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「勇斗」
朝の光が差し込む部屋の中、ソファーに人の形を作ったそれに声をかけた。
翼が隠れきっていないのがツボだ。
「行ってきます」
あれから1週間。
目まぐるしく変わった。
あの日出された人事異動で、元上司は懲戒解雇を喰らった。
人事部の配慮なのか、最後まで顔を見ることはなく、ほっとしていた心のどこかで、まだ痛みが疼いた。
…あの人がどこかにいなくなろうが異動しようが、この傷ついた心は癒えることはないし、変わらずどこか凹んだままだ。
そして、そんな自分は人事部へ異動となっていた。
潤は総務に残り昇進するらしく、俺の代わりに新しく大倉が来るらしい。
廊下で会ったら通り魔的に意地悪を言いあうぐらいあいつのことは嫌いだが潤はそんな俺らを見て大層嬉しそうだった。
柔太朗も変わらない。
けど、何か聞かなきゃいけない気がする。
そして勇斗は…みるみる覇気がなくなっていった。
異変に気がついたのは、ついこの前のこと。
帰ってきてすぐ掃除機を前に立ちすくんでる後ろ姿を見かけて本気で心配になったが、振り返った勇斗はいつも通り少し微笑んだ。
「おかえり」
「ただいま」
キッチンに行って手を洗っていたとき、不意にスッと現れた勇斗から、バツが悪そうに声をかけられた。
『悪い仁人、ちょっと手伝ってほしい』
勇斗から深刻そうな顔でそう言われた。
『いいよ。もう定時退社で余裕あるし、全部やるよ。今までやってくれて助かった。ありがとう』
そういうとこちらの意に反して、少し寂しそうな目になった。
『…何?』
タオルで拭きながら不思議に思い聞いてみる。
『いや…ちょっと休んでくる』
『?…おう』
力なくばさり、と翼をはためかせた。
もう胃が痛くならない十字路に、また大きなトレーラーが来た。
思わず顔を顰めて、イヤホンの音量を上げて目を閉じて、その大きな音をやり過ごした。
…あのトレーラーの音を聞くと脳みそが抜き取られそうになる。
同じ頃、トレーラーの音に勇斗が体を起こした。
ぼんやりと窓から空を見つめる。
もう一度ソファーに横になり、ブランケットで口と鼻を覆い、 目を閉じた。
…シャンプーの匂い、こびりついてる。
「タカシく…いえ部長、ご確認お願いします」
「ええよ。早いな!」
いつものにこやかな笑顔で届の書類を受け取ると、真っ直ぐな目で書類に目を通す。
穏やかながらも少しの歪みすら許されないその視線に思わずそわそわと指を絡ませながら視線を右往左往させた。
その顔はだんだんと口角が上がり、頷きながら見るようになる。
「…うん…うん。さすが仁人、全部完璧。ありがとうな」
「あざっす」
…やっぱり褒められるのは嬉しい。
人事部は少し忙しいながらも、とても居心地が良かった。
もとより仲の良かった毅とも再会したし、コミュニケーションは圧倒的に取りやすい。
肩の力を抜いて働けている自分のことがなんとなく好きになっていた。
「せや、仁人。異動後の面談あるやろ?このあとちょっとやろうか」
「はい」
「最近どうー?」
太陽の間延びした訛りに珈琲を飲みながら答えた。
「普通ですよ。部長のところに移動したおかげで平和に過ごせてます」
「ほんま〜?それはよかった。俺のところになった瞬間にやめられたらどないしようって心配しとったから…」
「そんなわけないでしょ。寧ろみんな『いいなあ!!』ってこっち異動したいって人も増えてるんですから。そんな奴らを俺は端から頭引っ掴んで査定してます」
ジェスチャー頭を引っ掴んでガンを飛ばしてみせると「あはは!」と太陽は声をあげて笑った。
「でもな〜」と太陽が続ける。
「それはあの時の仁人の頑張りのおかげやと思うよ」
「俺何もしてないっすよ」
「聞いたで潤から。むっちゃ体張っとったて」
「多分ですけど絶対良くない暴露の仕方されてますよね??普通に潤が責められるのは違うなって思っただけで」
あいつのことだ。
色眼鏡+2.0に違いない。
「もう2年目になるんやもんな。立派な先輩よ」
「多分そう見えるのはハッタリだと思いますね」
「ハッタリも大事よ?今だから許される技やしね」
てことは社会的には許されないのでは?と項垂れていると、太陽が「とても素晴らしいことって意味やから」と笑いながら言った。
「まあなんかあったらいつでも相談してな。そのために仁人のメンターになっているんやし。無理せんと、気楽に仕事してこな」
「ありがとうございます」
「うん、他に何か聞いときたいこととかある?」
「いや…特にないっすね」
「そかそか、ほんならもう戻ろか」
そう言って立ち上がった時、太陽が「あ」と声を上げた。
「指輪つけとったっけ?」
「あ…ダメでしたかね」
「ううん、すごくかっこいい指輪やんなと思って。どこのブランドか聞いてもいい?」
『何これ』
昨日渡された代物を思い出した。
手のひらに乗ったわりといかつめの指輪。
ソファーに横たわったまま勇斗はそれを押し付けた。
『まあ持ってればいいことあんじゃない』
『ずいぶん適当だな』
『嘘嘘。親愛の証みたいなもんだよ』
親愛。
なかなか言われることのない言葉に思わず頬が吊り上がるのを感じた。
『天使界隈での文化?』
『手貸してみ』
そう言って勇斗が少し体勢を変えて左手を引っ張り出した。
掌を乗せると、微かに暖かい温度が掌越しに伝わった。
中指の上を親指が線を残し、思わずその手を凝視ししてしまった。
ゆっくり通っていくシルバーの輪が、やけにスローモーションに見えた。
付け根まで到着すると、手にひんやりと風が通った。
『デカいねこれ』
光にかざしながら呟く。
『お前それ後で返せよ』
『は!?くれるんじゃないの!?』
『渡すわけねえだろ高いんだぞこれ!!』
『証っつったじゃん!!』
『訳ありなんだよ!!古代呪物みたいなもんなの!!』
『外そ』
『待ってそれは言いすぎた大丈夫だってごめんごめんごめん』
お互いゼエゼエと呼吸が上がり、一悶着あった後。
『また迎えにいくからその時に返して』
『俺死ぬの??』
『それは知らん。でも、何十年でも待つよ』
『どういうこと?』
『また会ったら返してくれればいいから。それまで絶対変なこと考えんなよ!!また飛び込むとか彼女作るとか』
『最後の何?もうしないよ』
『頼むよお前、絶対に仁人のせいじゃないんだから』
意味深なことを言われたなとわかったのはそのあとだった。
「いや…これ貰いもんなんでわかんないんすよ。俺も聞いたんですけど教えてくれなくて」
「なんや、えらい焦らすなあそのお友達。会社の上司が知りたがってたよーて言うといて」
「わかりました。多分そしたらいい加減吐くと思うんで」
太陽は笑って「無理せんとな」といった。
定時退社するなり鞄を引っ掴んで改札もやや強行突破して急足で家路を急ぐ。
「ただいま」
若干突入するように家に帰ると、一人暮らしの時のように靴を脱ぎ、部屋の電気をつける。
ソファーには朝と変わらず、天使が弱々しく翼で体を包みながら横になっていた。
「…なんかあれだね。蚕みたいだね」
「あんな芋虫と一緒にすんな…。いくら天使でも繭は作るのはきついって」
ブランケットは勇斗の下敷きのようになってソファーに垂れていた。
いよいよブランケットが体に透けてしまった。
…人ではないけれど、日に日に弱っていく姿を見て胸が痛まないはずはなかった。
「…大丈夫?」
ソファーの近くにしゃがんで覗き込むと、勇斗はぼんやりとした目で「うん」と答えた。
…ソファーの背もたれがうっすら見える。
「寒い?」
手を伸ばして体に触れようとすると、虚しくスカッと空振りした。
「…すり抜けた」
「一応人間の寿命みたいな感じでね。霊力のタンクみたいなもんあるのよ。俺は割と強い方だったけど、もう枯渇してるっぽい」
「…なくなったらどうするん?どっかガソスタみたいに補充とかするの?」
冗談っぽく笑った声は僅かに震えた。
「なんもないよ。ただ俺がここから消えるってだけ。お勤めは果たしたってとこかな」
瞼を伏せて控えめに笑って見せた勇斗。
「…そんな顔すんなよ。明日もいるのに気まずいだろ」
「あ、いや…」
「大丈夫だよ。さっき言ったじゃん。それ返すまで何十年でも待つって」
指輪を指差される。
光沢のあるそれは、本当に天からの贈り物のように思えた。
「仁人」
「ん?」
「こっちきて。もっと」
「近いって……っ」
一瞬あと、唇に冷たくて柔らかいものが触れた。
思わず目を見開いた。
さっきまで実態がなかったはずだ。
現にこうして身体におこうとした手はすり抜けている。
なのに、今は確かに…。
思わず目を見開いて固まると、勇斗は弱々しくなりながらも笑った。
「これが精一杯だわ」
そうして目を細めると、まつ毛を振るわせた。
「俺からのヒントね」
「ヒント?なんの?」
「こういうの好きでしょ。自分で探せすぐ人を頼るな」
「ごっつ突き放すじゃん。こんなバカバカ死亡フラグ立てんな」
ふっと勇斗が笑う。
「…飯食ってくれば?」
「…いい。なんもできることないけど心配だからここいる」
「あ、そう?へえ優しいじゃん。…あ、明日金曜でしょ?帰ってきたらまたギター弾いてよ」
「はいはい。隣の人帰ってきてなかったらね」
そのままソファーにもたれた。
透け透け勇斗にめり込んでいるのが少し違和感を感じるが、心なしか少しだけ温度を感じた。
「おやすみ、仁ちゃん」
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