
号長の目つきが鋭くなる。
「違います! 私が言い出した事なんです……」
「いえ、俺が号長の所に行くって言ったんです」
真子と灯は互いに遥季をかばい合う。
「誰が言い出した事かなんてどうでもいいんだ。二人だって、この船で一番大事な事が何か、よく分かってるだろう?」
“生きる事”がどれだけ大事かは、その場にいる誰もが分かっていた。
真子は黙って視線を落とす。
「すみません、やはり私一人で行きます」
「ダメ! お願いです号長。遥姉を行かせるなら私も連れて行って下さい!」
真子は家族の時のようにここで遥季の手を離してはいけないと、必死に号長に訴えた。
「地下に隔離室がありますよね……」
灯が呟いた。遥季と真子は驚いて灯の方を見る。
「灯、知っていたのか……」
「はい。偶然知ってしまって……」
地下フロアには生命保管庫などの重要な施設があるため、真子は入った事がほとんどなかった。
技術専攻の灯なら入る機会があったのかもしれない。
「あの船から帰ったらすぐに、あそこに俺達を隔離して下さい」
「あそこは万が一の為に作った部屋で今まで一度も使われたことはないんだ」
「今が万が一じゃないんですか? 一週間でも一ヶ月でも、絶対に安心と言えるまでそこにいます。だよね?」
灯が真子と遥季を順番に見た。
「私は構わないけど……いや、でもやっぱり私だけで……」
遥季の言葉が言い終わらない内に、号長が低く咳払いをした。
「お前達の言いたい事は分かった。私も遥季を見捨てようなんて思っていない」
「じゃあ……」
真子は号長の言葉を食い入るように待った。
「三人で行ってきなさい。ただし……」
真子が喜びを表す前に号長は言葉を続けた。
「ただし、私には他の皆の命を守る義務がある。この船を航行不能にする事だけは出来ない」
重たい言葉がその部屋の空気の密度を高める。
「もし、向こうの船の航行不能が病気によるものと分かった場合、この船を守る者として、お前達をこの船に戻すことは出来ない。その覚悟はあるか?」
それは当然の事だった。
だが自分にそんな覚悟があるのだろうか。真子は自分に問いかけた。
「私は最初からその覚悟だったので」
遥季はその問いに言い淀むことなくそう言い切った。
号長の視線が遥季から真子へと移った。
「私も行きます。きっと行かないと後悔するから。それに、私も誰かの役に立ちたいんです」
「そうか……灯は?」
「俺は、二人が行くなら絶対についていきます」
号長はほんの少し肩を落とした後、黙って頷いた。
医務室に備え付けられていた防護服に身を包み酸素ボンベを背負った真子は、方舟に乗ったあの日以来、初めての外に出た。
ボンベの酸素はおよそ三時間分。酸素が切れる時間が、真子達に与えられたタイムリミットだった。
航行不能の方舟、ノアズホープ三号は、ここ数年まで連絡が取れていた生き残りの船の一つだ。
三号船の扉の奥には暗闇が続いていた。
電気の消えた船内に真子達の持つ懐中電灯の明かりだけが灯る。
「誰かいますかー」
遥季が英語でそう呼び掛ける。それに真子と灯も続く。
船内の作りは真子達の船と何も変わらなかった。だが、人けのない暗闇に浮かぶ目の前の景色は、同じ船とはまるで思えなかった。
本当にこの船に、自分達と同じようにたくさんの人が乗っていたのだろうか。
そんな疑問が浮かぶほどに、その船には人間の生活感が感じられなかった。
真子達は手分けして全ての部屋を覗いた。一人でも生きている人がいるのではと、確かめずにはいられなかった。
だが、屋上フロアまで上がっても人に出会う事はなかった。
「この船には誰も乗ってないみたいね」
枯れ果てた温室を見て遥季が呟く。
真子は正直、かなり酷い想像をしていた。航行不能になるくらいだから、中でたくさんの人が亡くなっているかもしれないと思っていたのだ。
だが、実際は違った。船のどこを探しても生きている人もいなければ、その亡骸さえもないのだった。
「一体ここで何があったんだろ」
灯の言葉に真子は黙って首を横に振る。
「号長、聞こえますか……」
遥季が無線に呼び掛ける。
──「ああ。そっちは無事か?」
「はい。ですが、中に全く人の姿が見えないんです。生きている人も死んでいる人も……」
しばらく間が空いた後、再び無線から声がする。
──「地下には行ったか?」
「いえ、まだです」
──「ボンベの残りは?」
遥季が真子のボンベの残量を確認する。
「あと四十分ほどです」
──「そうか。では、地下に行って生命保管庫を確認してくれ。余裕を持ってあと十五分だ。十五分経ったら無線で連絡する」
「分かりました」
「何で生命保管庫なんだ?」
地下へ続く階段を降りながら灯が言う。
生命保管庫には地球上のあらゆる種が保存されている。
いつか地球が昔の姿を取り戻した時、再びその命を芽吹かせられるように、それらは十隻の方舟に分けて保管された。
それらを守る事もまた真子達方舟に乗った者の使命だった。
「さあ、どうしてだろ。まぁ行けば分かるんじゃない?」
灯の疑問に遥季がそう答えた。
「航行不能の原因はこれかもしれないな」
保管庫に向かう途中に機会整備室を覗いた灯が言う。
「え、何?」
「ほらここ」
真子は灯の指差した所を覗き込む。
酸素濃度のメーター表示が基準を大きく下回っている。
「どうやらそうみたいね」
同じく覗き込んだ遥季が言う。
それを見て安堵した真子は胸を撫で下ろした。
「良かった……じゃあ後は、号長が言った通り保管庫に行けば、船に戻れるね」
生命保管庫は重い二重扉で守られていた。万が一の浸水にも耐えられるようにだ。
真子は初めて見る保管庫の前に立つ。
「じゃあさっさと開けようか」
遥季の言葉に、三人は重たい扉のハンドルを回す。
「え……」
二つ目の扉を開けたとき、三人は同時に言葉を失った。
そこにあったであろう物がどこにも見当たらない。無造作に開け放たれた棚はどれも空だった。
三人が呆然と立ち尽くしていると、遥季の持つ無線から声がする。
──「こちら六号長。遥季、聞こえるか?」
号長の声に我に帰った遥季が無線を取る。
「はい、聞こえます。今三号船の保管庫に着いたんですが……」
──「空だったか……」
「えっ!?」
真子と灯の声が重なった。
「号長、なぜそれを」
──「それは……」
この船が出港する前に一度だけ、ノアズホープの号長が全員集まって、話し合いをしたという。
十人の号長はこれからの船旅を見据えた中で、三つの決めごとをした。
一つ目は最後まで諦めずに生きる事。
たとえ船に乗ったその他大勢が諦めても、自分達だけは諦めてはいけない。そう強い覚悟を決めた。
二つ目は命を繋ぐ事。
何年続くか分からないこの船旅では、ただ生きるだけではなく、次の世代へ繋げる事が必要不可欠だった。その認識を互いに確認した。
──「そして最後が、新しい世界を作る事」
「新しい世界?」
真子が呟く。
──「ノアズホープの最終目標は、人間が再び地上で生活する事なんだ。その時は、保管庫から命を解き放ち、共に新しい世界を作る。それが私達の最後の決めごとだった」
「じゃあ、この船に乗っていた人々は、どこかでその新しい世界を作っているかもしれないということですか?」
遥季が無線に問う。
──「そう思いたいところだが……まあ一先ず、取り残された人もいないようだし、酸素が切れない内に急いでこっちに戻りなさい」
「はい」
遥季がそう言い、真子と灯は互いに頷いた。