「おい、どういうことだよ」
困惑している中、最高に不機嫌そうな声が耳に届きはっとした。
隣に目を遣れば、蓮は険しい顔をして私を睨んでいる。
蚊帳の外にされているのが我慢ならないのだろう。勝手に同席して、話についていけないと怒るなんて面倒くさい。
でも蓮のおかげで自分のペースを取り戻せたので、説明をした。
「私のアパートに変な手紙が届いていたの、その差出人がミドリかと考えて確認しに来たって訳」
「は? そんな話聞いてない。なんで黙ってた?」
蓮が苛立ったように、声を荒げた。責める口調に、反論しようとすると、ミドリが話に割り込んで来た。
「沙雪、僕の名前は緑川薫って言うんだ。ミドリでもいいけど、出来れば薫って呼んで欲しいな」
「……とりあえず、ミドリで」
もうミドリの印象が強すぎて今更変えられないし、仲良くしに来たわけじゃない。
「そっか、残念だな」
ミドリは少しも残念そうじゃない顔で答えた……本当に、何を考えているのか分からない。
「どうして私にあんな手紙を寄越したの?」
気を取り直して言うと、ミドリはふざけた笑みを消した。
「警告しようと思った。あの手紙を見て、身辺に気をつけるようになっただろう?」
「警告って……」
穏やかじゃないその言葉に、私は眉をひそめた。
「言葉の通り。沙雪は今危ないんだよ。雪香が居なくなったから狙われている」
「どういうことだ。 雪香がどう関係してる?」
蓮がミドリに強い口調で聞いた。ミドリは蓮をチラッと見た後、私に視線を戻しながら話を続けた。
「雪香が、かなり遊び回っていたって話はもう聞いただろ? 結構危ない連中とも付き合ってたし、本物のストーカーにも付きまとわれていた」
「おい! お前、適当な事言ってんじゃねえぞ!」
雪香を侮辱されたと感じたのか、蓮が凄む。今までにない迫力に恐怖を感じ、思わず体が震えてしまう。けれどミドリは顔色を変える事なく、私を労るような目で見た。
「大声出さないでくれる? 沙雪が怖がってる……沙雪、大丈夫?」
「大丈夫」
答える私の隣で、蓮は冷静さを取り戻したのか、気まずそうに言う。
「悪い」
「……雪香が遊んでいたのが、なぜ私と関係するの?」
ミドリは切れ長の目をスッと細めた。
「雪香は遊ぶときに、偽りのプロフィールを用意していたんだ」
「偽りって……偽名?」
「そう。雪香は家も厳しかったみたいだし、学校も堅い雰囲気だったから、身元を隠したかったんだと思うよ」
「おい……まさか、その偽名って……」
蓮が動揺したような声を出した。
その様子に言いようのない不安を感じた私は、次の瞬間蓮の異変の理由に気付き血の気が下がった。
「もしかして、雪香は私の名前を使っていたの?」
ミドリは静かに頷き、私は激しいショックを受けた。
どうしてそんな真似を!
身元を隠すのなら、全く関係無い人の名前でも良かったはず。それなのに、わざわざ私の名前を使うなんて悪意を感じる。
蓮が、ミドリに鋭い声で問いかけた。
「お前がどうして、そこまで知ってるんだ?」
言われてみれば……雪香のストーカーでしかないミドリが、なぜ蓮よりも雪香の事情に詳しいのだろう。
いくらストーカーでも、そこまで何でも分かるもの?
私と蓮が不審な目を向けると、ミドリは今までとは違って少し迷う様子を見せた。
「……沙雪は僕について、どんな風に聞いている?」
「雪香をつけ回していたって」
ミドリは納得したように頷いた。
「ストーカー? 君にも雪香はそう言ったんだよね、雪香に近付くなって脅されたことは忘れていないよ」
後半は蓮に向けた言葉のようだ。
「実際そうだろ? しつこく雪香につきまとったんだからな……それより質問に答えろ。何で雪香の事情を詳しく知った?」
蓮は不快そうに顔をしかめたけれど、もうミドリの話が嘘だと疑ってはいないようだった。
ミドリは溜め息をつくと、再び私の方を向きながら口を開いた。
「最初に言っておくけど、僕は雪香のストーカーなんかじゃない。確かに付きまといはしたけれど、理由があった」
「理由って?」
「当時、雪香は僕の兄と付き合っていたんだ、雪香はいつもの軽い遊びのつもりだったかもしれないが、兄には妻子がいた。僕は雪香に身を引くよう頼む為に近付いた。倉橋沙雪と名乗っていた雪香にね」
淡々としたミドリの言葉に私は……そしてきっと隣の蓮も大きな衝撃を受けた。
「雪香は不倫してたの?」
それも私の名前を使って。不快感に顔を歪める私に、ミドリは頷いた。
「そうだよ。と言っても雪香も最初は兄が既婚だとは知らなかったようだけどね」
「お互い騙し合ってったんだ……」
自分の身元を隠し嘘を重ねていった二人。そんな付き合いを続けて、何の意味が有ったのだろう。
「俺がお前に話をつけに行った時、なんで言わなかった?」
蓮の発言に、ミドリは薄い笑いを浮かべた。
「言っても信じないと分かっていたからね。君は雪香の言い分を鵜呑みにして、最初から喧嘩腰だっただろ?……カッとしやすいみたいだけど、少しは冷静さを持つようにした方がいいんじゃないか?」
馬鹿にしたように言われ蓮の目に怒りが宿る。それでも図星だったのか、ふてくされたようにそっぽを向いた。
ミドリに会いに行った時の、蓮の様子が想像出来る。彼は思い込みが激しくて行動力も有るようだから、怒りのままミドリを問い詰めたのだろう。
私と初めて会った時も、雪香の失踪に私が関わっていると決め付けて、かなり攻撃的だった。
ミドリの言う通り、何を言っても無駄と思えた。
私が同意見であると察したようで、ミドリは満足そうな表情をした。
「沙雪は僕の気持ち、分かってくれたみたいだね」
「まあ……」
控えめに頷くのと同時に、蓮が睨んで来る気配を感じた。
「それでミドリは雪香に、お兄さんに妻子がいる事実を伝えたんでしょ? その後二人は別れたの?」
「いや……」
ミドリは一端言葉を切り、眉間にシワを寄せた。
「お互いの嘘が発覚した後もすぐには別れなかった……むしろ二人の絆は強くなったようだった。それまで遊びでしか無かった雪香の態度も大きく変わったように見えた」
「でも結局別れたんでしょ? 雪香は直樹と婚約したんだし」
「別れたよ。兄の妻に気付かれてしまったから……そして、別れてすぐに佐伯直樹と婚約した」
別れてすぐに婚約した? 雪香は直樹との結婚を逃げ道にしたの?
そんな理由で、私は裏切られ傷つかなくちゃいけなかったの?
そんなことって……。
「沙雪大丈夫?」
ミドリの気遣うような声が聞こえて来る。私は平静を装いながら頷いた。
「別れたのなら、お兄さんと雪香はもう何の関係も無いんでしょう?」
つまり、ミドリも雪香の失踪に関わっていないんだ。振り出しに戻ってしまい、私は重い溜め息を吐いた。
「いや、そうとも言えないかもしれないんだ」
「どういうこと?」
「兄の行方も分からないんだ……雪香と同じように消えてしまった」
ミドリの低い声が、静かに部屋の中に響いた。
「……雪香は、あなたのお兄さんといるの?」
「分からない、どちらとも言えないんだ。兄が姿を消したのは雪香の結婚式の一月前だから、無関係かもしれないし」
ミドリはそう言ったけれど、私には二人の失踪が無関係とは思えなかった。
人が消えるのは、簡単ではない。
全ての人間関係、仕事、積み重ねて来たもの全てを捨てるのには、相当な覚悟が必要だ。
深い関係だった二人が、そう違わない時期に姿を消したのに、無関係だなんて考えられない。
「私は、二人は一緒に居ると思う」
はっきりと言うと、横から蓮が口を出して来た。
「決めつけるなよ。雪香は無理やり連れ去られたかもしれないだろ?」
「有り得ない」
私がすぐに否定すると、蓮は怪訝そうな顔をした。
「なんで言い切れるんだよ? 雪香の考えなんて分からないんじゃないのか?」
ミドリも蓮と同じ気持ちのようで、探るような目で私を見ていた。
確かに、肝心の雪香からの電話について黙っている私の言い分は説得力が無いく、ふたりがが不審に思うのも無理は無かった……仕方がない。
「言って無かったけど、私のところに雪香から電話が有ったの。その時、雪香は自分の意志で消えると言っていた。事件に巻き込まれた訳じゃない」
私が二人の顔を交互に見ながら言うと、それぞれ違った反応が帰って来た。
「それはいつの話?」
ミドリは、初めて知る事実に純粋に驚き、
「お前、なんで黙ってた?!」
蓮は噛みつきそうな勢いで、私を睨みながら大声を上げた。
予想以上の蓮の剣幕に、私は怯み一瞬声が出なくなってしまう。
「冷静に話が出来ないなら出て行ってくれるかな?」
ミドリが、凍りつきそうな冷たい目を蓮に向けながら言った。
蓮とは怒りのタイプが違うけど、静かな怒りを表すミドリにも、同じくらいの怖さを感じる。
「沙雪?」
私が警戒し始めたのを敏感に感じ取ったのか、ミドリはバツが悪そうな顔を向けて来た。
咄嗟に視線をそらし、横目で蓮を見れば、怒りは収まらないようで、険しい表情で私を睨んでいる。
何度も会って慣れたせいか警戒心が鈍くなっていたけれど、最初から蓮は私に対して攻撃的だった。あくまでも雪香の立場でしか、物事を考えない。完全に雪香の味方。ミドリも蓮も油断できない。
私は冷静さを取り戻す為、大きく息を吐き出してからミドリの質問に答えた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!