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第一話 桜の下で君は笑った
―後編―
「……その写真、すごく好き。」
紬の声は、
教室のざわめきに溶けるくらい小さかった。
それでも湊の耳には、
不思議なくらいはっきり届いた。
好き。
たった二文字なのに、
胸の奥へ真っすぐ落ちていく。
湊は少しだけ視線を落とした。
スマートフォンの画面には、
今朝撮った桜の写真が映っている。
風に舞う花びら。
青く澄んだ空。
誰も写っていない一枚。
今まで何百枚も景色を撮ってきた。
でも、その写真を
こんなにも真剣に見つめてくれた人はいなかった。
「……ありがとう。」
ようやく出た言葉は、それだけだった。
紬は嬉しそうに笑う。
「もっと見てみたいな。」
「え?」
「神崎くんが撮った写真。」
湊は少し困ったように笑う。
「景色ばっかりだよ。」
「景色だから見たいの。」
その返事は、少し意外だった。
普通なら人物や旅行の写真を想像するはずなのに。
紬は写真そのものではなく、
その景色を見てみたいと言った。
「今度、見せて。」
「……うん。」
小さく頷く。
それだけで紬は満足そうだった。
「約束ね。」
約束。
その言葉が妙に心に残る。
まだ出会って数時間しか経っていない相手と
交わした、小さな約束。
それが、こんなにも嬉しいなんて思わなかった。
*
昼休みのチャイムが鳴る。
教室は一気ににぎやかになった。
机をくっつける音。
パンの袋を開ける音。
笑い声。
そんな中、湊はいつものように席を立った。
静かな場所で昼食を食べよう。
そう思って教室を出ようとしたときだった。
「神崎くん!」
振り返る。
紬が小走りで追いかけてきた。
「どこ行くの?」
「……屋上。」
「屋上って入れるの?」
「昼休みだけ。」
「そうなんだ!」
紬は目を輝かせた。
「私も行っていい?」
突然の言葉に、湊は少しだけ戸惑う。
一人でいることに慣れていた。
誰かと昼休みを過ごすなんて、
中学生の頃以来かもしれない。
「迷惑だった?」
少しだけ不安そうな表情。
その顔を見てしまうと、
「嫌だ」とは言えなかった。
「……ううん。」
「ありがとう!」
紬はぱっと笑う。
その笑顔は、本当に春みたいだった。
*
二人で階段を上り、屋上へ続く重い扉を開ける。
春風が勢いよく吹き抜けた。
フェンスの向こうには街並みが広がり、
遠くの山々は淡く霞んでいる。
「わぁ……!」
紬は子どものように目を輝かせた。
「すごい景色。」
「ここ、好きなんだ。」
湊は照れくさそうに言う。
「一人になりたいとき、よく来る。」
「なんか分かる気がする。」
二人は少し離れて座り、お弁当を広げた。
沈黙が流れる。
けれど、不思議と気まずくはない。
風が運んでくる桜の花びらを眺めながら、
紬がぽつりとつぶやく。
「神崎くんって、静かな人だね。」
「そうかな。」
「うん。でもね。」
紬は空を見上げたまま笑う。
「静かな人って、ちゃんと周りを見てる人が多い気がする。」
その言葉に、湊は何も返せなかった。
自分では考えたこともないことだったから。
「写真もそう。」
紬は続ける。
「みんなが通り過ぎる景色を、神崎くんは立ち止まって見てる。」
「だから、あんな写真が撮れるんだね。」
春風が吹く。
花びらが一枚、紬の髪にそっと落ちた。
「……動かないで。」
気づけば、湊はそう言っていた。
紬が首をかしげる。
湊は少し緊張しながら、スマートフォンを構えた。
ファインダー越しに見える紬は、
桜と青空に包まれていた。
シャッターに指をかける。
――人物なんて撮ったことない。
それでも、
この瞬間だけは残しておきたいと思った。
カシャッ。
小さな音が、春の空へ溶けていく。
「えっ、今撮った?」
「……ごめん。」
「なんで謝るの?」
紬は笑いながら画面をのぞき込んだ。
そこには、
髪に桜の花びらを乗せて笑う自分が映っていた。
しばらく黙って写真を見つめる。
そして、ふわっと笑った。
「ありがとう。」
その一言に、湊は胸が少しだけ熱くなる。
その写真が、この先の人生で
何度も見返すことになる一枚だとは――
まだ誰も知らなかった。
春風は変わらず吹き続ける。
新しい季節は、まだ始まったばかりだった。
📷 Photo.001 『はじまりの春』
撮影日:4月8日
校門へ続く坂道を彩る桜並木。
朝の風に乗って舞う花びらは、
まるで「今年も春が来たよ」と
教えてくれているみたいだった。
あの日の僕は、
この写真を撮ることしか考えていなかった。
教室で誰に出会うのかも。
どんな一年になるのかも。
何も知らなかった。
だから、この一枚は何でもない春の景色だった。
……少なくとも、あの日の僕にとっては。
今なら分かる。
この写真は、
一人の少女と出会う直前の世界を写した、
一番最初の一枚だった。
M.S
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#オリジナル
芽花林檎
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コメント
2件

わ!ありがとうございます!人物だけではなく景色だから見たいってすごく深いですよね! ちょっと繊細だけどでもどこか2人の距離が感じられるように工夫して書いてたのでそこにも注目してくださってありがとうございます!
読ませていただきました。紬が湊の写真を「景色だから見たい」って言うところ、すごく素敵だなと思いました。普通は人物を期待するのに、彼女は湊の視点そのものを見たいんだなって伝わってきて。屋上で二人が少し離れて座ってお弁当を食べる距離感も、静かで優しい空気が流れていて、とても好きなシーンです。最後の写真データの記録の入り方も、この後の物語を思わせて胸がぎゅっとなりました。春のにおいがする、素敵なエピソードでした🌷