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線上のウルフィエナ ―プレリュード―

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線上のウルフィエナ ―プレリュード―

28 - 第十三章 荒野を血に染めて(Ⅰ)

2023年08月14日

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事故も遅延も一切なく、四人はその地にたどり着く。

 巨大トンネルのような洞窟を抜ければ、そこから先は手つかずの荒地。そここそが旅の終着点だ。

 ミファレト荒野。

 灰色の雲が上空を覆う五日目の朝、彼らは意気揚々とその地を踏みしめる。


「いるかい?」

「いえ。このあたりには……」


 この遠征は遠足でもなければ散歩でもない。

 復讐だ。

 倒すべき相手は隻腕の巨人。全身傷だらけな上、左腕を失ったそれは今もどこかで獲物を探している。

 エルディアは決して弱くない。平均以上の傭兵だと断言出来る。

 そんな彼女でさえ、歯が立たなかった相手が今回の標的だ。

 数の上では優勢と言えよう。

 三対一。

 前回が一対一だった以上、その点だけは大きく改善された。

 ゆえに勝算はあるはずだ。

 そう思わなければ前には進めない。周囲に敵影はなく、その巨人を求めてウイルは前進を開始する。

 植物すら育たぬ不毛の大地。ゆえに虫も動物もいないここは、ある意味で魔物達の楽園だ。

 もっとも、その認識は正しくない。

 魔物は人間を殺したい。

 しかし、ここには人間がいない。

 ならば、生き地獄のはずだ。お預けをくらっているのだから、退屈な上に苦痛を感じていても不思議ではない。


「グングン探そうぜ」


 サキトンの鼻息は荒い。退屈な旅が山場を迎えたのだから、テンションは急上昇だ。

 二本の短剣は食料調達のためにしか使われておらず、無言ではあるが強敵の生き血を求めている。


「ねーねー、見つけたら誰が戦うの? それとも最初から本気でいっちゃう? あ、ニャー」


 薄緑色の髪はキノコカット。紅一点のトュッテは今日も健康そのものだ。


「様子見も兼ねて俺がやろう。それでいいにゃん?」


 リーダーの名はディーシェ。センター分けの金髪はキラキラと輝いており、真っ白な鎧とマッチしている。


「いいわけないだろ。俺だ俺。後、ディーシェまでにゃんとか言うな、気持ち悪い。ほんと、いつまで続けるんだよ、それ……」

「私はパスでいいよー。ウイル君のこと守るニャン」


 緊張感のないやり取りが続く中、ウイルは目と天技でその巨人を探し続ける。

 じれったい時間だ。ゆえに、その男は乱暴ながらも合理的な手段に打って出る。


「トロトロ歩いててもきりがねぇ。よっし、これでいくか」

「う、うわぁ!」


 その一手が少年に子供らしい声を吐かせる。

 先頭を歩いていたその時だった。背後から腰を掴まれ、太ももと太ももの間、つまりは股の真下に何かが突っ込まれると、突然の浮遊感に心臓が驚く。


「肩車か、考えたな」

「ひえぇ、高い~」

「お~、にゃるほど」


 ディーシェとトュッテに見守られながら、ウイルは目線の高さに狼狽する。

 未知の高度だ。大人に肩車をしてもらった記憶はなく、地平線のさらに向こう側が見えそうな感覚は錯覚ではないはずだ。

 空が近い。息を飲みながら上を見上げると、こちらに関しては思い違いだろうが、それでもそう思わずにはいられなかった。

 サキトンの両肩に乗りながら、橙色の頭にそっと手を添える。


「行くぜ。ちゃーんと捕まってろよ」

「はいぃ……」


 宣告と共に、サキトンが弾丸のように駆け出す。

 全身にぶつかる硬い空気。それはまるで突風のようであり、少年の顔はその重圧に耐えられず、ぐしゃりと変形する。


(あばばばば。速すぎるー。これが……本物の傭兵。エルさんやこの人達にとっての普通。す、すごいぃ)


 変わらぬ景色の急激な変化。命の危険すら覚える疾走だが、普段では味わえない体験ゆえ、それすらも楽しめてしまう。


「前から疑問だったんだけど、ウイル君ってニャンでそんなにブカブカな服着てるの?」


 並走するトュッテから、雑談代わりの問いかけが投げかける。このタイミングには適さない話題だが、それも仕方ない。

 風にあおられ、旗のようになびく衣服。子供が大人の服を着ているわけではないのだが、一見するとそう思えてしまう程度にはサイズが合っていない。


「最近、痩せたみたいでして……。僕、実はけっこう太ってたんです。こんな風に旅をすれば、さすがにまぁ、って感じなのかな?」

「ほほーん。歩きっぱなしだもんニャ~。子供だったら、ちょっとふっくらしてるくらいがかわいいと思うけど、傭兵してたら嫌でも痩せちゃうかぁ」


 ウイルに自覚はない。贅肉が消えた理由とそのタイミングはエルディアを救ったあの時だ。それ以前は全くといって良いほど変化は見られず、その瞬間の成長はそれほどまでに急激だった。


「ふっくらと言えば、エルさんって脚がすごく太くて、僕としてはカッコイイと思うんですけど、本人はすごく気にしてるんですよね~」


 その話題はデリケートだ。それを証明するように、三人は一瞬黙ってしまう。


「細くありたいという願望もあるのかもしれないな……」

「足腰だけは嫌でも鍛えられっからな……。そこのバカも太目だし」

「ニャッ⁉ 予想通り、私に飛び火した!」


 魔物を探しながらも、時折くだらない話題で談笑を交えつつ、四人は標的を探し続ける。

 驚くべきことに、ものの数十分でミファレト荒野の中心付近に到達出来てしまった。徒歩なら数日はかかるはずだが、彼らにとってはぶらっと外出する程度の距離感なのかもしれない。

 この地点に向かった理由はシンプルだ。ウイルとエルディアが隻腕の巨人と出会った場所にも近く、北の高原、南西の森、東の巨大洞窟、そのどれにも方向転換がし易い。

 つまりは、臨機応変に立ち回れる。

 残念ながら、道中で見つけることは叶わなかったが、北から探すか、もう少し前進するか、南下するか、選択肢はよりどりみどりだ。


「ミファレト荒野は広いからな~。いかに巨人族がでっかいとは言え、そいつだけを探すとなると骨が折れるぜ」

「いっそ三手に分かれても良いな。そいつの足は遅いようだし。もちろん、仕掛けるのはご法度だが」


 減速と共に作戦会議が始まる。

 この地でたった一体の魔物を探すことがいかに大変か、彼らは身をもって知っている。

 例えるなら、公園の砂場で埋もれたビー玉を探すような手間と難易度だ。

 時間をかければいつかは見つかるだろう。それがいつになるのか、その予想が難しい。

 効率を高めるなら、ディーシェの提案通り、分散しての探索が得策だ。隻腕の巨人は足も負傷しているため、長距離の移動に関しては鈍足だと判明している。

 傭兵という職業において、移動と索敵は切っても切れない。狩場まで数日かけて出向き、獲物を探し求めてさらに何日もの時間を消費することもざらだ。

 確実に、戦っている時間よりもそれ以外の方が長いだろう。

 移動や索敵に苦痛を感じるのなら、その人間は傭兵に向いていない。

 一方で軍への転職も考え物だ。

 なぜなら、軍人達は敵地への進軍を徒歩で行う。傭兵のように走ることはせず、威風堂々と歩き続ける。

 一部隊だけでも大人数ということと、食糧や武器、野営道具といった物資が大量にあるため、全力疾走はどうしても難しい。

 魔物を狩れるだけの実力を持ち合わせていようと我慢強くないのなら、大人しく傭兵に留まり近隣の魔物を狩り続けるしかない。金は稼げないが、それでも生きていくだけなら可能だろう。

 この広大な世界には魔物が跋扈している。王国や村の外へ一歩踏み出せば、そこは危険地帯。えり好みしなければ、少なくとも退屈はしないはずだ。

 魔物は人間を殺したい。

 一部の人間もまた、魔物を狩りたい。

 両者はそういう関係であり、この世界は残酷ではあるが、求める者にとっては楽園なのかもしれない。

 生きるか死ぬか。

 殺すか殺されるか。

 前回は、なんとか生き延びることが出来た。

 では、今回は? その結果を知るためにも出会う必要がある。

 ゆえに、その瞬間は運命のように訪れる。


(……これは⁉)


 蛇の大穴を越え、ここに至るまでの道中にも魔物の反応はいくつかあった。残念ながらそのどれもが巨大なトカゲの魔物、ミファリザドだった。

 ウイルはサキトンの頭上で、揺れながらも左前方を凝視する。

 そちらは迷いの森の方角だ。ここからでは緑豊かな土地はまだ視認出来ない。

 それでも、別格の存在感を肉眼で捉えることには成功する。


「いました! 左方向、奴です!」


 少年の叫び声が三人の足を完全に止める。

 どこまでも続く土色の世界。樹木も動物も人間も見当たらないが、視線の先にはでっぱりのような極小の人影が小さいながらも見て取れる。

 大男のようだが、そうではない。

 ならば、正解は必然的に一つだ。


「よし」

「やるじゃん。さーて、降ろすぞ」

「いたニャいたニャー」


 薄緑色の巨体。ここからでは米粒のようなサイズ感だが、その色とシルエットだけで手がかりとしては十分だ。

 探し求めていた今回の獲物、隻腕の巨人だ。

 今はまだこちらに気づいていない。その証拠に、遠方のそれは体の側面を晒しながらノソノソと歩いている。

 どこを目指しているのか。

 何がしたいのか。

 前者はわからないが後者は簡単だ。

 人間を見つけ次第、殺したい。本能に忠実な、正しくは使命に突き動かされた先兵と言えよう。


「さあ」

「行くぜ」

「ゴー」


 進軍開始だ。

 待ちわびた時が訪れようとしている。歴戦の傭兵でさえ、高鳴る感情を抑えきれていない。

 逸る気持ちが足を速めるのだから、最後尾の少年は必死に歩かなければ置いていかれる。

 せっせと追いかけながらも見惚れてしまう。正面の三人はそれぞれが大きな鞄を背負っているのだが、それを差し引いても存在感は大きく、ただただ頼もしい。


(ついに……)


 始まる。この戦いのお題目はシンプルだ。

 敵討ち。エルディアをいたぶり、殺そうとしたのだからその代償を払ってもらう。後ろ向きな動機かもしれないが、殺し合いに立派な思念や崇高な意志を持ち込んだところで勝率が高まるとは思えず、ウイルは依頼主として後方から見守ることに徹する。


「私はウイル君についててあげるから、お二人でどうぞニャン」

「ああ」

「うむ、任せい」


 三対一ではない。足手まといの子供が同行している以上、戦力の分散は悪手かもしれないが、そうであろうと護衛役を配置したい。

 その役はトュッテが買って出る。戦うことに興味がないわけではないが、血の気の多い仲間が二人もいるのだから、今回は大人しく譲る。


「あちらさんもこっちに気づいたな」


 サキトンの鋭い眼光がその瞬間を捉える。

 彼の言う通り、遠方の巨体が動きを止め、進行方向をグンとこちらへ変化させた。

 魔物が標的を認識した瞬間だ。先日、二人の人間を殺し損ねたため、苛立っているようにも見えるが、現状の距離感ではそこまで察することは難しい。


「確かに左腕がないな。ふむ、思っていたよりは……」

「手強そうだな~。大事をとって二人でいくか?」


 ディーシェの感想が緊張感をわずかに高める。当初はどちらかが一人で巨人を仕留めるつもりでいたが、状況が変わったのなら柔軟に対応を変化させる。


「悪いが俺に譲ってくれないか? ウイル君の恐怖心を払拭するためにも」

「ん? あぁ、そういうことか。だったら仕方ねーな。やりたいようにやれ」


 話し合いは終了だ。全員で前進を続けるも、戦闘はリーダーに一任される。本当はサキトンも戦いたいのだが、ディーシェの思惑をくみ、大人しく権利を譲る。


「ほ、本当にお一人で挑まれるんですか?」


 少年は不安を口にする。エルディアという強者が敗北したのだから、本来ならば二人以上で挑むべきだ。


「大丈夫大丈夫ニャン」


 何の根拠も示さず、トュッテは朗らかな笑顔で歩き続ける。

 勝ち筋が見えているのか。

 リーダーを信頼しているのか。

 その両方なのか。

 今のウイルに知る術はない。

 四人は一人と三人へ。

 前進を続ける者。

 立ち止まり、それを見守る者達。

 そして、その時が訪れる。互いに距離を詰めているのだから、半分の時間で事足りてしまう。

 乾いた空気が荒野の表面を撫で、雲間から陽射しが差し込む中、金髪の傭兵と薄緑色の巨体が仁王立ちのまま、睨み合うように互いを見定める。


(すごい闘志だな。練習相手にすらならない程度と予想していたが……、うん、等級三の傭兵じゃ手も足も出ないわけだ)


 鞄と盾は仲間に預けてきた。腰の鞘には片手剣が収まったままゆえ、真っ白な鎧を身に着けながらも両手は素手だ。

 警戒はしているが戦闘態勢には移行していない。その様子がウイルを心配させるも、サキトンとトュッテは平然としている。


「グアウ、グウェッ」


 嬉しそうな声は巨人のものだ。身長差は二倍近くあるため、その目が人間を見下しているのか、そう見えるだけなのか、それは当の本人にしかわからない。

 一瞬の静寂。一人と一体が語らうこともせず、そればかりか動こうともしないのだから、観客はじらされ続ける。

 その沈黙を、巨躯が圧倒的な暴力で打ち破る。

 獲物との距離は大きな足で四、五歩分ほど。古傷が原因で片足は思い通りに動かないが、その程度の距離なら即座に詰めることが可能だ。

 急発進の勢いを上乗せしながら、筋肉をまとった腕を容赦なく振り下ろす。

 ドスンと鳴り響いた重々しい地鳴り。大気と荒野を震わせるほどの破壊力を秘めているのだから、人間など叩かれた豆腐のように粉々だ。


「なかなかの怪力だな」


 そうはならないことを、この男は当然のように実演する。

 左手一本でディーシェは巨大な拳を受け止めているばかりか、腰や両脚を折り曲げてすらいない。

 まるで、突然の雨に嫌気がさしながらも顔だけは守ろうと片手で小さな屋根を作るかのように、その傭兵は悠然と振る舞っている。

 一方、たった一手の攻防から、歴戦の傭兵達はそれ以上の推測を完了させる。


「並の巨人じゃねーな」

「だね~。殺気もプレッシャーも、つよつよニャン。確かにこれならさっさと討伐するべきだニャン」


 平然と感想を述べる二人と対照的に、ウイルはその光景に目を疑う。

 エルディアの両腕を粉砕した打撃。それを片腕でひょうひょうと防いだのだからおおよそ信じ難い状況だ。

 事実を事実として受け入れたいのだが、その試みはその後の攻防で一層困難となる。

 拳をせき止められたからといって、この巨人は臆さない。一度で駄目なら二度三度と繰り返すだけだ。

 釘を打つトンカチのように、その右腕は何度も振り下ろされる。

 力強く。

 正確に。

 殺すために。

 眼下の人間を潰そうとするのだが、そのどれもが傭兵の左腕を突破することは叶わない。

 この打撃が軽いわけではない。

 その証拠に、ディーシェの足元では大地が大きくひび割れており、釘が刺さらないのなら打ち付けられている部位が破壊されて当然だ。

 隻腕の巨人はついに業を煮やす。

 険しい顔つきのまま一歩後退した理由は、逃げ出すためではない。攻撃手段を変えるためであり、つまりは攻め手を変更する。

 上半身を捻り、脇を締め、力任せにその片腕で殴りかかる。

 それを矢継ぎ早に、轟音を響かせながら無呼吸で繰り続けるのだから、これに耐えられる存在は人間や魔物という領域を超えた何かだろう。


(ぼ、僕は何を見せられているんだ……)


 だからこそ、ウイルは震えずにはいられない。

 人間を粉々に砕くほどの打撃。一撃必殺のそれを何十と浴びながら、ディーシェは防御の姿勢にすら移行せず、平然と殴られ続けている。

 そればかりか、その場から一歩も動いていない。

 人間の頭部より何倍も大きな握り拳が、怒涛の勢いでちっぽけな人間を打ち続けている。

 傭兵は直立のまま、まばたきすらせずその様子を眺めているのだから、第三者が戸惑ったとしても不思議ではない。

 この男が猛攻に耐えられる理由は鎧のおかげだけではない。真っ白なそれはミスリル製ゆえ、その強度は鉄や鋼を大きく上回る。仮に銃で撃たれようとも穴すら開かないだろう。それでも衝撃を完全にいなせるわけではなく、なにより、守られていない頭部への打撃に対しても微動だにしないのだから、防具の有無は無関係だ。

 肩で息をし始めた魔物へ、その男は冷たく言い放つ。


「もう終わりか?」


 攻める側が疲れ果て、殴られる側は無傷。その構図は本来ならばありえないのだが、この両者に関しては必然だ。

 つまりはそれほどのパワーバランス。埋まることのない力量差が、勝負という様式を崩壊させる。


「グ、グイィ……!」


 人間の言葉は理解出来ずとも、意味は伝わる。神経を逆なでられたのだから、隻腕の巨人は怒り狂うと同時に再度拳を握り、今日一番の打撃を繰り出す。

 それこそが決着の合図だ。殺意の塊がディーシェに届くよりも先に、丸太のような右腕が消し飛ぶ。

 何が起きたのか。

 何をされたのか。

 ウイルも巨人も即座に理解することは出来ない。

 そこには対戦相手と同様に右腕を突き出した傭兵。つまりは、迫り来る拳に同じ手段で反撃を試みただけであり、その威力は相乗効果も相まって相手の片腕を爆ぜさせてしまう。

 両腕を失ったことで、ついに攻撃手段を失った。本来ならばここで戦意を喪失するはずだが、この個体はそれでもなお怯まない。

 よろめきはしたが踏みとどまる。

 驚きはしたが、まだ戦える。

 人間という獲物は目の前だ。ならば、大口を開けてご馳走に食らいつく。

 しかし、それすら届かない。

 一瞬にして振り向くディーシェ。

 今まさに咬みつくという状況でピタリと静止する巨人。

 男の右手にはいつの間にか銀色の剣が握られており、それをシュッと走らせ鞘に納めると、背後の巨躯の上半身がズルリとずれ始める。

 ほぼ同時に、正中線をなぞるように頭頂部から真下に一本の線が走り、薄緑色の魔物は右と左へ分割され、上半身と下半身の断裂と併せれば、四つの巨大な肉片になり下がる。

 真っ赤な鮮血に浸るそれらは二度と動かない。強者が勝ち、弱者が敗れた。それだけのことだ。


「これが等級四の傭兵さ。ウイル君もがんばればいつかここまで……」


 三人の元へ歩みを進めながら、勝者が決め台詞を口にしていたその時だった。ディーシェもついに異変に気付く。その証拠に、仲間二人は勝利を喜びながらも緊張感を解いてはいない。


「おう、無事仇は取れたな」

「は、はい! ありがとうございました!」


 サキトンに頭をグシャグシャに撫でられながら、ウイルは歓喜の声をあげる。

 ここまでの圧勝は予想外だ。三人を雇ったが、リーダーが単身で倒してしまうとは夢にも思わず、未だ心の整理は出来ていない。


「余裕ニャ、余裕ニャ」


 トュッテも笑顔だ。しかし、隙を見せるような真似はしない。


「スマートな戦い方じゃなかったけどなー。見せつけるような真似しやがって。あぁ、そういう方針だったか」

「まあな。ウイル君もこれで一安心だろう」


 この戦いの目的は一つではない。巨人の討伐は当然ながら、少年が抱えたトラウマも払拭したいとディーシェは考えた。

 その方法が今回のデモンストレーションじみた立ち振る舞いだ。

 隻腕の巨人にあえて殴らせ、その暴力に耐え続ける。そうすることで、人間がただ狩られるだけの存在ではないと証明したかった。

 その目論見は成功したものの、突拍子のない手法にウイルの脳はパンク気味だ。

 過程はどうあれ、標的は無事討伐することが出来た。

 エルディアを痛めつけ、あまつさえ殺そうとした魔物。憎き強敵だったが、雇った傭兵はそれ以上だった。

 圧勝だ。戦場には巨人だった塊が四個転がっており、肉片は真っ赤なスープに浸ったまま、二度と動くことはない。


「僕も、皆さんのように強くな……」


 願望というよりは妄想かもしれない。それでも、膨れ上がった想いを口にせずにはいられなかった。

 だが、最後まで言い切ることは出来ない。空気の硬直に気付かされたからだ。

 その異変を、三人は鋭敏に感じ取っていた。


「あれは……」

「何に見える? 俺達は一度も振り向いてないから、よくわかってねーんだよ」

「何がいるニャ?」


 招かれざる客人。しかも、一人ではない。


「女性が二人……。ウイル君が気づけていないのだから魔物ではない。もしや、魔女か?」


 ディーシェの視線の先には二人組の女が立っている。

 人間だ。どちらも武器で武装しており、四人を眺めながら何やら話し合っているようだが、その声がここまで届くことはない。


「実は、おまえがドンパチやってる最中に現れて、それ以降ずっとこっちを監視してたんだよ。殺気を隠そうともせずに、な……」

「いつ襲ってくるのかヒヤヒヤだったニャン」


 サキトンとトュッテは冷静だ。非常事態のはずだが、その立ち振る舞いは普段と何ら変わりない。

 状況把握が済んでいないのはウイル、ただ一人だけ。


「あ、あの……、一体何が……」

「あそこを見てごらん。もしかして、以前話してくれた、迷いの森の魔女かい?」


 促されるように振り向くと、遠方には見知らぬ女達が肩を並べて立っている。一見すると傭兵のような佇まいだが、それは片方が斧を背負っており、もう片方が腰に短剣を携帯しているためだ。

 しかし、だとしたら腑に落ちないことがある。

 なぜ、奇怪な客人は殺気をこちらに向けているのか。その理由がわからない以上、警戒は続けなければならない。

 もっとも、それは彼女達も同様だ。摩訶不思議な瞳を持つ二人組は首を傾げながらも立ち話のように作戦会議を行う。


「あちらさん、こっちに気づきましたぁ。やっぱり先手をうつべきだったんじゃぁ? 背後からズブリとお命頂戴ぃ」

「あんたね~。私が止めてなかったら痛い目見てたわよ。ちっこいガキは問題外として、他がやっべ~。ただまぁ、私なら? つまりは、準備運動も兼ねた前哨戦としては申し分ないってわけよ?」


 彼女らを魔女たらしめる外見的特徴はシンプルだ。赤色の線で瞳部分の内側に、外周付近をなぞるような円が描かれている。

 魔眼だ。両の瞳にこれらを持ち合わせた二人が、不本意な接敵に意見をぶつけ合う。


「ルーフェン姉さんは今日も鼻息荒いですねぇ。でもぉ、奇襲ならともかくぅ、目的地の目と鼻の先でドンパチしても良さげぇ?」


 この状況は彼女らにとっても想定外だ。それを裏付けるように、背の低い女が無表情ながらも問いかける。


「ガッハッハ! 臆するな従妹よ。どうせあいつらはベニ……、ベニ……? あ、紅しょうが! そいつの手先っしょ。ならやっちまうのが正解だって」


 大きな胸を突き出しながら、威勢よく言い切る度量は本物だ。紺色の長髪を傾けながら、敵とみなした遠方の四人を睨みつける。


「紅しょうが違うぅ、べにしんくぅ。この前も言い間違えて黒婆様に叩かれたでしょぉ? その頭、大丈夫ですかぁ?」

「うっせー、貧乳は黙っとれ」

「貧乳違いますぅ。並くらいはありまぁすぅ。戦系は見抜けてもそんなことすらわからないなんてぇ、ださださな魔眼ですねぇ」


 売り言葉に買い言葉。あまり似てはいないが、それでも従妹同士ということもあり、じゃれるように口喧嘩を始めてしまう。


「んな⁉ ミンクの大詐欺師だって大概だろ~! 戦いには一切役立たないし!」


 顔を真っ赤にしながら反論する姿は子供染のようだ。一方で、その顔立ちは生意気そうでありながら大人びている。

 彼女の名はルーフェン。二人は血縁関係にあるが、年長者はこちらだ。

 紫がかった青色の髪は長く、前髪は後頭部へ引っ張られておりおでこは広く露出している。髪色に寄せているのか、皮鎧も青黒く塗装されている。その下には黒一色の衣服とホットパンツを身に着けているのだが、インナーの袖は短いため、両腕と両脚は大胆なまでに露出している。

 背中には大きな斧と小さな鞄。その装いからウイル達の同業者に見えるが、実際は別種の存在だ。

 手足は長く、そして太い。鍛えあげられた一流の戦士そのものだ。


「その利便性ゆえに選ばれたんでぇ。と言うかぁ、そんな悪態ついていいんですかぁ? 今もこれで見られてますよぉ。ま、声までは届いてないから一安心。で、どうしますかぁ、実際のところぉ」


 斜に構えた彼女の名はミンク。高身長な相方とは対照的に、頭一つ分背が低い。青色の髪はぼさぼさだが、寝癖ではなく天然だ。ハーネスで繋ぎ留められた革の鎧は茶色を基調としており、その下の衣服は隣の仲間同様まっ黒だ。膝下のスカートは灰色ゆえに、相手に与える印象としては重々しい。

 ルーフェンと比べると童顔ゆえに幼く映るが、年齢的には自然なことだ。


「突っ込む! 殺す! 以上! サイコー」

「賛成ぃ。なんとなーくぅ、紅深紅の手下って感じがしませんけどぉ、というか十中八九傭兵か何かでしょうけどぉ。出会ったが最後ぉ、お命頂戴ぃ」


 簡素な作戦会議は終了だ。もとから方針は決まりきっている。

 殺すか、見逃すか。

 相手が魔物なら素通りもありえるが、人間ならば話は別だ。

 ましてや、正面の四人組が抹殺対象の関係者に見えなくもない以上、挟撃を避けるためにもこの場で殺す以外の選択肢はありえない。


「さっき言った通り、白鎧の男は守護系だ。そいつは私がやる。先ずは、そうだな……、数を減らすか」

「ほいぃ。実はスタンバイオーケー」


 巨大斧を手に取り、凶悪な笑みを浮かべるルーフェン。その両眼はぼんやりと青く輝いている。

 右手に短剣を握り、腰を落とすミンク。飄々とした態度の中には殺意が見え隠れしており、つまりは殺人に抵抗などない。


「オレンジ頭が技能系、女が魔療系っと。どっちから殺すかは白鎧の実力次第だな。爆発を合図に行くぜー」

「ちゃくだ~ん、今ぁ」


 その発言を裏付けるように、静かな荒野が一瞬にして轟音に包まれる。

 耳をつんざくほどの爆発音。その発生個所は前方の集団であり、灰色の煙が四人をモクモクと飲み込んでいる。


「オラァ!」


 その中へ押し入るように長身の魔女が進撃するや否や、立ち尽くす金髪の男めがけて大斧を振りぬいてみせる。

 とっさに盾で受け止めた瞬発力はさすがだ。それでも、その運動エネルギーを防ぎきることは叶わず、ディーシェは大砲弾のように荒野の果てへ吹き飛ばされる。


「次っ!」

「ほいぃ」


 これで二対二だ。数の上では対等となったのだから、もはや彼女らに敗北の二文字はありえない。

 勢いづく二人が選んだ次なる標的は、杖を握る能天気そうな女。銀色の軽鎧を身に着けており、その歪な風貌が戦闘系統の推察を困難とさせる。

 だが、問題ない。ルーフェンの瞳は見るだけでそれを教えてくれる。

 思想公園。そう名付けられた魔眼の能力は、まさしく戦闘系統の看破だ。

 見るだけで対戦相手のそれを見抜けるということは、実践において非常に有意義だ。手札だけでなく、戦闘方針すらも事前にある程度予測出来るのだから、奇襲とあわされば勝ちは揺るがない。

 最初の一振りが、ディーシェだけでなく白煙すらも薙ぎ払った。

 そこには三人ではなく二人。

 怯みながらも杖を構え、何かしらの魔法を唱えようとしているトュッテ。

 爆心地で煤けながら倒れ込むサキトン。

 ウイルは見当たらない。つまりは、爆破されて粉みじんに消し飛んだということだ。

 そこまでは魔女にとっても計画通り。

 嬉しい誤算は、軽装の男も仕留められたことだろう。その威力は鉱山の発破が可能なほどゆえ、人間はおろか魔物でさえ殺すことが可能だ。直撃を受ければ傭兵でさえ命は危うい。

 この状況で彼女らがすべきことは一つ。

 最後の女を二人がかりで仕留める。ともすれば、この戦いはあっという間に終了だ。

 そう、決着は早い。

 見知らぬ者同士が戦場で出会ってしまったのだから、どちらかが負けを認めるか死ぬしかない。

 人間の敵は魔物だけではない。人間同士だろうと時には醜く争い、血を流し合う。

 それを良しとするか否かは当人達次第だ。

 魔物という共通の外敵が存在する以上、本来ならば手を取り合うべきなのだが、それを良しとしない事情が彼女らにはある。

 長い歴史の汚点。

 恐怖が作り出した悲しい事件。

 それに縛られているのだから、王国の民と魔女達は殺し合う。

 戦わなければならない。

 だが、話し合いは不可能なのか?


「はやっ⁉」


 突然の接敵に、トゥッテは体をこわばらせる。何から何まで想定外ゆえ、適切な対処など不可能だ。

 それでも、ミンクの鋭い斬撃を杖で防いだ反射神経はさすがという他ない。

 だが、そこまでだ。


「甘いゼ!」


 この戦いは一対一ではない。

 もう一人の魔女が叫び声と共に斧を振り下ろす。

 その結果、長杖と共にそれを握る右腕が切り落とされ、この瞬間に勝敗は決定的となる。

 最悪の出会い。

 偶然の衝突。

 突発的な戦闘は本来ならば不要なはずだったが、避ける理由も見当たらなかった。

 魔女は魔物ではない、人間だ。

 そうであろうと、意思疎通が可能かどうかはわからない。

 そして、殺し合わない道理も存在しない。

 ただ、それだけのことだ。

 魔物が蔓延るこの世界の名は、ウルフィエナ。

 人間同士が憎み合う必要はないのだが、それぞれの思惑がかみ合うことはないのだから、そんな綺麗ごとは通用しない。

 もっとも、その少年はまだ無知ゆえ、そういったしがらみに縛られることはなく、だからこそ、無力ながらも声高々に主張したい。

 そのための時間は、少年自身が作り出す。

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