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ラスト・ミラージュ。
他者に対して関心の薄い傭兵であっても、その名を知らぬ者は少ない。
ディーシェをリーダーとする三人組にて構成されるユニティであり、その実績および実力が知名度をグングンと高めていく。
特異個体と呼ばれる魔物がいる。見た目や強さが並外れた存在をそう呼称するのだが、この三人はそれらの討伐を率先することでも有名だ。
動機は二つ。
金銭が稼げることと、強い魔物と戦えるから。
実は、特異個体狩りは報酬面では決して優れてはいない。たった一体の魔物を倒すだけで数十万イールが手に入るのだから、金額だけを見れば破格な報酬だ。
しかし、この狩りには別の側面が存在する。
安定しない。
言い換えるのなら、旅の予定が立てづらい。
特異個体に指定されたその一体だけを倒せば良いのだが、別の言い方をするのなら、それを探し出さなければならない。
目撃情報はもちろん共有される。それでも、特異個体がその場所にじっとしているわけがない。人間でさえ、王国の中をあちこち歩きまわるのだから、魔物もそれは同様だ。
討伐任務を受注した傭兵は、先ずは目的地へ移動する。
その後はひたすら探しまわる。邪魔な魔物は排除しつつ、その一体を探し続ける。
最初の移動に一日程度か。
その後の探索に果たして何日かかるのか? ここが読めない。
すぐに出会えれば幸運だ。
逆に運が悪ければ、一週間はかかってしまうかもしれない。もしくはそれ以上か。
仮に十日前後で倒せたとする。
その後は一日かけて戻るのだが、依頼にかかった日数は十二日。
もし報酬が十万イールだった場合、稼ぎとしては少々物足りない。
ギャンブルではないものの、そういう側面がこの狩りにはつきまとう。
ディーシェ達はそれでも率先して強敵達を倒し続けてきた。彼らはそれで一攫千金を得たのだが、その理由はひとえに実力のおかげだ。
並の傭兵なら一日かかる移動を、彼らは数時間でやってのける。
ならば、標的を探す時間も減らせて当然だ。
戦闘においても油断せず、きっちりと仕留めるのだから、そういう意味でも三人に隙などない。
運に左右されるとは言え、一日で二十万イール稼ぐことも少なくはない。
ならば、数百万イールの武器や防具を買えたとしても不思議ではなく、その結果、さらに戦闘力が高まるのだから好循環だ。
ラスト・ミラージュ。
傭兵を代表する傭兵として、日々活動する三人組。
今回は珍しく小さな子供を連れて、暗闇の中、小さな小屋に身を寄せている。木造のそれは三枚の壁で囲まれており、一方向は吹き抜けゆえ、密室ですらない。
屋根があるだけありがたい。利用者は皆そう考え、四人もそれは同様だ。
風が止み、夜行性の虫達が小さな音色を奏でる中、焚火を囲う傭兵達。黒一色に塗り替えられた段丘でそこだけが明るく、今日という一日に別れを告げるため、四人揃って晩餐を始める。
「私はこーれーニャン」
彼らはそれぞれに鞄を携帯している。自分の食事はその中に入っており、好きなものを好きなだけ食べれば良い。
トュッテが取り出したのはコロッケパンとチーズサンド、そしてデザートのギルドパイ。これはその名の通り、ギルド会館にて購入可能なスイーツだ。イチゴの甘酸っぱさとリンゴの甘さが合わさった絶品であり、傭兵以外にも人気は高い。
「いつも通りの」
ディーシェの眼下には食べ慣れた料理達がずらっと並ぶ。
おにぎり四つ。
デフィアーク風タコス。
チョコバナナクレープ。
タコスは大量の肉と少量の野菜を包んでおり、これ一品でもかなりのボリュームだ。
「やべー、あんま買ってきてねーぞ」
今回の旅は本来ならば一日ないし二日で終わらせるつもりでいた。ゆえに、この遅すぎる進行速度は想定外だ。補充した食糧は心許ない。
サキトンは干し肉一枚と総菜パンを三個取り出すも、明日からの食糧事情に頭を抱える。魔物を食べれば済む話だが、狩りはともかく解体や調理が面倒ゆえ、出来れば避けたい。
「さて……」
リーダーの声を最後に静寂が訪れる。最後の一人がまだ夕食を取り出していないからだ。
集まった視線を受け、ウイルは小さな背負い鞄に腕を突っ込む。
取り出された食べ物は大きなパン一個。長いそれは表面が硬く、その理由は材料に卵や砂糖が使われておらず、小麦粉や塩といった最低限の材料だけで作られたからだ。
少年はそれを掴み、右端をわずかにちぎる。長さにして五分の一程度か。拳より小さいそれを残して、左手の長い方をマジックバッグにしまう。
(たった……)
(それだけか?)
(子供だし、小食なのかニャ?)
状況はどうあれ、準備は整った。その合図で夕食の時間が始まる。
「いただきます」
「ニャ」
体力が有り余っていようと、腹は空いてしまう。傭兵であろうと生理現象には逆らえず、目の前の料理を口に運ぶ。
一方、ウイルはちぎったパンをゆっくり租借する。非常に薄味だが、贅沢は言えない。少量ゆえ、あっという間に食べきってしまうも、水筒のハーブティーを飲み、胃の中で膨張させて空腹を紛らわせる。
「そんなんで足りるのかよ?」
干し肉を食いちぎり、ガシガシと噛みながらサキトンは疑問を問いかける。行儀はよくないが、そんなことを気にする人間はここにはいない。
「あ、はい。大丈夫です」
「そうかい。傭兵は体が資本だ。いっぱい喰わねーと強くなれねーぞ」
「そうニャそうニャ。たくさん食べたら私みたいなナイスバデーになれるよ?」
「男に何言ってやがる。しかもおまえ、まっ平じゃねーか」
「ぶっ殺す!」
第二次サキトン・トュッテ戦争勃発だ。小屋が震えるほどの打撃戦が繰り出される横で、ウイルは静かに立ち上がると、草原側で短剣を引き抜く。
(素振り……。日課の修行か?)
これだけは欠かさない。ディーシェに見守られながら、ブロンズダガーを構えるウイル。腰を落とすと同時に闇を切り裂き、手ごたえを反芻しながら再度構える。
スッ。
シュッ。
腕の動きや重心の位置を意識しながらの斬撃は非常に遅い。魔物はおろか人間にさえ当てることは不可能だろう。
もちろん、当人とてそんなことは重々承知だ。今はまだ準備段階。切ることよりも動作の有効性を確認している最中ゆえ、焦ることは何一つない。
(このクレープ美味いな。ほう、徐々に速めていくのか。素人なりによく考えている)
デザートを平らげ、ディーシェは満足気だ。そして、仲間達の喧嘩には介入せず、依頼主を黙って見つめる。
シュシュシュシュッ。
短剣の刃が矢継ぎ早に振り下ろされる。
その負荷は見た目以上だ。その証拠に、ウイルは薄っすらと汗をかいている。
単なる素振りではあるものの、稼働区域は全身。右腕は当然ながら、背筋、太もも、足の指さえも一振りの度にそれぞれの役割を果たしている。
短剣を握るため。
姿勢を保つため。
斬撃がぶれないため。
多種多様な理由で筋肉を総動員し、空虚な闇を丁寧に切り裂く。
発汗だけでなく、呼吸も乱れ、手足も震え始める。以前はそれで切り上げていたが、今は続けたい。不思議とスタミナそのものは枯渇しておらず、歯を食いしばればまだまだ継続可能だ。
(今日も! 不思議だった! 明らかに! 前とは違う!)
少年もさすがに気づく。この体の耐久度、持続力、回復速度が別人のように変化したことを。
巨人討伐のため出発した四人だが、ウイルは早々にへばり、草原の上で眠りこける。その時の睡眠時間は一時間足らずだが、起こされた後は遅いなりにも走ることが出来た。
だからこそ、マリアーヌ段丘をいっきに南下し、ルルーブ森林近くの小屋にたどり着けた。
たった一時間の昼寝。それが少年の体力をいっきに癒してくれたのだから、にわかには信じ難いが素直に受け入れる。
圧縮錬磨という名目で、エルディアが大量の魔物を倒させてくれたおかげだ。
とどめを刺しただけ。事実はそうなのだが、それでも十分な鍛錬に繋がる。この世界の理であり、体力だけなら並の大人を大きく上回る。
それでも本来の実力を発揮することは出来ない。
(ふぅ……。お腹減ったな……)
今日のところは終了だ。短剣を振り抜き、腰の鞘へゆっくりと納める。
現時点におけるウイルの最大の欠点。それは、自己管理が全く出来ていないことだ。
十二年間、貴族として両親やメイドに面倒を見てもらっていた。大金持ちの長男として、なに不自由なく過ごしたのだから、傭兵としての生き方がわかるはずもない。
出発の前に購入した食糧は、先ほどのパンと少量のハーブティーだけ。ディーシェ達にほぼ全額を手渡してしまったため、それしか用意出来なかった。
あまりに計画性がない。
そうなってしまった理由は単純明快だ。
己の欲求を優先したいから。
つまりは復讐だ。この動機に付き従って、巨人を倒すことだけを考えている。
他には目もくれない。
所持金も。
持っていた荷物も。
己の体調さえも、手放す。
それで憎き敵を殺すことが出来るのなら、取り繕うことも、格好つけることもしない。
なりふり構わず突き進む。成功の合否を考えない時点で貴族らしさは抜け落ちており、成長なのか劣化かは本人にもわからない。
「おつかれ。これをやろう」
「あ、ありがとうございます。だけど、いいんですか?」
汗を拭うウイルに、ディーシェから食べ物が差し出される。
コロッケパンとギルドパイ。サキトンとトュッテの夕食のはずだが、二人は未だ殴り合っており、完全犯罪はあっさりと成立だ。
「ばれなきゃ大丈夫」
そう言い残し、ディーシェは仲間の元へ戻る。
ポツンと立ち尽くすウイルだが、両手は至極幸せだ。
右手にはコロッケを挟んだパン。美味な揚げ物と受け皿を兼ねたパンの融合は一種の発明と言えよう。ずっしりと重く、これだけでも満腹になりそうだ。
左手の上には黄金色のパイ。顔を近づけずとも果物の甘い香りが鼻腔に届く。リンゴとイチゴが隠されている証拠だ。
大きく口を開き、立ったままコロッケパンを頬張る。久方ぶりのまともな食事だ。我慢など出来るはずもない。
醜い言い争いと打撃音を聞きながら、一つ目をあっという間に平らげる。コロッケの油分が乾いた体に染み込み、自身がいかに飢えていたかを実感させられる。
続けて、左手のギルドパイ。言わば食後のデザートだ。貴族だった頃はそれが当たり前だったが、ハイド達と出会った時以来ゆえ、感無量だ。
幸せを噛みしめるように味わい、こちらもまた、一瞬で食べきってしまう。
たっぷりと腹が満たされた。同時に生命の充足を感じる。
明日からの長旅にも耐えられそうだ。安直ながらもそう考えながら、そして、唇を舌で舐めながら、満面の笑顔で三人の元へ戻る。
リーダーの介入によって喧嘩は終わり、夕食も済んだことで静かな時間が流れ始める。
後は寝るだけ。そんな雰囲気が漂う中、大人組はまだまだ眠くはないため、雑談も兼ねた質疑応答が再開される。
「そういえば俺達の戦系について話してなかったか。俺が、まぁ、見た目通り、守護系だ」
全身を余すことなく守る鎧。その時点で戦闘系統は二種類に狭まる。もちろん、防具の選択は好みによるところも大きいため、一概には決めつけられないが、ディーシェは見た目通りの役割に準じる。
守護系。最前線に立ち、魔物との攻防において攻撃を自身に引き付ける。盾のような立ち振る舞いから盾役と呼ばれており、エルディアの魔防系もここに当てはまる。
守護系は最も重宝される戦闘系統の一つだ。もちろん、魔防系でも同様の役割は果たせるのだが、盾役としての性能はこちらが優勢だと言われている。
その理由は魔法の有無だ。守護系は戦技以外に回復魔法のキュアを習得する。この時点でライバルとは圧倒的な差と言えよう。こういった背景から傭兵が盾役の仲間を集う際は、魔防系ではなく守護系を探す。
「私は魔療系ニャ。怪我したらすぐに言ってね~。バキュンと治しちゃうよ」
魔療系。守護系同様、重要視される戦闘系統だ。回復魔法をいくつも扱える治療のエキスパート。魔物との戦闘においてこれほどにありがたい存在はなく、可能ならば全てのユニティに最低一人は欲しい。
「技能系」
サキトンの戦闘系統は攻守を兼ね備えている。覚える戦技はそのどれもが優秀であり、使うタイミング次第では、自身や仲間の窮地さえ覆せるだろう。
このユニティは非常にバランスが良い。
盾役のディーシェ。
攻撃の要、サキトン。
回復の専門家、トュッテ。
その上、三人が三人とも巨人を討伐出来るほどの実力者なのだから、ラスト・ミラージュの快進撃は必然だ。
「参考までに訊きたいんだけど、エルさんの戦系は何だった?」
「あ、魔防系です」
エルディアの戦闘系統は盾役に分類されるが、単身での戦闘においても決して腐らない。その場合、ウォーボイスだけは意味を成さないが、その他の戦技は万能かつ優秀だ。
それでも負けた。
力量差を埋められるほど、魔法や戦技は便利な神秘ではない。逃げることに徹するのなら話は別だが、彼女は真っ向勝負を望んでしまい、結果、完膚なきまでに敗れ去った。
(かなりの怪力か。油断は出来ないな)
ディーシェの予想は的中している。丈夫なエルディアを圧倒する腕力は、等級四であろうと注意すべきだ。
「巨人の動きはどうだった? あいつら、どんくさいようで案外素早いからな」
「走る速さはそうでもなかったですけど、戦ってる最中は僕の目じゃ追いきれませんでした」
隻腕の巨人。その実力は本物だが、弱点があるとするならば、片腕ということと足の負傷だろう。古傷が原因で、全力疾走が短距離に限定される。そのおかげでウイルは逃げ切れたのだから、不幸中の幸いだ。
「ウイル君ってエルさんのことが好きにゃの?」
「いえ、別に……」
「そっかー」
昼寝後の移動の最中で、巨人から逃げ延びた後のことは説明済みだ。
エルディアを背負い、グラウンドボンドを駆使して逃げ延びたこと。
迷いの森で魔女と会い、エルディアを治療してもらっていること。
さすがの三人も魔女という単語には驚きを隠せなかったが、事実をあっさりと受け止める。
ウイルがまだ話していないことは一つ、呪恨病の件くらいだ。訊かれなかったから答えなかっただけとも言えるが、母については可能なら伏せたいと考えている。
それほどに、この件はデリケートだ。現状では謎が多すぎるため、もし話すとしても状況が飲み込めてからにしたい。
「あ、それじゃ、皆さんはどんな経緯でユニティを結成されたんですか?」
駆け出し傭兵としての純粋な疑問だ。
ユニティは即席のチームとは異なり、意気投合した者達が結成する中長期な組織だ。
ハイドとメルのライトアンドサウンド。
ディーシェ達のラスト・ミラージュ。
エルディアが所属するオムレツサンド。
ユニティに属していながらも一人で自由に冒険しても良いのだが、仲間達と力を合わせて活動する方が何かと利点が多い。
対して、ウイルは独りぼっちの傭兵だ。そういう者も少なくはないのだが、誘われない以上は単独行動を続けるか、自らがリーダーとなってユニティを作るしかない。
「たしか~、二人が同時に私のことニャンパしたことがきっかけだっけ?」
「全然ちげーよ。死ね」
「こ、言葉が厳しすぎるニャン!」
「同時の部分だけはあっているが……」
傭兵が手を組む動機はそう多くはなく、彼らに関してもありふれた経緯だ。
その日、ディーシェは報酬額の高さを理由に難易度の高い依頼を受注した。今ほどの突出した実力は持ち合わせておらず、即席の仲間を集うため、ギルド会館にて募集を行った。
一時間ほど経った頃合で、偶然にも二人の傭兵が彼に声をかける。
それがサキトンとトュッテだ。
バランスの良い戦闘系統が揃ったのだから断る理由もなく、その後、三人はこの縁をきっかけにユニティを結成する。
平凡な、そしてごく自然な流れだ。
ラスト・ミラージュで繋がった三人は、特異個体の討伐や高額依頼を中心にこなし続け、大金を掴む。
金を稼ぐことが目的ではない。武具を高級品に置き換え、より強い魔物と戦うためだ。
傭兵には二種類の人間が存在する。
死なないことを第一とし、強敵との戦闘を避ける者。
より高見を目指し、格上の魔物を追求する者。
どちらかが優れているということではなく、性格や人としての在り方の差だ。ディーシェ達は後者であり、強くなるためには金策が必要事項だった。
金を稼ぐ。
その過程で腕が磨かれる。
装備をより上位のものへ更新する。
そして、金を稼ぐ。
この繰り返しだ。それを何年も続けた結果が、今の三人を形作っている。
「つまらない話だったろ?」
「い、いえ、勉強になりました」
その後も続く雑談。焚火を囲う人数が四人もいるのだから、話が途切れることはない。
ウイルが草原ウサギに殺されかけたこと。
エルディアが圧縮錬磨という名目で、多数の魔物狩りを手伝ってくれたこと。
ディーシェ達ですら苦戦する魔物があちこちにいること。
等級五を目指すも早々に挫折したこと。
話題は盛沢山だ。傭兵なのだから、突拍子もない経験とは隣り合わせ。日々生きているだけでも話のネタが見つかってしまう。
それでも終わりは訪れる。少年が睡魔に敗北し、さっと寝入ってしまったからだ。
残された三人も暇を持て余すように眠る。傭兵と言えども人間だ。食欲と睡魔には抗えない。
そよ風が草原を撫でる静寂の夜。マリアーヌ段丘にとっては長い長い一夜だったのかもしれないが、彼らには一瞬だ。
まるで瞬きのように朝を迎え、ウイルを含む三人がほぼ同時に目を覚ます。
ジュルジュルと沸騰する肉汁。それが醸し出す香ばしい匂いは寝起きであっても刺激的だ。
誰かが肉を焼いている?
その事実を確かめるため、わずかに体を起こしたディーシェだったが、納得といった様子で二度寝を決め込む。
「いや、起きたんなら手伝えよ」
「もう焼きあがりそうだし」
「いやいや、切り分けたり皿並べたりがあるだろ……」
焚火に向かって一人座り込む青年。
オレンジ色の短髪。
青色の革鎧。
ニヒルな顔立ちをしかめながら、リーダーに文句を言う度量。
サキトンだ。ウサギの形をした肉を炎で炙っており、その香りが小屋とも呼べないこの建物内を満たそうとしている。
「ニャー、どしたのそれー?」
「さっき狩ってきた。久しぶりに掻っ捌いてみたけど、やっぱめんどくせー」
瞳は半分閉じたまま、寝癖だらけのトュッテがもそっと上半身を起こす。
焼かれている肉は草原ウサギだ。皮が剥がされ、内臓は取り出され、その造形をある程度保ったまま、あちこちに焦げ目をつけながら肉汁をこぼしている。
「最近はあまり現地調達してなかったな」
「あぁ。だがまぁ、たまには良いもんだ。この匂い……、たまらねー。ほら、さっさと起きろ」
「は~い……ニャ」
外は夜の面影をかすかに残している。つまりは早朝というよりも明け方なのだが、肉という朝食を用意された以上、料理人の言うことには従うしかない。
「おはようございます……。朝から肉、エルさんもそうでしたが、傭兵はこれが普通なんですか?」
眠い目を泣きぼくろごとこすりながら、ウイルも体を起こす。ここは宿屋でもなければ実家のベッドでもない。毛布の類は一切なく、寝るといっても普段着を着たままの雑魚寝だ。
「俺やディーシェは朝からでも大丈夫だなー。こいつは、デリケートみたいだけど」
「パンと果物派~……ニャ」
「ウイル君も傭兵を頑張るのなら、肉をいっぱい食べると良いぞ」
「はいー、タンパク質とアミノ酸が豊富ですもんね」
(なんか難しいこと言いだしたな)
(……やはり、ただの子供じゃない。教養の域を越えている)
(あみのさんって誰ニャー)
その後、サキトンとディーシェがウサギ肉を切り揃え、あっという間に準備が整う。
肉尽くしの朝食だ。
「朝だったら一匹で十分だな。足りなそうだったらディーシェを起こそうとも考えたけど」
「そ、そういうことは夜の内に言ってくれ……。まぁ、これに関しては助かったよ」
立ち並ぶ皿の上には、大小様々な肉が鎮座している。
厚みのある肉。
細切れの肉。
骨ごとの肉。
肉、肉、肉。ウサギまるごとの朝食だ。
「体調はど~お?」
「あ、すっかり元気です」
「良かったニャー」
心配するトュッテにウイルは笑顔を返す。昼寝の一時間程度でスタミナが回復したのだから、一晩熟睡すれば絶好調だ。
その上、朝から兎肉を腹いっぱいに食べられるのだから、普段以上の活力が湧き上がる。
「今日の予定は?」
「そうだな。夜までにはルルーブ港には着きたい。理想はそこで一泊」
「おっけー」
「わかったニャン」
かなり厳しい道のりだ。
現在地はまだマリアーヌ段丘、その南西付近だ。
リーダーの提示した地点まではおよそ百キロメートルも離れている。子供が歩くとなると二十時間以上、食事や休憩を挟めば三十時間前後といったところか。
「ゆっくりで良いから、走って進んでみよう」
「は、はい……。だけど、僕はお金がないので、港の近くで野宿します……」
ウイルの心配事は体力だけでない。金欠ゆえ、そういった面でも三人の足を引っ張ってしまう。
「ぶふっ、そんなこと気にすんな。ウッドシープやウッドファンガーを何体か狩ってまるごと売りさばけば、宿代くらいにはなるだろ。な?」
この子供に金を恵むつもりはない。だが、金策ならいくらでも手伝うつもりだ。サキトンは骨付き肉をしゃぶりながら、当然のように言ってのける。
「そ、そんな……、そこまでは……」
「まぁ、ギリギリってところか。問題は着けるかどうかだが、無理そうなら野営すれば済む話だ。俺かサキトンが港へ買い出しに向かえば、当面は持つだろう」
「だったら私が買いに行きたーい。あんた達に任せるとどうせ肉ばっか買うし~。あ、ニャー」
縮こまるウイルを他所に話し合いはまとまる。
金策という側面から見た場合、魔物は非常に低額だ。皮や肉、骨や牙を売りさばいたところで、その金額はたかが知れている。需要はあるのだが、供給量も安定して多く、それゆえに価格が抑えられている。
「今日中にルルーブ港へ着けた場合、明日以降は……」
仮の予定だが、その先についても話し合う。ウイルの走力次第で計画はすぐにでも破綻するのだが、朝食中の話題としては丁度良い。
その後、満腹を合図に四人は移動を開始する。
旅はまだ二日目。ミファレト荒野はまだまだ先だ。
この日、彼らはそれぞれの理由で驚かされる。
先ずはディーシェ達。なぜなら、ウイルがジョギングのような遅いペースではあったが、最後まで走りきれたからだ。
その甲斐あって日が暮れるよりも先にルルーブ港へたどり着けたのだから、宿屋でとっぷりと休むことが出来た。
そして、ウイルもまた、ありえない光景を目の当たりにした。
道中、当然ながら魔物達と遭遇するのだが、それらの反応がありえなかった。
通常なら、人間を無視するか襲ってくるかのどちらかなのだが、今回に限ってはそれら全てが一目散に逃げだした。
その理由を、少年は学校で既に習っている。
魔物は自身よりも遥かに強い人間に対して、恐怖心を抱き逃げ出す習性がある。生物学の授業でそう教わった。
エルディアでさえ、その段階には至っていない。単なる打撃でそれらを仕留める彼女であっても、だ。
だが、ディーシェ達はそのさらに上にいるのだと、魔物が証明する。
彼らが近づくと、我先に逃げ出すキノコの化け物。穏やかな羊達でさえ、身の危険を感じたのか走り去る有様だ。
異様な光景だった。人間に恐れおののく魔物達。
もっとも、彼らに狙われたら最後、生き延びることなど出来ない。
あっさりと捕まり、ポカンと殴られればそれで絶命。その後は売却されて素材へ早変わりだ。
その金でウイルは宿に泊まり、夕食にもありつけた。
翌朝、つまりは三日目。
四人は朝から走り出す。魔物が障害になりえないのだから、少年の体力が尽きない限り、快適な旅路が約束される。
ルルーブ港を出発、西へ進行し、昼頃にはシイダン耕地へ突入。昼食を挟み移動を再開すれば、日暮れ頃にはその日の目標地点に到着だ。
土壌が豊かなここには多数の畑が延々と広がっている。野菜や果物、穀物がスクスクと育つ一方、魔物にとっても居心地が良いのだろう。昆虫と呼ぶには大きなそれらが、あちらこちらでモソモソと闊歩している。
現在地はシイダン耕地の真ん中付近。朝から走りっぱなしゆえ、ウイルはすっかりヘトヘトだ。癒しを求めて川の岸に座り込み、靴を脱ぐや否や素足をその中に浸す。
この地に走る二本の河川。上流で分岐するそれらの内の一本が、シイダン耕地を東と西に分断しており、水流の勢いは穏やかながら、その川幅は広く、大量の水がこの地に潤いをもたらしている。
(三日でもうここか。すごいもんだ)
川の流れを眺めながら、ウイルは静かに唸る。
ルルーブ港に立ち寄ったため、ルート的には遠回りだ。それでも既にシイダン耕地。魔物が脅威足りえないと、旅がどれほど楽か痛感させられる。
怯える必要がない。
神経がすり減らない。
なにより、前方の魔物を避けるため、右往左往しなくて済む。
非常に楽だ。己のスタミナにだけ注意して、一定のペースで走り続ければ良い。
(ひんやりしてて気持ち良い。流れがマッサージみたいで最高……)
足の裏。
指とその隙間。
足の甲。
足首。
それらが満遍なく包まれ、揉まれ、冷まされるのだから、疲労はあっという間に蒸発していく。
先ほどまでは青かった空はすっかり黒一色。焚火の音を聞きながら夕食を済ませれば、そこからは完全に自由時間だ。
このまま星々を眺めていても良かったが、いそいそと日課に取り掛かる。
三人から離れ、炎の光がわずかにしか届かない場所で、少年は短剣を握る。
「ダガー振り回してたって強くなれねーぞ。ほれ、相手してやる。かかって来い」
意気揚々と参戦だ。満たされた腹をさすりながら、サキトンがニシシと笑顔をこぼして立ちはだかる。
「え……、そんなの無理です」
当然の反応だ。人間相手に短剣を振るった経験はなく、万が一にも当たってしまったら、怪我を負わせてしまう。
「反撃しないから安心しな。ほれほれ」
「でも……、もし当たっちゃったら……」
挑発の構えを取り続ける相手に、ウイルは狼狽し続ける。
魔物なら何度も斬り殺してきた。手応えに怯んだことは一度もなく、命を絶つことに躊躇はない。
だが、人間が相手なら話は別だ。怪我などさせたくない。
相手が悪党なら覚悟を決められるが、そうでないのだから全力で斬りかかることなど不可能だ。
「当たんねー当たんねー。もし当てられたら、そうだな……。そこの馬鹿女の胸触らせてやるよ」
「ちょっ⁉ 何言ってるニャ!」
「あ、胸筋がある分、俺やディーシェの方が大きいかもな」
「コロス!」
戦争勃発だ。
サキトン対トュッテ。日が沈んだシイダン耕地で、二人の傭兵が激しくぶつかり合う。
鬼の形相で殴りかかる女傭兵。
半笑いながらも実は必死な逃亡者。
一方的な理由はサキトンが回避に徹しているからだ。反撃の隙を見出せないのかもしれないが、この光景はウイルの不安を払拭するには十分だった。
(二人の動きが速すぎて全然見えない……。確かにこれなら、僕の攻撃が当たることもないか。ん? あ、これ……)
超常の喧嘩を眺めていた時だった。サキトンの逃亡先が偶然にもウイルの立ち位置に重なってしまう。
その結果、殺意に満ちた右ストレートの余波が、少年の体を地平線まで吹き飛ばす。
直接殴られたわけではない。発生した突風に巻き込まれただけだ。
「あ~れ~」
「あ」
「ニャ……」
暗闇の中、遠方でドスンと何かが落下する。
「さっさと助けて来い」
「へい」
「ニャー」
全身打撲のウイルはあっという間に救助され、トュッテの回復魔法ですっかり元通りだ。
予期せぬアクシデントはあったが、素振り改め模擬戦が開始される。
「ま、まぁ、わかったろ? どんなに頑張っても俺には当てられねーって……」
歯切れは悪いがその通りだ。
サキトンとウイルの間には、天と地ほどの差がある。
大人と子供という次元ですらない。
魔物と赤ん坊。
現状に当てはめるなら、隻腕の巨人とウイル。
覆すことも、差を埋めることも不可能だ。一朝一夕でどうこう出来る話ではない。
ならば、ウイルも安心だ。ブロンズダガーを右手に握りながら、勇気をもって踏み込める。
発進と同時に繰り出される斬撃。短剣を左から右へ走らせ、その首を切り落とす。
当然のように、寸でのタイミングで避けられてしまう。
それでも、刃を振り下ろす。
振り回す。
突く。
残念ながら、かすりもしない。そうでなければ困るのだが、それでも湧き上がるわずかな悔しさ。それをバネに、腕の振りを加速させる。
「雑になってきたぞー。ほら、もっと脇を締めろ」
「は、はい!」
「踏み込みも遅い」
「はい!」
「トュッテのおっぱいが待ってるぞ~」
「はいぃ!」
「あれ? そのネタまだ続くニャ?」
素振りと人間相手では勝手が異なる。それを痛感しながらも、ウイルは汗を流す。
指摘された内容は事実だ。都度修正しながらも、やはり実力差に驚愕させられる。
全く当てられない。
当たる気さえしない。
まぐれ当たりすらありえないほどの、絶対的な開き。
己の未熟さを呪えばよいのか。
相手の力量が異常なだけなのか。
どちらにせよ、じゃれ合うような模擬戦は三十分ほど続き、ウイルが力尽きたタイミングで終わりを迎える。
「こんなもんだな」
「はぁはぁ、ありがとう、ございました……。ぐふっ、ぜえぜえ」
汗一つかいていないサキトンと、起き上がれないウイル。予想通りの光景を眺めながら、ディーシェは師匠役にお茶の入った革筒を手渡す。
「どうだった?」
「まーだまだ。意識してないと軸がぶれる程度には素人だな」
「ふむ」
リーダーの隣に腰かけ、焚火越しに死体のような子供を見つめる。
「ただ、思ったよりは鋭いというか、腕の振りは悪くなかったな。しかも、刃に殺意を乗せてきやがった。そういう意味じゃ、合格だな」
傭兵は生物の命を奪うことが仕事だ。相手は人間ではなく魔物や野生動物だが、殺すことに躊躇するようでは決して務まらない。
ウイルはその点に関しては既に突破している。草原ウサギに殺されかけ、エルディアに救われた際、弱肉強食というルールを痛感したからだ。
殺さなければ殺される。ならば、殺すことにためらう理由などない。
「足りないのは時間と経験か」
「まだ子供なんだし、焦ることぁないんじゃね? 四、五年もすれば一人前だろ。下手したら等級四だってありえるぜ」
買い被りかもしれないが、サキトンはそう予測する。たった一回の鍛錬でわかることはそう多くないが、それでもその可能性には気づくことが出来た。
成長の見込みは十分ある、と。
「だが、成長前の天技習得……。これは痛すぎる」
「まぁ……な。これぱっかりは仕方ねぇ。そのせいで傭兵としての普通は手放しちまったからな」
ウイルは白紙大典から与えられた魔法しか使うことが出来ない。今後、どれほど腕を磨こうと、戦技や魔法は増えてはくれず、その弊害は残酷なほどに深刻だ。
傭兵。この職業は様々な方法で金を稼ぐ。
依頼の達成。
魔物の死体を売却。
鉱石の類を収集、売却。
ゴブリンや巨人族の魔道具ないし装備品を売却。
つまりは、傭兵組合から発行される依頼を淡々とこなすか、物を売ることで生計を立てるかのどちらかだ。
基本的には依頼が王道だろう。
魔物の体は使い道が多い反面、売却額は雀の涙程度。手間の割には儲からない。
鉱石の収集は決して悪くはないのだが、そもそも希少ゆえ、傭兵が見つけられることはレアケースだ。
道具を扱う魔物からそれらを奪い、売り払うという金策は案外儲かる。危険ではあるのだが、リスクを冒すだけの価値はあるだろう。
どの手段を取るかはそれぞれだが、難易度の高い金策に挑むのなら、一人より二人、二人より三人で臨みたい。
頭数を増やすと取り分も減ってしまうが、そこは自分達の力量や成功確率とを天秤にかけて検討するしかない。
ギルド会館では、そういった背景から日常的に傭兵が仲間を募集している。
積極性や社交性のある者が、自身の足りない側面を補うような形で同業者を集うのだが、その際の判断材料が戦技や魔法の習得具合だ。
戦闘系統によって得られるそれらは決まっている。
そして、その順番も同様だ。
例えば、エルディアの魔防系。
敵を自身に引き付けるウォーボイスから始まり、腕力を高めるネザーエナジー、魔法耐性を高めるエレメンタルアーマーの順に戦技を習得していくのだが、エレメンタルアーマーを使えるということは、その手前の二種も使えるということになる。
仲間を探す場合、戦闘系統だけでざっくりと募集する者も少なくないが、律儀に戦技や魔法を指定する場合が多い。
スパークを使える魔攻系。
タビヤガンビットを使える探知系。
キュアを使える守護系。
こういった募集の仕方は双方にとっても都合がよく、互いに条件を確認し合う手間が省けるのだから、その流儀が流行るのも頷ける。
残念ながら、ウイルはこういった傭兵としての当たり前から外れてしまった。
使える魔法はコールオブフレイムとグラウンドボンドの二種類だけ。
天技で魔物の居場所を感じ取れるが、戦闘面では役に立たない。
イレギュラーだ。ウイルという人間の特性をきちんと理解しなければ、手を組むことは難しい。
ゆえに、一期一会の募集に参加し、数日だけのチームを結成することは困難だ。こんな得体のしれない子供を受け入れる主催者は稀か、もしくはいないかもしれない。
残念ながらこれが現実だ。ディーシェ達はそのことを察しており、ウイルの行く末を案じてしまう。
「く、おっぱい……」
未だ起き上がれない少年の口から、悔しそうな声が漏れる。
(水浴びして寝るか)
(元気そうじゃねーか)
(ね、狙われてるニャ⁉)
三日目の夜がふける。
傭兵の基本は早寝早起きだ。
寝る子は育つ。
そもそも眠い。
ならば、明日のためにも四人は眠ることを選ぶ。
旅はまだ終わらない。
ここはまだシイダン耕地。目的地はまだまだ先だ。