「律、おい、律! しっかりしろっ!!」
顔面蒼白で意識を失った彼女に呼びかけていると、壁に凭れながら立ち上がる旦那が一歩前進した。
「律に触るな!」
俺の怒声で彼の指の動きが止まった。なりふり構っていられず、俺はすぐ彼女を抱きかかえて外に飛び出した。
律は絶対死なせたりしない!!
助手席の扉を開け、シートを倒して彼女を寝かせた。
「ちょっと待てよっ! アンタ…律をどこに連れていくんやっ!」
旦那に肩を思いきり掴まれたので振り返った。
「今、論争してる暇はないぞ! このままだと律が死んでしまう!!」
「でも、アンタに律は渡せない――」
そこまで聞いてカッとなり、肩に置かれた手を思い切り叩き落した。
「今はそんなこと言ってる場合じゃねえっ!! 律を死なせたいのかっ!!??」
騒ぎを聞きつけられたらいけないから、声のトーンは落としつつ彼を怒鳴りつけた。時は一刻を争う。悠長に喋っている時間はない。
「腕のいい闇医者のところに連れて行くから。俺と話したかったらそこへ来い。場所は後で連絡する。せめてもの情けやと思え」
吐き捨てるように告げ、旦那を無視して車をかっ飛ばし、剣が起こした事件の時に世話になった闇医者を訪ねた。花隈付近の古い商店街の中で、表向きはヤブの外科医をやっているが、恐ろしい程に腕が良くて、どんな案件でも受けてくれるとんでもない老医師の下へ急いだ。
彼の医院の前に車を停め、裏口の呼び鈴を連打した。「開けてくれっ、頼む! 助けてくれ!!」
午後十時すぎの時間に近所迷惑も顧みず、俺はひたすら原口修造(はらぐちしゅうぞう)の闇医者の方の呼び鈴を何度も鳴らした。この呼び鈴は、知っている人間でないと押す事ができない。場所が分かりにくく普段はブロック塀に隠されている。
「誰や、こんな時間に」
ようやく外灯が点き、中からのそっと老医師の原田が現れた。痩せこけた茶色の肌に、皺が多く刻まれている。窪んだ眼球はぎょろっと奥深く、鷲鼻で初見の人間はかなり怖い容姿に驚くことだろう。偏屈な老人で気に入った患者しか診ないことで知られている。
「新藤博人や。久しぶりと挨拶を交わしている暇はない! 助けて欲しい女性がいるんや!」
「お前の心臓、儂に売る覚悟はあるか?」
祥子の時にも聞かれた。その時は剣が一緒だったから、彼が言った。俺の心臓で良かったら、使って下さい、と――
「ある! 彼女は、俺がこの世で一番大事にしている女や! 俺の心臓で良かったら、ひとつでもふたつでもくれてやる!!」
「アホなこと言うな。心臓はひとつしかないやろ。…入れ。女、連れてこい」
俺の本気を悟ったらしく、原口医師が入るように言ってくれた。
闇医者の割に忙しいのか、儲かってるからなのか、設備はきちんと整っている。医療機器にはぜんぜん詳しく無いが、多分反社会的勢力の人間が世話になっていそうな感じがした。
処置室に運び込んで律の様子を見た。原口医師は難色を示している。
「また剣がお前と女取り合って刺したんか?」
「違う。アイツは祥子と俺のせいで追い詰められて、心壊して療養中! 彼女は俺の大事な女性で関係ない。それより傷は深いのか?」
「さあな。なんとも言えん。意識がないからな。出血はそうでもないけれど、傷口の具合もわからないし、このまま助からないかもしれん」
「なんとか助けてくれ! 頼む!! 俺の心臓取ってくれてもいいから!」
原口医師に詰め寄って彼の肩を思いきり掴んだところで、「邪魔や」と速攻引きはがされた。
「とりあえず気が散るから、とっとと出てってくれ」
処置室を追い出された。こうなった彼に任せるしか道はない。待合室の長椅子に腰をかけ、長いため息をついた。