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2
ねこ(=^‥^)
99
「予紬さん、顔赤いですよ?」
「気のせいだ」
「でもさっきまで普通――」
「気のせいだ」
少し強めに返すと、しゆらは「うぅ……」と肩を縮めた。
けれど、その口元は少し笑っている。
俺は誤魔化すようにコーヒーへ口をつけた。
窓の外では朝の搬送車が低い音を鳴らしている。
研究棟の朝はいつも騒がしい。
金属の擦れる音。
誰かの怒鳴り声。
遠くで魔獣が唸る声。
その音を聞きながら、しゆらは毛布を抱えたまま窓の方を見た。
「……また増えてますね」
「何が」
「檻」
言われて見ると、中庭に大型の拘束檻がいくつも並んでいた。
最近よく見る光景だった。
「今日は早いな」
「昨日の夜も来てましたよ」
しゆらは少しだけ眉を下げる。
ああいう音が苦手なのを、俺は知っていた。
地下にいる魔獣達も、搬送車が来る日は落ち着かなくなる。
「後で様子見に行くか」
そう言うと、しゆらはぱっと顔を上げた。
「いいんですか?」
「駄目な理由あるか?」
「……ないです」
嬉しそうに笑う。
その顔を見ると、妙に胸の奥が静かになる。
俺は視線を逸らすように空になったカップを机へ置いた。
するとその時。
──ジジッ……
研究室のスピーカーが小さくノイズを鳴らした。
『第七研究棟所属、予紬研究員』
無機質な声が部屋へ響く。
『中央棟まで』
短い呼び出しだった。
しゆらが露骨に嫌そうな顔をする。
「またですか」
「最近暇なんだろ、上の連中」
「絶対違います」
俺は立ち上がり、椅子に掛けていた白衣を羽織る。
その途中で、くい、と裾が引かれた。
振り返ると、しゆらが服を摘んでいた。
「……なんだ」
「早く戻ってきてくださいね」
「子供じゃないんだから」
「予紬さん、研究始めると帰ってこないじゃないですか」
否定できなかった。
しゆらはそれを見て、小さく笑う。
「地下のみんな、待ってますし」
“みんな”の中に自分も入っているような言い方だった。
俺は少しだけ目を細める。
「……わかった」
そう答えると、しゆらは満足そうに白衣から手を離した。
中央棟へ向かう廊下は、朝だというのに妙に慌ただしかった。
研究員達が忙しなく書類を抱えて行き交い、警備兵の姿もいつもより多い。
その横を通り過ぎるたび、視線が一瞬こちらへ向く。
そしてすぐ逸らされる。
「あれが第七の……」
「半魔を置いてるって噂の……」
「やめろ、聞こえる」
小さな声。
だが完全には隠しきれていない。
俺は気にせず歩き続ける。
慣れていた。
最初は露骨だった視線も、最近では“見ないふり”へ変わっている。
その方が楽なんだろう。
関わらなければ済むから。
「予紬研究員」
不意に声を掛けられる。
振り返ると、同じ棟の補佐研究員が立っていた。
「朝から災難ですね」
「いつものことだろ」
「まあ、最近は特に、ですけど」
男はどこか落ち着かない様子で周囲を見回す。
「……何かあったのか」
そう聞くと、男は少し声を潜めた。
「昨夜、第三棟で逃走騒ぎがあったらしいです」
「逃走?」
「半魔ですよ。収容区画を壊して——」
そこまで聞いて、俺は小さく息を吐く。
最近こういう話ばかりだった。
「被害は」
「警備兵が数人。研究員も一人怪我したとか」
男は言葉を切り、それから少しためらうように言う。
「……上もかなり神経質になってます」
「だろうな」
「特に、未登録区画について」
視線がこちらへ向く。
遠回しな言い方だった。
地下区画のことだ。
「……噂好きだな、お前ら」
「有名ですよ、第七研究室」
男は苦笑する。
「“魔物を飼ってる研究者”って」
飼っている。
その言葉が妙に引っかかった。
保護しているつもりでも、檻の中へ置いている時点で本質は変わらない。
俺は何も返さず、再び歩き出す。
長い廊下の先、中央会議室の重い扉が見えてきた。
その途中。
ふと窓の外へ視線が向く。
中庭では、巨大な黒い檻が搬入されていた。
中で何かが暴れているのか、鉄格子が激しく軋んでいる。
周囲の研究員達は距離を取りながら、怯えたような目でそれを見ていた。
だが。
檻の隅から覗いた金色の瞳を見た瞬間、胸の奥がざわつく。
……子供か。
まだ小さい魔獣だった。
拘束具で口を塞がれ、四肢を鎖で固定されている。
それでも低く唸りながら、檻の隅へ身体を縮めていた。
「……」
気づけば足が止まっていた。
その時。
背後から、小さな足音が近づいてくる。
振り返るより先に、聞き慣れた声がした。
「やっぱりここでした」
「……しゆら?」
しゆらは少し息を切らしながら、俺の隣へ並ぶ。
その瞬間、近くを通っていた研究員達が僅かに距離を空けた。
露骨ではない。
だが、慣れた動きだった。
しゆらは気づいていないのか、気づかないふりをしているのか。
窓の外へ視線を向けたまま、小さく息を呑む。
「……怯えてるだけなのに」
その呟きと同時だった。
中庭の檻の中で暴れていた魔獣が、ぴたりと動きを止める。
周囲がざわついた。
研究員達が何かを言い合い、警備兵が檻へ近づいていく。
だが魔獣は暴れなかった。
ただ。
じっと上を見上げていた。
まるで、しゆらの声を探すみたいに。
「……」
しゆらは何も言わない。
ただ静かに、その金色の瞳を見つめ返していた。
その横顔を見た瞬間。
近くにいた研究員の一人が、小さく舌打ちした。
「……やっぱり反応するのか」
聞こえるような、聞こえないような声だった。
しゆらの睫毛が、ほんの僅かに揺れる。
けれど彼女は何も言わない。
慣れているんだろう。
そういう視線にも、
そういう言葉にも。
だからこそ、余計に腹が立った。
俺は窓から視線を外し、小さく息を吐く。
「行くぞ」
「……はい」
しゆらは最後にもう一度だけ中庭を見下ろしたあと、静かに俺の後ろを歩き出した。
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