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王都スタッグ。アンカース邸の衣裳部屋で、ネストは大きな姿見の前で衣装合わせをしていた。
「お嬢様、よくお似合いでございます」
煌びやかなドレスを身に纏うその姿は、何処に出しても恥ずかしくない貴族令嬢。
溢れ出る気品は、片手間に冒険者をしているようには見えない美しさだ。
薄青のドレスに小さな宝石が控えめに散りばめられ、大きな胸を主張するかのようなデザインではあるものの、下品というほどではない。
スカートはすらっと細身なシルエットで足元のフリルが遊び心を演出している。
「動きにくいったらありゃしない……」
ネストだって好きで着ている訳じゃない。今日は周辺貴族達が一堂に会する王国の行事、|曝涼《ばくりょう》式典。
本来であれば、同時に魔法書を返還することで、家の復興という長年の夢が叶うはずであった日……。しかし、その夢は潰えてしまったのだ。
かといって欠席する訳にもいかず、憂鬱で気乗りしないのは当然だ。
「はぁ……」
ネストは鏡の前で深い溜息をついた。
幸い、あの日からノーピークスへの襲撃はピタリと止んでいた。
(ブラバ卿が魔法書を焼いた事により、襲撃の必要がなくなったとも考えられるけど、そんなことでノーピークスの領有権を諦めるはずがない……)
何者かに盗賊達が討伐されたのでは、との噂も流れたがその真偽は現在不明。
というのも、盗賊達の住処だと思われている場所がアンカース領とブラバ領の境にあるので、調査が出来ないのだ。
ブラバ卿に調査の旨の書状を送るも返事はなく、かといって勝手に調査しようものなら難癖を付けてくるに違いない。
(大事を取ってノーピークスにはお父様に残ってもらったけど、私が残った方がよかったかな……)
ネストが着付けを終えると、部屋の扉が優しくノックされる。
「どうぞ」
そこへ入って来たのはバイス。今日は鎧ではなくジュストコール。所謂貴族の正装だ。
その筋肉質な体は少し窮屈にも見えるが、なかなかの男前である。
「準備は出来たか?」
「ええ、大丈夫。そろそろ行きましょうか」
世間話も程々に、王宮への馬車へと乗り込む二人。
「いってらっしゃいませ。お嬢様、バイス様」
セバスと使用人達に見送られ、馬車は王宮へと走り出す。
本来であればバイスは一人で王宮に向かう予定だったのだが、セバスが手を回したのである。
抜け殻のように元気がないネストを憂慮して同行をお願いしたのだ。
いつものネストであれば、余計なことはするなと一喝するところなのだが、そんな気力も湧かないといった様子はやはり重症であった。
馬車の窓枠に肘をつき景色を眺めるネストであったが、出て来るのは溜息ばかり。
王宮に到着すると、貴族たちの乗って来た馬車で、中庭は大変混み合っていた。
一家総出で来る者、当主のみ出席する者、ネストの様に代理として出席する者など様々だ。
式典での武器の携帯が許されているのは、専属の護衛だけ。本来であれば、ネストの隣には九条がいるはずであった。
第四王女派閥にプラチナありと周知させる目的もあったのだが……。
(悔やんでも仕方ない。今はやることをやらなければ……)
王宮の中庭に並ぶ国宝の数々。宝石の散りばめられた式典用の剣に、数々の魔法書。
壺に家具に調度品に貴金属にと、数え上げたらキリがないほどの品々が日の光を浴びてキラキラと輝いていた。
ちょうど正午頃。国王アドウェールのお言葉で式典が開会すると、皆が思い思いに行動を起こす。
その思惑は様々だが、弱小貴族たるネストやバイスは挨拶回りが仕事のようなもの。
自分よりも爵位の高い者を見つけては挨拶。その繰り返しだ。
もちろん、その中にブラバ卿は入っていない。敵だとわかっている者に誰が声なぞかけようか。
それでも挨拶をしながら腹の探り合いをしていると、時間はあっという間に過ぎていく。
空が茜色に染まり、中庭に並べられていた国宝達が片付けられると、貴族達は王宮内での立食パーティーに場所を移す。
会場は謁見の間だ。入口から玉座までレッドカーペットが敷かれ、普段は両脇にズラリと騎士達が並んでいるのだが、今日は違う。
豪華な料理が並べられたテーブルがフロアの半分を占め、残りの半分は何も設置されていない社交場。
そこでは王国立音楽団の演奏に合わせて、ダンスを嗜むことが出来るのだ。
日が暮れると城下の街に明かりが灯され始め、街は幻想的に輝き出す。
「はぁ……」
ネストは、ガヤガヤと騒がしい会場内でシャンパンの入ったグラスを片手に、大きな窓から外を眺めていた。
そこから見えるのは城下を賑わす明かり達。それは今の自分の胸中とは正反対に明るく、不愉快にも思えてくる。
いたたまれなくなり目を逸らすと、南の空が明るく見えた。その地平線の先にはベルモントの街。
普段は目視できないのに、今日に限っては何かの嫌がらせかとネストは多少の不快感を覚えた。
後数時間もすれば、この式典も終わりを迎える。その後、ネストが参加しなければいけない公務はしばらくない。
リリーの魔法修練を数日休ませてもらい、その時間を使ってコット村に足を運ぼうと、ネストは考えていた。
(九条に謝らなくては……。自暴自棄になっていたとはいえ、酷いことを言ってしまった……)
自分が悪い事はわかっているのだ。ノーピークスで落ち着きを取り戻し、謝罪しなければと思い立った。
しかし、スタッグへ急ぎ帰るも、そこに九条の姿はなかったのだ。
セバスから、九条はその日の内に出て行ったと伝えられ、ネストは酷く後悔した。
(私は嫌われてしまっただろうか……)
ネストはそんな事を考えながら、早く式典が終わらないかと時が経つのを待っていたのだ。
「ネスト……」
「ごきげんよう、王女様」
後ろから声を掛けてきたのは、第四王女リリー。
今日はドレス姿。その純白のドレスはウェディングドレスと言っても過言ではないほど素敵で似合っていた。
その隣には、バイスと第四王女派閥の貴族達が集結していたのだ。
「浮かない顔して、何考えてたんだ?」
ネストを心配して来てくれた者達。ネストはそんな自分を情けないと思うと同時に、ありがたいとも感じていた。
「ネスト……。力になれなかった私がこんなこと言えた義理ではありませんが、元気を出して下さい。残念なことではありますが、私はネストが無事帰って来てくれて感謝していますよ?」
「……ありがたきお言葉です。王女様……」
「あちらで皆に混ざりませんか?」
「そうですね」
リリーには心配を掛けまいと、ネストは無理矢理にでも笑顔を作る。
それを面白くなさそうに見ていたのは、他でもないブラバ卿だ。
「これはこれは王女様。ごきげんよう。パーティーはいかがですかな?」
大きな身体を揺らしながらの登場に、リリーの顔が一瞬しかめたようにも見えたが、営業スマイルは崩れていない。
「ええ。楽しませていただいております」
「それは良かった。それにしてもアンカース卿の御息女殿は挨拶もないとは……。立派なご身分ですなぁ?」
予想通りの展開である。リリーがなんとかしてブラバ卿をネストから遠ざけようとするも、それが通じるブラバ卿ではない。
「ブラバ卿。あちらの……」
「失礼、王女様。私は今アンカースとお話をしておりますので、少々お待ちいただけますかな?」
(王女に対してなんと無礼な……)
とは言え、これくらいで腹を立てては貴族なぞ務まらない。
(私がブラバ卿に頭を下げれば済む話。早々に謝って、お帰り願えばいいだけだ)
「失礼しました。ブラバ卿。何分、人が多くて……。挨拶が遅れてしまい申し訳ございません」
冷静に頭を下げるネスト。ここでやり合っても不利なのはこちらだとわかっている。
ブラバ卿であれ、それが本心でないことを知っているからこそ、周囲に流れる不穏な空気。
それに気付いた他の貴族達はチラチラと目を泳がせるだけであったが、リリーとバイスは違っていた。
普段であればどうという事はないが、今日のネストは虫の居所が悪いことを知っている。しかも、その原因は目の前だ。
最悪手を出してしまうんじゃないかと憂慮し、二人の表情は不安と動揺を隠しきれていなかった。
そこにタイミングよく現れたのが、国王であるアドウェール・グリフィン・スタッグだ。長く伸びた灰色の髭は威厳そのもの。
厳格な国王であれば、この流れを変えられると思ったのだろう。リリーは自分の父親に向かって大きく手を振った。
「お父様ぁ!」
「おお、リリー。パーティーは楽しんでいるかい?」
ゆっくりと歩み寄る国王に、誰もが恭しく跪く。
流石のブラバ卿もそれを無視することは出来ない。王に向き直ると頭を下げる。
「「陛下!」」
「よいよい。面を上げよ。折角のパーティーだ、皆で楽しまなければ……」
王の御前である。場の空気は、一気に緊張感へと姿を変えた。
さすがのブラバ卿もこの状況で、人を卑下するような事は言わないだろうと安堵したのだが、それはまさかの逆効果。
「そういえば陛下。アンカース卿の御令嬢が三百年前に紛失したと言われている国宝の魔法書を見つけたそうですぞ?」
「――ッ!?」
「何? それはまことか!?」
「はい。本日の式典で陛下にお返しする予定だと聞き及んだのですが、何時頃お返しになられるのでしょうか。楽しみですねぇ……クククッ」
憎悪を抑えきれず、ネストの顔が歪んでいく。
噛み締めた唇からは、鉄分を含む血の匂いが広がった。
(その魔法書を焼いたのは貴様だろう!)
それは怒りを通り越し、この先の人生を捨ててもいいとすら思えるほどの殺意を覚えたネストであったが、今は王の御前だ。
何も言えず、押し黙るしかなかった。