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ノアを残して診察室に入った二人だったが、窓際のお気に入りのチェアに向かうのではなくウーヴェがデスクの前に回り込んで尻を乗せ、それに向き合うようにリオンが一人がけのソファ–それはいつも患者が座るソファだった–に座るが、今から始まる話が好ましいものではない事を証明するように長い脚を組んで頬づえをついて対面するウーヴェに威圧感を与えるような姿勢だった。
リオンのその態度からも今顔と言葉には出さないが心の中には荒れ狂う嵐が生まれていることに気付き、恐怖とそれ以上に常に感じている情を確かめる為に無意識に右手薬指に手をあてがったウーヴェは、眼鏡の下で目を伏せた後、己の意思を伝えるように顔を上げる。
「……まだ拘ってんのか、オーヴェ」
「ああ、そうだな……拘っているな」
遡ればひと月前のあの事件の時に知り合ったノアとその父が何故リオンと瓜二つなのか、その理由を知りたいとの思いに拘っているのかと呆れたような声に問われて素直に頷いたウーヴェは、あれだけ似ていれば気になってしまうだろうと肩を竦めるが、リオンの表情に変化がないことに小さく息を吐く。
「お前は気にならないのか?」
「あ? 俺に似た奴なんて世界中に何人もいるだろ?」
己のものだと認識しているこの顔だが世界中でただ一つだけであるとは思えず、世界には自分に似た人が何人かいるものだと聞いたことがあるとリオンが答えるとウーヴェもそうだなと頷くが、力の入らない左足を見下ろしながらお前とノアが似ているだけならば確かにその通りだと納得しただろうと答え、リオンが無言で先を促してくる。
「昨日、マザーが仰った言葉がどうしても気になってしまう」
「何だ?」
「ヴィルヘルム、ノアの父の若い頃とお前が似ている、その言葉が引っかかる」
その引っかかりはお前とノアの瓜二つの理由よりももっと重大なものでは無いのかと告げたウーヴェは腹の底で決意をしたように顔を上げ、睨みつけるように見つめてくるリオンの顔をまっすぐに、決して視線を逸らすことなく見つめ、赤の他人同士の空似が親にまで及ぶ可能性はどれほどだろうかと告げるとリオンの蒼い目が半ば姿を隠すが、ウーヴェが言わんとする事を正確に知りたいのか足を組み替えてどういう事だと前のめりに見つめてくる。
「例えばノルとエリーは母さん似だ」
「ああ、そうだな」
「でも二人が並んでいても兄妹かなと思う程度でお前とノアほど似ていない」
「男女の違いじゃねぇの?」
「そこに母さんが並べば何故か良く似た親子兄妹だと思う」
「……」
あるひと組の夫婦から生まれた子供が似通った顔立ちになるのは当然理解できるし、似ていない兄弟というのもごまんと存在する事も良くわかっていた。
その似ていない兄弟が別々に同じ人に会った時二人の関係を知らなければ兄弟だとは思わないだろうが、そこに両親が来た途端似ていないと思った兄弟が親子や兄弟であると認識できるようになるのだ。
それは両親のそれぞれの特徴を子供達が引き継いでいることの表れで、一人ひとりだと判然としない特徴がその元となった親の顔を見た途端、顕著になって見たものの脳に記憶されるのだ。
その不思議を今まで幾度となく経験してきているウーヴェが、だからマザー・カタリーナが昨日発したヴィルヘルムの若い頃にお前が似ているとの言葉がノアと良く似ていると笑った時よりも遥かに重要な気がするのだと伝えると、リオンの口から苛立たしそうな舌打ちが聞こえてくる。
「……何が言いたいんだ、オーヴェ?」
「……お前とノアに血縁関係があるかどうかの検査をしたい」
したいと言っても検査を受けるのはお前と彼だからその検査を受けて欲しいとどちらも視線をそらす事なく口にすると、リオンがタバコに火をつけながら小刻みに足を揺らす。
「マジでしつけぇな。検査なんかしてどーすんだよ?」
それで何の関係もありません、俺とノアは他人の空似だったらどうするんだと、世界中の全てを笑い飛ばしているような顔で言い放ったリオンにウーヴェがいつもと変わらない穏やかさで肩を竦め、そうなればそれでスッキリすると返すとリオンが煙を細く吹きかける。
その己には今まで一度たりともやったことのない行為からリオンがどれほど苛立ち不安を感じているのかに気づいたウーヴェはゆっくりとデスクから降り立つと、大した距離ではないリオンとの距離を詰めるために足に力を込めて一歩を踏み出すが、リオンの手は肘置きから軽く浮いただけでウーヴェを支えるためには動かされなかった。
それが悲しかったがそれ以上にその僅かに浮いた分がリオンの葛藤の証だとしっかりと読みとったウーヴェは、リオンの腕に手をついて溜息を零し、いつもお前が支えてくれている事がどれほどありがたい事かこうなると本当によく分かると小さく笑い、タバコを咥えて不機嫌顔で見上げてくるリオンに目を細めながらも決して目を逸らさない事を伝えるようにメガネを外して床に投げ捨てる。
「オーヴェ……?」
「検査を受けないか、リオン」
「……イヤだと言ったら?」
「無理強いはしたくない」
「……」
「なあ、リーオ。もう一度聞く。検査を受けないか?」
ウーヴェの問いかけにリオンが流石に今度はウーヴェの顔に向けて煙を吹きかけることはせずに顔を背けて吐き出した後に靴の裏で火を揉み消すと、どんな時でも真正面から見つめていたいターコイズ色の双眸を見上げてゆっくりと口を開く。
「……検査なんかしたくねぇしノアとの血縁関係なんか知りたくねぇ」
リオンの言葉に混ざる本音を読み取れるのは長年付き合っているウーヴェでも中々難しいものがあったが、今冷たい笑みを浮かべてリオンが言い放った言葉に込められた思いを感じ取ったウーヴェは、リオンの腕を掴む手に力を込めて至近で顔を覗き込む。
「それは本当か、リーオ?」
「……あ、ああ」
「本当に?」
それは本心かと問いかけるウーヴェにリオンが珍しく目を逸らして躊躇っているように返事をすると、これもまた珍しくウーヴェが畳み掛けるように短く本当かと聞き返す。
「本当だって言ってんだろ?」
ウーヴェの言葉に反発だけで返しているようなリオンの頬を両手で挟んだウーヴェは、驚きに見開かれる蒼い瞳にそっとキスをした後リオンの足の間に右膝をついて体を支え、頬を挟んだ両手でくすんだ金髪を胸に抱え込む。
「……ここには俺しかいない。リオン、本当の事を言え」
「だから言ってんだろ……!?」
「……お前は刑事だった頃、嘘を見抜くのが仕事だと言っていたが……」
俺もここで精神科医としてそれなりに患者から信頼を得て仕事をしている、だからその言葉が嘘かどうかぐらいは見抜けるとリオンの耳に囁きかけたウーヴェは、乾燥することも気付かずに目を見張り続けるリオンの目尻に再度キスし、何が怖いんだと囁くとリオンが未だかつて無いほど冷酷な笑い声をこぼす。
「誰が怖がってるって?」
「お前だ。……検査の結果から何が出てくるかそれを知るのが怖いのか?」
ノアとの血縁関係を特定させる検査を受けた時、それはリオンが物心ついた時から抱え込んでいる悩みへの解決に繋がる可能性が高かったが全ての事象を解決するわけではなく、それどころか新たな謎を生み出す母体にもなりえるのだ。
ドラマや映画のように己の血を分けた親や兄弟を探している主人公が己の親兄弟を発見した時に感動し涙を流しハッピーエンドで終わるのは良くあるシナリオだったが、現実世界に生きている者にとってはその先こそが始まりなのだ。
その始まりが笑顔でハグをしキスしたりできるものであれば何も問題はないが、そうでなければ、その後も続くであろう日々を知ってしまった思いもよらない真実を抱えて生きていかなければならない、終わりの始まりになってしまうかもしれなかった。
真実を知りたい一心で行動した結果、塞がったと己を騙していた傷口がぱっくりと口を開けて止め処なく血を流し始めるかもしれなかった。
長年耐え続けて来た痛み、それが一瞬の歓喜を経験した心に与えるものは今までとは比べられないものになるだろう。
リオンはそれを無意識にウーヴェは自他の経験上から理解していたが、それが怖いのかと再度問いかけるウーヴェの顎を強い力で掴んだリオンは、黙っていれば好き勝手な事を言いやがってと嫌な笑いを浮かべ、苦痛に歪むウーヴェの顔を睨みつけたい衝動に駆られて顔を正対させるが、そこにあったのは痛みを感じている筈なのに穏やかに見つめ返してくるターコイズ色の双眸だった。
いつもならばいつまでも見つめ続けていたいと思う宝石のような双眸が今はリオン自身が意識することのない心の奥底に遥かな昔封印した幼い己の思いまで読み取ってしまうように感じ、この時初めてリオンの背中に嫌な汗が流れ落ちる。
いつもするりと心の中に不思議と入り込む声に感心していたリオンだったが、それがウーヴェが持つ精神科医としての技術と生来のものだとすれば己はそれに抗えるのだろうかと瞬間的に思案し、決して抗うことなど出来ないと脳味噌が悲鳴混じりの声を発する。
逃げなければ。ここから逃げなければ、お前が何よりも恐れている苦痛が、初めてそれを認識した瞬間の絶望を伴って再び襲い掛かってくる。
あの時感じた痛み、苦しみ、当時は名付けることのできなかった寂しさ、そして絶望が、自覚したことによって増幅されて襲い掛かってくる。
逃げろ、ここから逃げてしまえと脳味噌が逃げだせと命じる声がうるさいぐらいに響き渡り、リオンの身体がその声に突き動かされたように揺れるが、逃げろ逃げろと煩い声の奥、聞き取ることも難しいほど小さな声が、増幅した感情がどれほどの絶望や苦痛を与えたとしてもお前は一人ではない、俺が護ると囁き恐怖から逃げようとするリオンの心を踏みとどまらせる。
その声を掴もうと逃げろと響く声を掻き分けて手を伸ばしたリオンが見たのは、ただ泣き叫ぶ小さな己をどんな苦痛からも護ろうとする様に抱きしめているウーヴェの姿だった。
「……!!」
リオンの脳内で一人では耐えきれない痛みや苦しみ絶望からリオンを守る様に身を呈しているウーヴェは当然ながら同じだけの痛みを感じているはずで、また現実ではリオンが力任せに顎を掴んでいる痛みに直面している筈なのに何故そんな穏やかな顔をしていられるんだとの疑問と、お前が今力任せに掴んでいるのは誰よりもお前を愛し理解しそして護ってくれているウーヴェなのだとの声が脳裏で反響し、苦しげに溜息を零したリオンは、ウーヴェの顎から手を離して脱力したようにソファの背もたれに寄りかかる。
「俺が知りたくねぇって言ってんのに……何でそんなに拘ってるんだよ、オーヴェ」
ウーヴェの目から顔を隠す様に両手で顔を覆ったリオンは、ウーヴェに届くかどうかもわからない小さな声で何故そんなに力を入れるんだと呟くと優しいキスがくすんだ金髪に落とされる。
「何故って……当たり前だろう、リーオ」
「……」
「愛する人が物心ついた時からずっと抱えている悩み、それに答えを出せるかもしれないんだ」
例えその過程で涙を流そうが心が傷を負ったとしてもそれでも真実を知るためにはやるしかないとリオンの髪や額、こめかみに順にキスをしたウーヴェは、リオンの心が嵐の中心のように不思議なほど凪いでいることに気づいてこめかみにキスをした後、顔を覆い隠した両手を掴んで姿を見せた感情に噛み締められている唇にそっと口付ける。
「事件の聴取の時、警察署で彼が言った言葉の真意も確かめられる」
その絶好の機会が今目の前に転がっている、それを掴まないのはおかしいだろうと呆然と見上げてくるリオンに目を細めたウーヴェは、いつだったかリオンにされた様に胸の前あたりでリオンの手を祈りの形に組ませると、その手を包むだけではなく心までをも包み込む様に唇の両端を綺麗な角度に持ち上げる。
「本当のことを言えば……お前の両親が何処の誰かなど興味はないんだ」
「オーヴェ……?」
「お前の両親が極悪非道な罪を犯した男女であっても清廉潔白な一廉の人物であっても関係ない。……俺が愛し俺を愛してくれるのはお前自身だ」
付き合い始めて互いの過去についてまだまだ知らせてなかった頃、ウーヴェがリオンに折に触れ伝えていたのは、己の後ろを見ないでくれとの言葉だった。
それを不意に思い出し、己の後ろを見ないでくれ、その代わりお前の後ろも気にしない、俺が向き合っているのはお前だけだとも伝えられていたことも思い出したリオンが小さく息を飲む。
「……っ」
「ただ、俺にとっては取るに足らない真実をお前が必要以上に恐れているのは見たくない」
蒼い瞳を覗き込みながら囁いたウーヴェは、リオンの見開かれた目がゆっくりと閉ざされた後感情に震え始めた事に気付き自宅でいつもしているようにリオンの腿に座り込むと、ソファの背もたれと己の身体でリオンを挟み込むように体重をかける。
「俺が一緒にいる、リーオ。お前を絶対に一人にはしない」
「……っ!」
「約束だ、リーオ。結婚式でも誓ったが……」
お前のことは俺が護るといつだったかお前の姉にも誓ったが、今また誓おう。
「お前を一人にはしない。何があってもお前を護る」
だから感じている恐怖を一緒に乗り越えよう、俺が絶望の沼に沈みそうになった時はお前がいつものように笑顔で引き戻してくれたが、同じようにできる自信はなくてもお前を愛し大切に想う気持ちはお前以上に持っていると笑ったウーヴェは、リオンの腕が背中に回されて力を込めたために古傷が痛むとこの時だけはわずかに顔を顰めるものの、それでもそれだけで痛みを顔に出すことはせず、震える身体を同じように抱きしめてくすんだ金髪に頬をあてがう。
「オーヴェ……っ!」
「……ああ。リーオ、愛してる」
何があっても俺が傍にいる、だから先に進もう、幼い頃に覚えて無理矢理封印していた疑問に答えを出そうと囁くとリオンの頭が小さく上下する。
「……検査を受けるな?」
「……」
ウーヴェの優しい駄目押しの言葉にリオンが口の中で何かを呟くがそれをしっかりと聞き取ったウーヴェがリオンの頬にキスをすると、くすんだ金髪に隠れた顔が上下する。
「……オーヴェ、一緒に……」
「もちろん一緒に行く。安心しろ」
お前とノアだけに検査を受けて来いなどと言わないから安心しろと告げて額にかかる前髪をかきあげてやったウーヴェは、不安そうに見つめてくるリオンに頷き大丈夫だとキスを繰り返す。
いつもと比べればまだ本調子ではないがそれでもさっきに比べれば遥かにいつものような陽気さを取り戻したリオンは、ウーヴェの細い腰に腕を回して肩に頬をあてがい、検査ってどんなことをするんだ、痛いのは嫌だと子供のようなことを呟くが、そうだな、痛くない方法で検査をしてもらおうと必要以上にリオンを甘やかす癖のあるウーヴェがそんな言葉で慰めてくれることを読んでいて、素直にうんと頷いて小さく息を吐く。
「……リアのケーキ、食いてぇ」
「ん? ああ、確か今日はチーズケーキだったんじゃないかな」
待たせているノアとまだ彼女がいれば一緒にケーキを食べようかと笑いかけ、リオンの頭が素直に上下した為、漸くウーヴェが安堵の溜息を零す。
「オーヴェ……?」
「……たばこの煙、あまり好きじゃないからああいうことはもう止めて欲しいな」
「あ……」
ウーヴェが茶化す様な声で告げてリオンの顔を覗き込むと己の言動を振り返ったらしいリオンの顔が赤くなったり青くなったりと珍しい化学反応を起こしてしまい、それがおかしかったのかウーヴェが小さく吹き出して拳を口元にあてがう。
「……笑うなよっ!」
「はは、悪い、リーオ」
珍しい顔を見れたからつい笑ってしまったが悪気はない、だから機嫌を直せと笑いながら伝えるウーヴェに、真意が伝わらない、そんな謝罪は謝罪じゃないとリオンが口を尖らせた為、咳払いを一つしたウーヴェが真正面からリオンを見つめ、少しだけ湿り気を帯びた蒼い双眸にそっと口付けた後、不機嫌に尖っていた口にもキスをする。
「愛してる、リーオ」
「……謝ってねぇじゃん、オーヴェ」
「そうか? 精一杯謝ったつもりだけどな」
「それのどこが謝ってるんだよ」
ウーヴェの心の奥底にまで沁み渡る声にリオンが違う意味で唇を噛み締めるが、愛しているの言葉を謝罪の代わりにするなんてまるでDV気質のある男みたいだとリオンが目を細めると、こんなに愛しているのにそんなことを言うのかと更にウーヴェが囁き、ついに耐えられなくなったリオンが肩を揺らして笑い出す。
「オーヴェ、ダメだ!」
おかしい、DVと最もかけ離れた場所にいるお前がそんなことを言うなんておかしすぎると笑い目尻に浮かんだ涙を指先で拭ったリオンだったが、ウーヴェも笑みを浮かべながら目尻に何度もキスをした為、逆にウーヴェの頭を抱え込んでこめかみにキスをする。
「……オーヴェ、Du bist mein Schatzt.」
「……ダンケ、俺の太陽」
さあ窓の外で光り輝いている太陽と同じ様に笑ってくれと少しだけ照れながらも己の思いをしっかりと伝えたウーヴェは、リオンの手がさっきまでとは全く違う優しさで頬を挟んだ事に目を閉じ、重なる唇から雑多な感情を読み取るとリオンの頭に腕を回すのだった。
気分を切り替えるためにと今度はちゃんと断りを入れてタバコに火をつけたリオンは、ウーヴェがリオンの為だけに用意した灰皿を取りに壁の本棚に向かおうとするのに気付き、慌ててソファから立ち上がると、ウーヴェの手を取って己の腰に回させる。
さっきデスクとソファの間の短い距離であっても手を貸さなかったことを反省しているのか、リオンが無言でウーヴェの頬にキスをして許しを求め、どちらの思いもしっかりと理解しているウーヴェが笑顔ひとつでその謝罪を受け入れると、普段は本棚の飾りになっている灰皿をリオンに渡してデスクに戻ろうと踵を返すが、ひょいと抱き上げられて咄嗟にリオンの頭にしがみつく様に腕を回す。
「こらっ!」
「……ちょっとだけ、こうしていたい」
「……大丈夫だ、リーオ」
お前が今感じている不安はすぐに解消されるし何よりも俺がいるだろうと先ほどから何度も繰り返した言葉を囁いてキスをしたウーヴェは、リオンのピアスが嵌る耳が赤く染まったことに気付きながらも素知らぬふりをし、タバコを吸い終わったら心配しているノアとリアに報告に行こうと囁き、くすんだ金髪が上下することに胸を撫で下ろす。
「なあ、オーヴェ、検査だけどな……」
「ああ、どうした?」
リオンのつむじを見付けて指先で突いてはくすぐったそうに首を竦めるリオンの様子が楽しいのか、小さな子供の様な事をしながらリオンの問いかけに返事をしたウーヴェは、そういえば幼い頃良く父やギュンター・ノルベルトのつむじにも同じ事をしていたと思い出し、幼い頃の奇妙な癖を思い出したと小さく笑うが、人のつむじをつつきながら何を笑っているんだと上目遣いに睨まれてそっぽを向いてしまう。
「ったく、ガキかよ」
「……で、検査がどうした?」
「……俺とノアの血縁関係だけを調べるのか?」
さっきの話の中ではお前が決定的な疑惑を持ったのは、ヴィルヘルムの若い頃とリオンが似ているとの言葉だったが、ノアとの関係を調べるだけで良いのかと、リオンの心が感じている恐怖を乗り越えようとしている事を教える言葉にウーヴェが軽く目を見張るが、リオンがデスクにウーヴェを下ろして床に投げ出されたままの眼鏡を拾った後、ウーヴェの顔にそっと掛けさせたため、一瞬考え込む素振りを見せるものの、お前が良いというのならノアの両親とお前の血縁関係も一緒に調べてみようと告げる。
「……その方が良いか」
「そうだな……どうせやるのならできる限りの事をした方がいい」
後で検査をしておくべきだったと後悔したくないのならば今どれだけ苦しかったとしても検査をしておくべきだとまっすぐに伝えると、リオンがウーヴェの体を囲う様にデスクに両手をつき、触れるだけのキスをする。
「……今回の件全部お前に任せる、オーヴェ」
お前が良いと思う事、必要だと思う事を全てやってくれ。その結果何が出てきたとしても驚かないがどうかお願いだ、一人にしないでくれとウーヴェの肩に額を押し当てながらくぐもった声で懇願したリオンは、誰よりも優しく強い腕に背中を抱きしめられて安堵の吐息を零す。
「約束する、リーオ。お前を一人にはしない」
何があろうともどんな時であっても俺はお前のそばにいる、一人にしないと囁く声からじわりじわりと力を分け与えられたリオンは、ほとんど吸っていない煙草を灰皿に押し付けながらウーヴェにキスをし、他の誰からも得ることのできない安心感を得るのだった。
リアが出してくれたチーズケーキを食べ終え、紅茶も三杯目は流石にお腹がタプタプになると二人で笑いながらなかなか出てこないわねとリアが若干呆れた様な溜息を零し、それにノアも思わず同意をしてしまう。
「……仲が良いのは良いことなんだけどね、良すぎるのも考えものよね」
二人にとって避けて通ることのできない問題が発生した時、互いに向き合い話し合って解決への道筋をつけるのは良いことだが、周囲にいる人間に与えている影響に気づいて欲しいとカウチソファで足を組んで溜息を吐くリアにノアが驚きの顔を向けるが、今まで何度もこんなことがあったのかと問いかけると、大小様々な事件をあの二人は乗り越えてきたのだとさっきも少しだけ教えられた事を再度聞かされて好奇心に目を丸くする。
どんな事件があったと問いかけたい気持ちをグッとこらえ、己の両親も色々な出来事を乗り越えて今があるのだろうが、自分には一緒に乗り越えてくれる存在がいないと思わず自虐的に呟いてしまう。
「あら、そうなの?」
「……この間、彼女と別れたばかりだ」
上手くいかないものだと淋しげに呟くノアにリアが天井を軽く見上げるが、大丈夫、あなたの運命の人は絶対にいるからと彼の肩に手を置いてだからそんなに落ち込むなと笑みを浮かべる。
「……ありがとう」
「どういたしまして……ああ、話し合いが終わったようよ」
ノアが若干照れつつもリアの励ましを受け入れて頷いた時、診察室のドアが開く音が聞こえ、先程と同じようにウーヴェを支えながら出てくるリオンの姿が見える。
ただ先程と比べれば遥かに二人の雰囲気は良くて昨夜の食事の時を思い出し、今己が見ているものがきっと二人の普段の姿なんだろうと気付くと、俺もパートナーが欲しいと思わず素直に呟いてしまう。
「は?」
「……頑張れ、若者」
「……うるさいなぁ」
ノアの呟きにリアとウーヴェが素っ頓狂な声を出しリオンがニヤニヤと笑みを浮かべ彼なりの励まし方でノアを励ますが、嬉しくもあり面映くもあったのかノアがそっぽを向きながら鼻息荒く言い放つ。
「拗ねるなよ」
「……良いけどさ」
リオンの言葉にそれほど気にしていないと肩を竦めたノアはリアが立ち上がると同時にお茶とケーキの用意をするから座っていろと男二人に命じるが、ウーヴェが顎を撫でながら今はケーキを食べにくいからリオンに食べてもらってくれと苦笑し、ウーヴェの横でリオンがなんとも言えない顔になるものの許しを乞うようにウーヴェの頬にキスをする。
「オーヴェ、ごめーん!」
何とも言えない声で謝罪をするリオンをちらりと見たウーヴェは、とにかくカウチに座ろうとリオンを誘い、先程のようにウーヴェがカウチソファに座り、その横の床に直接リオンが胡座をかいて座る。
そんな所に座るのでは無くてここに座れば良いとノアが立ち上がりながらリオンにカウチを勧めるが、勧められた方はここが定位置だからとなんでも無い顔で笑ってさっきのようにウーヴェの腿に腕を置いて寄りかかる。
その姿が互いに支え合っているのだという彼女の言葉を裏付けているようで、ただ仲が良いというのではなくそれ以上のものを感じさせ、それ程までに互いを信頼し支え合える存在になるにはどれ程の出来事を乗り越えてきたのかと考えてしまうが、それを感じさせない二人が素直に羨ましくなる。
「ノア?」
羨ましい感情からじっと二人を見つめてしまったようでウーヴェの戸惑った声に我に返り、何でもないと頬が赤らむのを感じつつ言い訳をしたノアは、リアが人数分のケーキを運ぼうとしているのに気付き、逃げるように立ち上がって彼女の手伝いをする。
「ありがとう、ノア」
「い、いや……」
テーブルにトレイとカップを置き私はもう食べたから大丈夫だしウーヴェもどうも食べないみたいだからリオンと二人で食べてちょうだいと手作りのチーズケーキと氷を入れて冷やした紅茶を差し出した彼女は、ほぼ同時にダンケと礼を返されて満面の笑みを浮かべ、美味しそうに食べ始める二人がまるで手のかかる弟のように感じ何とも言えない気持ちになってしまうのだった。
後片付けはしておくから大丈夫、明日の診察も頼むと終業の挨拶を再度交わしたリアとウーヴェは、それじゃあと後ろ髪を引かれつつ帰宅したリアを見送り扉が静かに閉まったのを見計らうとカウチから立ち上がってリアのデスクへと向かおうとするが、リオンがすかさず立ち上がり、ウーヴェの行き先に気付いて彼女のデスクに座らせる。
「ダンケ、リーオ」
「……チーズケーキ、俺に二人分食わせてくれてありがとうな、オーヴェ」
顎を撫でつつ今は食べられないと言ったウーヴェだったが、口調とは裏腹な本心を見抜いたリオンが小さな声で礼を言って頬にキスをすると、ウーヴェが何のことだと咳払いをする。
「何でもねぇよ」
ウーヴェの素直じゃない様子に笑みを浮かべたリオンだったがリアのデスクにウーヴェが尻を乗せたのを確認した後、さっきとは違ってノアとひとり分の距離を取ってカウチに座る。
カウチに並ぶ瓜二つの顔がどちらも視界に収まる位置に座ったウーヴェは少しだけ緊張を覚えるが、さっきのリオンの様子から大丈夫だと判断をし、一度リオンのロイヤルブルーの双眸を見つめた後、同じ色合いのノアの瞳に笑いかける。
「ウーヴェ?」
「……ノア、昨日きみが言っていたリオンとの血縁関係を調べる検査についてだが……」
さっきリオンと話し合った結果受けることにしたと伝えると、ノアの顔が明るくなり、リオンの顔にも若干の笑みが浮かぶ。
「検査の事については明日にでも知人に頼もうと思う。構わないかな?」
「ああ、問題ない」
まだこの街にいるし何しろ母は病院でリハビリをし、父は教会の世話になっていてまだ回復しそうにないと肩を竦めたノアにリオンとウーヴェが顔を見合わせどちらも心配だなと本心から呟くと、ノアが小さく笑みを浮かべてありがとうと二人を交互に見る。
「……検査に必要なものがあれば教えて欲しい」
「ああ、そうだな」
今日は仕事の邪魔をするだけではなく美味しいケーキとお茶をありがとうとカウチから立ち上がったノアは、気疲れしたし今日はホテルで大人しく寝ているともう一度肩を竦めると、二人が理解できると言うように頷いた為、もし良かったらもう一度ぐらい食事に行かないかと誘いかけ、ウーヴェには頷きでリオンには親指を立てて賛成と返されて安堵に眼を細める。
「じゃあ今日は帰る」
「ああ。気を付けて。せっかく来てくれたのにゆっくり話が出来なくて残念だったな」
「お父さんのことで何か助けが必要なら言ってくれ」
クリニックをでて行くノアの背中に必要なら手を貸すから声をかけろと伝えたリオンは、肩越しに振り返る顔が小さく笑みを浮かべた為に無理をするなと咄嗟に伝えてしまい己でも軽く驚くが、その一言に救われたような顔でノアが頷いてクリニックを出ていく。
静かに閉まる扉を見つめていた二人だったがリオンがウーヴェの横に並んでデスクに座ると、軽く寄りかかってくるウーヴェの腰に腕を回し、細い肩に頭を預けて眼を閉じる。
「……疲れたな」
「……誰のせいだよ」
「うん、俺のせいだな」
でもさっきも言ったがやはりお前が抱えている原初の悩み、それについて回答が得られるかもしれない機会は逃したくないとリオンの頭に腕を回して抱き寄せたウーヴェは、何時もに比べれば遥かに殊勝なリオンの様子が気に掛かるものの、こうして側に来ることから大丈夫だろうと己に言い聞かせていた。
ノアが当初は冗談半分で口にしたであろうリオンとの血縁関係を調べたい想い、それを形にする為に久しぶりに真正面からぶつかった二人はその疲労にため息を零し、今日の午後が休みで良かった、何もする気が起きないとリオンが呟くとウーヴェも同意するように頷いてリオンの髪にキスをする。
「すぐに片付けるから待っていてくれ」
そして、片付けが終わればすぐに家に帰ろうと囁くとリオンが頷いた後、デスクから飛び降りて率先してカップやトレイを片付け始めた為、よほど早く家に帰りたいのだろうと気付き、ウーヴェもキッチンをリオンに任せてクリニックを締めるための準備に取り掛かるのだった。
この時のウーヴェの決断がリオンと己にとってある意味想像していた結果をもたらす事になるが、覚悟していたものよりも遥かに辛く苦しい未来に繋がるとは想像も出来ずに突きつけられた真実に打ちのめされそうになるのだが、その予感を薄く感じる事も出来ず、ただ今は目の前の大きな悩みを解決できるかもしれない事に期待を膨らませるのだった。