テラーノベル
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その夜、雪之江荘の玄関が、ずいぶんと騒がしかった。
「おーい、照! 蓮! ちょっと手伝ってくんねぇ?」
深夜に響く深澤の声は、緊急事態を知らせるというより、飲み会の帰りにコンビニへ寄るから付き合え、とでも言っているような調子だった。
何事かと、岩本と目黒が玄関まで降りていく。
そこで二人が見たのは、金髪の男を抱えた深澤だった。
「えっ、それ、誰!?」
二人は慌てて男を受け取り、どうにか奥の畳の部屋まで運んだ。
男は足元をふらつかせ、低く呻いている。身体を支えると、ずしりと重かった。
顔立ちは、ひどく整っていた。
華やかで、黙っていても人目を引きそうな顔だった。
ただし、目の周りには青痣があり、切れた唇の端には乾きかけた血がこびりついていた。
どう見ても、ただ事ではない。
「児童公園あるじゃん。あそこで仲間っぽい奴らにボコボコにされててさ。そいつら追い払って、助けてきたのよ」
深澤は肩を回しながら言った。
「はぁ重かった」
「いや、重かったじゃねえよ!」
岩本が声を上げた。
「これ、お前の知り合い?」
「いんやー?」
深澤は納戸から救急箱を引っ張り出している。
「じゃあ、なんで拾ってくるんだよ! やばい奴だったらどうすんの!?」
岩本の顔は、今にも泣き出しそうだった。
怒っているのか、困っているのか、本人にもわからないのかもしれない。
「こんなになるまでボコられてたんだぜ? 放っておけないだろ。それとも、見捨てる?」
深澤は悪びれもせずに言った。
「お前らだって、そんなこと絶対できねえだろ」
鼻で笑いながら、男の傷に手を伸ばす。
そう言われると、困る。
岩本も目黒も、目の前で人が倒れていたら、結局は助けてしまうだろう。
そういう自分たちの性分を、深澤はよくわかっているのだった。
「まあ、明日わけを聞いて、やばそうな奴だったら追い出せばいいんだから。一晩だけ泊めてやろうぜ」
「ったく……」
岩本は不満そうに唸ったが、結局、布団を敷いた。
金髪の男は、痛みに顔を歪めながら、どうにか眠りについた。
*
翌朝、岩本と目黒が起きていくと、例の金髪男は、すでに食卓についていた。
深澤が焼いたトーストを、何事もなかったかのように齧っている。
昨夜あれだけ血まみれだった男が、朝食の席にいる。
その光景は、どう考えてもおかしかった。
「この人、ラウールって言うんだって。」深澤が紹介する。
「ホスト?」
目黒が、あまりにも遠慮なく尋ねた。
男はパンを持つ手を止めた。
「残念ながら本名です。ホストじゃなくて、ハーフで、大学生で、大学の近くのカフェでバリスタのバイトやってます」
ずいぶんと流暢な自己紹介だった。
唇の端が痛むのか、ときどき顔を顰める。それでも、本人はいたって呑気そうだった。
「ふーん……で、なんで喧嘩してたの?」
目黒が尋ねると、ラウールは少しだけ視線を落とした。
喧嘩相手は、ルームシェアをしている大学の先輩だった。
その先輩たちは、普段から身の回りのことを後輩に押しつけていたらしい。
掃除だの洗濯だの、細々したことを、ラウールがやるのが当たり前になっていた。
おまけに、金まで何度も貸していた。
貸した金を返してほしい。
ただ、それだけのことだった。
けれど、返してくれと頼んでも無視される。
何度言っても、のらりくらりとかわされる。
とうとう我慢の限界がきたラウールは、先輩たちが雪之江町のもんじゃ焼き屋で合コンをしていると聞き、そこへ乗り込んだ。
金を返せ、と言いに行っただけだった。
ところが、先輩から返ってきたのは、「後輩のくせに」という言葉だった。
その一言で、話はこじれた。
お互いに引くに引けなくなり、ついには殴り合いになった。最後には先輩と一緒にいた仲間たちに取り囲まれ、ラウールは一方的にボコボコにされたらしい。
「で、先輩と一緒にいた仲間にやられた、と……」
深澤が確認すると、ラウールは小さく頷いた。
「はい……」
その瞬間だった。
「そんな先輩のところ、すぐ出ろ!」
岩本が怒鳴った。
食卓の空気が、ぴたりと止まった。
目黒は目を丸くした。深澤も、口に運びかけていたコーヒーを持ったまま、岩本を見ている。
岩本は普段、必要以上に声を荒らげる男ではない。
むしろ、黙っていると怖い顔をしているぶん、余計なことを言わずに済ませるタイプだった。
その岩本が、今は本気で怒っている。
「ふっか、お前の隣の部屋、空いてたよな!?」
「ああ……うん、空いてるっちゃ、空いてるけど…
深澤は曖昧に答えた。
「俺がそこに引っ越すから、ラウール、お前は俺が使ってる部屋に来い!」
あまりの勢いに、誰も口を挟めなかった。
ラウール本人でさえ、パンを持ったまま固まっていた。
いったい何がどうなって、昨夜拾われたばかりの自分が、この男の部屋に住むことになっているのだろう。
本人が一番、わかっていなかった。
*
朝食が終わると、岩本はすぐに動き出した。
まずは深澤の隣の部屋を空けることにした。
中にあったのは、主にUFOキャッチャーの景品と古着だった。どうしてそんなものを大量に持っているのかという疑問は、今さら誰も口にしなかった。
岩本と目黒で荷物を納戸に押し込み、部屋を掃除する。家具を動かし、床を拭き、窓を開ける。
そうしているうちに、岩本の部屋からも荷物が運び出されていった。
ラウールは、何が起きているのかよくわからないまま、その様子を眺めていた。
自分は、ただ先輩から金を返してもらいたかっただけなのだ。
それが、どうしてこんなことになっているのだろう。
やがて準備が整うと、岩本と深澤はラウールを連れてタクシーに乗り込んだ。
行き先は、ラウールが暮らしていた先輩の家である。
部屋に乗り込んだ岩本は、まず、その身体を見せつけた。
ダンサーを目指していた頃から鍛えてきた筋肉は、怪我をしたからといって、簡単になくなるものではない。
控えめに言っても、そこらの不良が相手にしたいと思うような体格ではなかった。
先輩たちは、露骨に怯んだ。
「おい、ラウール。荷物まとめろ」岩本が言う。
ラウールは、はい、と素直に答えた。
その間に、深澤が一歩前に出た。
古着のスカジャンを着ているせいだろうか。
もともと飄々としている男なのに、こういう場面では、どうにもそちら側の人間に見えてしまう。
本人にそのつもりがあるのかどうかは、わからない。
「あ。突然で悪ぃんだけど、こいつ、今から引っ越すから」
深澤はにこにこと言った。
「で、誰かな。ラウールから金借りて、返してない人。お金、返して?」
先輩たちは黙っていた。
「いや、返してもらわないと困るんだよねえ」
声は穏やかだった。穏やかなのに、なぜか逆らいにくい。
深澤は、岩本の大きな身体をちらりと見た。
先輩たちの視線も、自然とそちらへ向かう。
それだけで、話は早かった。
集められた金は、ラウールが貸した額には到底足りなかった。
それでも深澤は、集まった金をラウールのポケットにぎゅっと押し込んだ。
「まあ、ないよりマシだろ」
そして、先輩たちに向き直る。
「お前ら、もうこいつに金せびるなよ?もしやったら……どうなるか、わかる?」
そう言って、岩本を指さした。
岩本は何も言わなかった。
ただ、腕を組んで立っていた。
それだけで十分だった。
ラウールは、荷物をまとめ終えると、深澤と岩本に促されて部屋を出た。
振り返らなかった。
新しい住まいができたからというだけではない。
もう、自分が我慢し続けなくてもいいのだと思えたからだった。
こうして雪之江荘に、四人目の住人がやってきた。
年齢も性格も、これまでの暮らしも違う男たちが、ひとつ屋根の下で暮らすことになった。
仲良くやれるかどうかは、まだわからない。
古い長屋の暮らしは、これから少しずつ、騒がしくなっていく。
コメント
2件
やばぁ ワクワクする!