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2
ねこ(=^‥^)
99
中央会議室の扉は重かった。
古い鉄扉が鈍い音を立てて開く。
中には既に数人の研究主任と警備部の人間が揃っていた。
部屋へ入った瞬間、空気が変わる。
向けられる視線の種類が、廊下とは違った。
露骨な嫌悪ではない。
もっと冷たい。
値踏みするみたいな目だ。
「予紬研究員」
中央席の男が口を開く。
白髪混じりの初老の研究統括だった。
「呼び出し理由は理解していますね」
「さあ」
俺は空いていた椅子へ腰掛ける。
周囲の何人かが露骨に眉を顰めた。
礼儀がどうとか、そういう顔だ。
「地下区画についてです」
やはりそれか。
「未登録研究対象の保有。
無断保護。
研究データの未提出」
統括は淡々と書類を読み上げる。
まるで罪状だ。
「特に最近は、“半魔”の扱いについて外部からも意見が増えている」
その瞬間。
部屋の空気が僅かに変わる。
誰も名前は出さない。
だが何を指しているのかは明白だった。
「……で?」
「で、ではありません」
別の研究員が口を挟む。
「あなたの研究室は危険すぎる。
管理外の魔獣まで匿っていると聞く」
「噂好きが多いな」
「否定はしないのですね」
俺は返事をしなかった。
沈黙を肯定と取ったのか、男は眉を寄せる。
「予紬研究員。あなたは優秀だ。
だからこそ理解してほしい」
統括が静かに続ける。
「今は非常時です」
「……非常時?」
「第三棟の件は聞いたでしょう」
半魔逃走事件。
「人間側にも被害が出ている。
これ以上、情に流された管理は許されません」
情。
その言葉に、妙に引っかかるものを感じた。
「処分予定個体の一時保護も禁止。
未登録区画は近いうちに調査が入ります」
部屋が静まり返る。
つまり。
地下を明け渡せと言っている。
俺はしばらく黙ったまま、机の上の書類を見る。
そこには既に、
地下区画の簡易見取り図まで記されていた。
……想像以上に早いな。
「返答を」
統括が言う。
俺はゆっくり視線を上げた。
その時だった。
──ォォォン……
低い警報音が、遠くで鳴った。
室内の空気が止まる。
警備部の一人が通信機へ手を当てた。
「……中庭区画で拘束異常!
魔獣が暴れて——」
直後。
窓の外から悲鳴が響いた。
会議室の人間達が一斉に窓際へ駆け寄る。
中庭では、先ほどの黒い檻が大きく揺れていた。
拘束鎖が激しく軋み、警備兵達が慌ただしく距離を取っている。
「鎮静弾を使え!」
「近づくな!」
怒号が飛び交う。
だが。
「……違う」
隣で、小さな声がした。
いつの間にか、しゆらが扉の近くまで来ていた。
誰も気づかなかったらしい。
「お前、なんで——」
「暴れてません」
しゆらは窓の外を見たまま言う。
淡々とした声だった。
「……あの子、苦しがってるだけです」
「何を根拠に——」
警備部の男が眉を顰める。
だがしゆらは動じなかった。
「右後ろ脚」
その一言で、俺はもう一度中庭を見る。
確かに。
魔獣は暴れているというより、後ろ脚を庇うように身体を捩っていた。
鎖が食い込み、血が滲んでいる。
「搬送時に固定ミスしてますね」
しゆらは静かに続ける。
「痛くて暴れてるだけです。
怖がってるから、余計に」
会議室が静まり返る。
研究員達は互いの顔を見合わせるが、誰もすぐには動かなかった。
“半魔の言葉”を信じるべきか迷っている。
そんな空気だった。
「馬鹿な。そんなこと——」
「なら近づいて見ればいいじゃないですか」
しゆらは初めて男を見る。
声は穏やかなのに、不思議と鋭かった。
「本当に暴走してるなら、もう檻壊してます」
「……」
誰も返せない。
中庭の魔獣は確かに暴れてはいる。
だが、本気ならあの程度では済まないのも事実だった。
しゆらは再び窓の外を見る。
その横顔には恐れより、痛みを見ているような静けさがあった。
「……鎖、外してあげれば落ち着きます」
「正気か!?」
警備部の男が声を荒げる。
「魔獣だぞ!」
その瞬間。
しゆらの睫毛が、小さく揺れた。
だが彼女は怒らない。
代わりに、ぽつりと呟く。
「……知ってます」
静かな声だった。
静かすぎて、
逆に部屋が冷える。
「魔獣が怖いことくらい」
その言葉だけで。
この場にいる誰より、
しゆら自身がそれを知っているのだとわかった。
半分は“そちら側”だから。
空気が重く沈む。
その時だった。
中庭で、魔獣が再び大きく身体を震わせる。
鎖が悲鳴みたいな音を立てた。
研究員達が後ずさる中。
しゆらだけが、小さく眉を寄せる。
「……痛そう」
本当に。
ただ、それだけを気にしている顔だった。
俺は小さく息を吐き、白衣のポケットへ手を入れる。
「予紬研究員?」
「鎮静剤貸せ」
「は?」
「このままだと脚が千切れる」
警備部の男が顔を歪める。
「危険です!」
「だから鎮静剤使うんだろ」
「しかし——」
「お前らより、しゆらの方がよく見えてる」
その瞬間。
しゆらが僅かにこちらを見る。
驚いたみたいな目だった。
俺はそれ以上何も言わず、会議室の扉へ向かった。
背後で、しゆらが小さく笑った気配がした。
中庭へ降りた頃には、騒ぎはまだ続いていた。
警備兵達が距離を取りながら檻を囲み、研究員達は遠巻きに様子を窺っている。
魔獣は苦しそうに低く唸り続けていた。
右後ろ脚の鎖が、不自然な方向へ食い込んでいる。
「……固定具が逆だな」
俺は小さく舌打ちする。
搬送担当が雑に扱ったんだろう。
「予紬研究員! 本当に近づく気ですか!?」
後ろで警備部の男が声を上げる。
「暴走した場合——」
「その時はその時だ」
「無責任な……!」
最後まで聞かず、俺は檻へ近づく。
魔獣はすぐこちらへ気づいた。
金色の瞳が鋭く細まる。
低い唸り声。
だが敵意より、怯えの方が強かった。
「……大丈夫です」
後ろから、しゆらの声がする。
振り返らなくてもわかった。
「予紬さんなら、ちゃんと痛くないようにしてくれます」
その声を聞いた瞬間。
魔獣の唸りが少しだけ弱まった。
周囲がざわつく。
俺は檻の前へしゃがみ込み、鎮静剤を取り出した。
「少し眠れ」
静かにそう言って、拘束具の隙間から薬剤を打ち込む。
魔獣はびくりと身体を震わせたあと、苦しそうに何度か呼吸を繰り返した。
やがて。
張り詰めていた身体から、ゆっくり力が抜けていく。
鎖の音が止まった。
中庭に静寂が落ちる。
「……落ち着いた」
誰かが呟く。
警備兵達もようやく武器を下ろし始めた。
俺はそのまま檻の脚部を確認する。
やはり酷い固定だ。
皮膚が裂けかけている。
「予紬さん」
すぐ後ろで、しゆらの声がした。
「……なんだ」
「ありがとうございます」
その直後。
白衣へ柔らかな重みが触れる。
しゆらが後ろから抱きついていた。
「お、おい……」
周囲の視線が一気に集まる。
だがしゆらは気にした様子もなく、そっと白衣を掴んだままだった。
「ちゃんと助けてくれると思ってました」
小さな声。
けれど妙に嬉しそうだった。
俺は小さく息を吐く。
「……人前だぞ」
「知ってます」
「なら離れろ」
「嫌です」
即答だった。
周囲が静まり返る。
研究員達の視線が痛い。
警備兵の一人なんか、露骨に顔を顰めていた。
だが、しゆらはそんな空気など存在しないみたいに、白衣へ頬を寄せる。
「予紬さん、ちゃんと優しいので」
「お前な……」
「私、好きですよ。そういうところ」
さらりと言われ、思わず額を押さえる。
周囲の視線が痛い。
警備兵達は呆れた顔をしているし、研究員の何人かは露骨に距離を取っていた。
だが。
「……しゆら」
「はい?」
「感動してるところ悪いが」
俺は檻の方を指差す。
「まだ固定具直ってない」
「……あ」
しゆらがぴたりと固まった。
檻の中では、鎮静剤で大人しくなった魔獣が苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。
右後ろ脚にはまだ鎖が食い込んだままだ。
数秒の沈黙。
「ご、ごめんなさい……!」
しゆらは慌てて白衣から離れた。
耳まで真っ赤だ。
「お前な……」
「だって安心したらつい……」
「ついで抱きつくな」
「……気をつけます」
全然反省してない顔だった。
俺は小さく息を吐き、檻へ近づく。
「工具」
そう言うと、近くの研究員が慌てて器具箱を差し出してきた。
先程まで騒いでいたくせに、今は妙に大人しい。
俺はしゃがみ込み、食い込んだ固定具を確認する。
金属が皮膚へ深くめり込んでいた。
「……酷いな」
「搬送時の固定ミスでしょうか」
後ろからしゆらが覗き込む。
さっきまで抱きついていた人間とは思えないくらい、声は冷静だった。
「雑に締めすぎてる」
「痛かったでしょうね」
しゆらは小さく眉を寄せる。
魔獣は半分眠っているはずなのに、その声を聞くと少しだけ身体の力を抜いた。
「……ほんと、不思議ですね」
近くにいた若い研究員が思わず呟く。
「こんなに落ち着くなんて……」
その瞬間。
隣の研究員が肘で軽く小突いた。
“余計なことを言うな”。
そんな空気だった。
しゆらは聞こえていないふりをしている。
ただ静かに、魔獣の方を見ていた。
俺は固定具の留め具へ工具を差し込む。
硬い音。
少しずつ圧を緩めると、魔獣の喉から苦しそうな息が漏れた。
「もう少しだ」
自然とそう声を掛けていた。
魔獣は薄く目を開ける。
金色の瞳がこちらを映した。
怯えた色は、もうほとんど残っていない。
やがて。
ガチャン、と鈍い音を立てて固定具が外れた。
赤黒く腫れた脚が解放される。
その瞬間、しゆらが小さく息を吐いた。
「……よかった」
本当に安心した顔だった。
その横顔を見ていると、不意に胸の奥が静かに熱を持つ。
俺は視線を逸らすように工具を置いた。
「包帯持ってこい」
「はいっ」
しゆらはぱっと表情を明るくし、小走りで医療箱へ向かう。
その背を見ながら、近くの研究員がぽつりと呟いた。
「……変わってますよね、あの子」
俺は返事をしなかった。
代わりに、眠たげに目を閉じ始めた魔獣の頭を静かに撫でた。
コメント
3件
おー、第5話読み終わったわ。この回、めっちゃ好きだな。しゆらの「暴れてません」「痛そう」ってセリフ、あれだけで彼女の立場と優しさが全部伝わってくる。研究員連中が「半魔の言葉」信じるか迷う描写もリアルだった。予紬がしゆらを庇って「お前らよりよく見えてる」って言い放つシーン、かっこよすぎるだろ。最後の抱きつきからの照れも良かったわ。固定具外すまでの流れ、テンポ良くて一気に読めた🔥