テラーノベル
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「おはよう。」
「おはよ。」
「おはよ〜。」
大学が始まって、気付けばもう1週間。
そして今日から10月。
ふと庭に目をやると、装いをだいぶ変えて落ち葉が目立ち、風もどこか乾いていた。
秋のこのアンニュイな雰囲気に朝から浸っていると、キッチンの方から涼ちゃんの声が響いてきた。
「朝ご飯出来たよ〜!」
キッチンに行くと、今日はいつものスクランブルエッグとトーストではなくて、ふんわりと漂ってくる和の香りに、ふわっと心が踊った。
「すごーい!炊き込みご飯だ!」
「うん!秋だからねぇ。」
「うまそー!昨日の夜、キッチンでなんかやってたのってこれだったんだ?」
「そう!昨日のうちに仕込んでおきました〜!」
ダイニングテーブルの上には、ほかほかと湯気を立てる、きのこの炊き込みご飯。
秋らしい香りに、思わずお腹が鳴りそうになる。
ぼくたちの反応を見て、涼ちゃんは満面の笑みでピースサインをしてみせた。
スープはお味噌汁に姿を変えて、スクランブルエッグエッグは…
「…なにこれ?」
「…今日は一段とスゴいね。」
ぼくと若井が眉をひそめながら見つめたのは、黒くて妙に硬そうな物体。
「二人ともひどいよぉっ。どっからどう見ても玉子焼きじゃ〜ん!…まぁ、ちょっとだけ失敗しちゃったけど。」
涼ちゃんは頬をふくらませながら言うけれど、その“玉子焼き”は色も形も限界を超えていて、むしろ謎の炭料理に近かった。
でも、炊き込みご飯とお味噌汁という完璧な布陣の中に、これがあるからこそ“うちの朝”って感じがする。
それがなんだか可笑しくて、ぼくと若井は顔を見合わせて『ぷっ』と吹き出してしまった。
「「「いただきまーす!!!」」」
涼ちゃん曰く“玉子焼き”らしいそれは、炭のように真っ黒だったけど、外側を剥がしてみると意外にも中はちゃんと黄色くて、思っていたよりずっと玉子焼きだった。
ただし、味は…..激甘だった。
若井が一口食べた瞬間、「あまっ!」と叫ぶと、涼ちゃんは悪びれもせずにこう言った。
「玉子焼きは甘い方が美味しいと思ってぇ。」
その言い方も、判断基準も、なんとも涼ちゃんらしくて、ぼくは思わず吹き出してしまった。
でも、炊き込みご飯は驚くほど美味しくて、味噌汁のだし加減も絶妙だった。
もしかして、涼ちゃんって、卵との相性が悪いだけで、他の料理は上手いのでは?
そんな仮説が、ぼくの中で静かに芽生えた。
・・・
夏休みが終わったばかりの頃は憂鬱だった大学も、1週間も経てば不思議と慣れるもので…
また、いつもの日常が戻ってきたような感覚がしていた。
今日は、三人とも一限から講義があるので、一緒に家を出て大学に向かった。
お昼にまた食堂でと言って、涼ちゃんと別れ講義室に。
いつも通り、退屈な先生の話を聞いてノートをとっていく。
ふと隣に座る若井の方に目を向ける。
真面目な顔で、真っ直ぐ前を向いている若井の横顔。
その真剣な表情に、なんとなく目が離せなくなってしまう…
すると若井が、気配に気づいたようにチラッとぼくを見て、『どうした?』って顔で、ふっと笑いかけてきた。
ぼくは慌てて視線をそらして、何事もなかったように前を向く。
なに、今の顔…..ズルいだろ…
一瞬、視線を交わしただけなのに。
あんな風に笑われたら、胸の奥がざわつくのも無理はない。
ぼくが女の子だったら一目惚れするくらいの破壊力だ…
ぼくは、いつもより速く脈打つ心臓を落ち着けるように、そっと胸に手を当てた。
・・・
「お疲れぇ〜。」
食堂に行くと、既に涼ちゃんも来ていて、ぼく達の席も確保してくれていた。
「席、ありがとねー。」
トレーに乗せた昼食を持って、お礼を言いながら、ぼくはあえて涼ちゃんの隣に腰を下ろした。
若井は涼ちゃんの向かいの席に座り、それぞれ選んだ昼食を食べていると、以前どこかで聞いた事のある声が聞こえてきた。
「ひろぱ〜っ。」
高めの声と共に視線を向けると、そこには、あのサークルの先輩が立っていた。
「あ…先輩。」
若井を『ひろぱ』と呼ぶその人は、以前も食堂で若井に馴れ馴れしく絡んできた、あの露出の多い服を着た先輩だった。
今日も同じような派手な格好をしていて、目のやり場に困ってしまう。
以前は、そんな先輩にも何食わぬ顔で対応していた若井だけど、今日の若井は 、先輩の姿を見た瞬間、目に見えて表情を曇らせた。
気まずそうに眉を寄せ、軽く息を呑んだその仕草が、二人の間に“何か”があったことを物語っていた。
「ねぇ、なんで連絡くれないの〜?」
「あー…ちょっと忙しかったんで。」
「私、ずっと“返事”待ってたんだけど〜?」
「…すみません。」
少し口を尖らせ拗ねた様子の先輩と、会話中もずっと気まずそうな若井。
今の二人の会話だけでは、なんの事か分からない。
そして、若井からこの先輩の話を聞いたことは一度もなくて、 ぼくには、二人がどのくらい親しいのか見当すらつかない。
ぼくと涼ちゃんは、そんな微妙な空気を察しながら、 とりあえず昼食を口に運ぶふりをしつつ、ちらちらと目線だけで様子を伺っていた。
暫くすると、先輩は最後に一言、『 返事、待ってるからね!』 そう言い残して、若井の元を離れていった。
若井は、先輩の姿が完全に見えなくなったのを確認してから、
小さく『ごめん』とぼくたちに向けて呟いた。
ぼくはそれに対して何て返したらいいのか考えていたら、 隣の涼ちゃんが先に口を開いた。
「ねえ、あの子が言ってた“返事”ってなに〜?」
まさかその事を聞くとは思っていなかったぼくは、涼ちゃんの質問に、ドキッとした。
『それを聞いちゃうんだ』という涼ちゃんへの戸惑いなのか…
それとも、自分でもよく分からない不安のせいなのか。
ぼくは、胸の奥にざわりとしたものが広がるのを感じた。
若井は、一瞬だけ目を伏せてから、顔を上げた。
そして、ぼくと涼ちゃんの顔を見ると、少し言いにくそうに口を開く。
「…この前の合宿ん時に…付き合ってって言われてさ…。 」
ぽつりとそう言うと、気まずそうに頭をかいた。
するとすぐに、涼ちゃんが明るい声で若井をからかうように言った。
「わぁ〜、若井モテモテじゃん。」
その言葉に、若井は困ったように苦笑して、『…そんな事ないよ。』と、ぼそりと返した。
ぼくはというと、何も言えずに、 そんな二人のやり取りをただ黙って見ていた。
心の奥にじんわりと広がるモヤモヤを静かに感じながら…
・・・
あれから、午後の講義はまるで頭に入ってこなかった。
ぼくの中には別のことでいっぱいで、先生の声も、教室の空気も、まるで遠い場所の出来事のように感じられた。
講義が終わったことにさえ気付かず、若井に肩を叩かれてようやく現実に引き戻された。
家に帰ってからも、どこか上の空で…
夕飯を食べた気はするけど、何を口にしたか思い出せない。
三人で話していたような気もするけど、その内容もまるで記憶に残っていなかった。
そして今、ぼくはハンモックに揺られている。
頭の中は、ずっと…
昼休みのあの出来事のことで、いっぱいだった。
なんで告白された事を秘密にしてたんだろう、とか。
なんでまだ返事をしていないんだろう、とか。
そもそも、どんな返事を返すんだろう、とか…..
若井がこれまでに告白されたことなんて、一度や二度じゃないはずなのに。
どうして、今回はこんなにも気になって仕方がないんだろう、とか。
どうして、こんなにも胸の奥が痛むんだろう、とか…..
なぜ、こんな気持ちになるんだろう…とか。
なぜ?
そんなの、本当は…
ずっと前から気付いているんじゃない?
この感情に名前をつけないのは、
その方が、きっと都合がいいから。
だからぼくは…
「ここに居たんだぁ。 」
「…涼ちゃん。」
頭上から声がして、そっと目を開けると、そこにはいつもと変わらない涼ちゃんの笑顔があった。
「僕も一緒にいい?」
涼ちゃんにそう言われて、ぼくは少しだけ横にズレる。
涼ちゃんは『ありがとぉ。』と言って、ぼくの隣にゴロンと寝転がった。
触れ合う肩と肩。
洋服越しにじんわり伝わる、涼ちゃんの体温。
たったそれだけで、ぼくの心臓は、ドクン、と大袈裟に音を立てて動き始めた。
そんな自分の心臓に心の中で小さく苦笑する。
涼ちゃんは、何を言うでもなく、ただ静かに隣にいてくれた。
ぼくはその温もりを手放したくなくて、そっと身体を寄せる。
「寒い?」
涼ちゃんが涼ちゃんの声に、本当はそうじゃないのに、ぼくは『うん。』と答えた。
「元貴、頭上げて?」
言われるままに頭を上げると、涼ちゃんはお腹の上で組んでいた手をほどき、そっとぼくの首の下に腕を滑り込ませて、優しく抱き寄せてくれた。
「この方が温かいでしょ?」
ニコッと笑う涼ちゃんに、ぼくはまた『うん。』と答えた。
心臓はまだ騒がしくて、体温もどんどん上がっていくけど、 ぼくは平然を装って、涼ちゃんの腕の中で、ハンモックに揺られていた。
この感情に名前をつけないのは、
きっと、そのほうが都合がいいから。
だから、ぼくは今日も…
若井への想いも。
涼ちゃんへの想いも。
気づかないふりをしたまま、目を閉じる…
コメント
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胸がギュッとなるぅ〜🥹 もっくんの背中を押したいです‼️笑