ふたりは食事を済ませたら、ポータルを開いて都の近くまで帰ってくると、待っていたノキマルに事情を話した。まだもうしばらくはホウジョウで過ごすのも良かったが、残してきた家族や仲間のことが気になっていた。
聞きつけたヤマヒメが二人のもとへやってくる。傍には何人かの鬼人を連れて、しかも大きな葛籠を持たせてあった。
「帰るって本当か。もう少しゆっくりしてっても罰は当たんねえってのに、ずいぶんと急ぐじゃねえか。そんなに残してきた連中が気になるのか?」
「ああ、できればそうしたかったんだが」
ぬいぐるみを抱き上げるように、ひょいとイルネスを抱えた。
「こいつの力も取り戻してやらねばならない。ホウジョウにいる魔物だけでは全然足りないだろうし、それならいっそ大陸に戻ったほうが手っ取り早いかと思ってな。用が済んだら、弟子や友人を連れて遊びに来るから」
彼女の考えに同意見だ、とヤマヒメも頷き、ぱちんと指を鳴らす。
「いつでも歓迎する。こいつは餞別だ、持っていきな。ホウジョウで手に入る果物とか、工芸品や着物なんかも詰めてある。でかい葛籠だけど、これくらい持ち運べるだろ。……待ってるぜ、ヒルデガルド。また美味いもん食わせてやるよ」
以前よりも高い魔力を得たヒルデガルドは、遥か遠くの大陸へ繋がるポータルを軽々と開き、身体強化をイルネスにかけて葛籠を運ばせた。
「しばらくのお別れだ。君のおかげで色々と貴重な経験もさせてもらったし、力を取り戻すことも出来た。必ず礼をするから、楽しみにしていてくれ!」
大きく手を振りながらポータルの向こうへ消えていった友人たちの旅路に祈りを捧げ、ヤマヒメを筆頭に見送りにやってきた鬼人たちの歓声がどこまでも響いていく。脅威を払った、彼らにとっては恩人に等しい人間の背中を押すために。
「行っちゃいましたねえ、主君様。良かったんですか?」
「あのなあ、ノキマル。あいつはわちきらが言って聞く奴じゃねえよ」
腕を組んでからから笑いながら、ヤマヒメは清々しく言った。
「だからわちきは好きなんだ。……昔っからな」
ヒルデガルドの後ろ姿に、かつての友を見て、嬉しさと寂しさが胸の中で混ざり合うのが、なんとなく心地よく感じた。絶対に彼女はまた来てくれるという期待。いや、信頼と言い換えてもいい。その優しさこそが彼女だ、と。
「さて、ノキマルよ。わちきの部屋の掃除を頼んどくぜ。ちょっくら大きな仕事ができちまったみたいなんでね」
「大きな仕事ですか? 先にそちらを手伝っても──」
言いかけて、ノキマルは口をつぐむ。穏やかな空気の中で、ひとりだけ。ヤマヒメだけが、張り詰めた気配に変わっていた。
「ハジロ山へ行く。リュウシンの奴が今日は都に来る予定になってるが、絶対にわちきの居場所だけは言うんじゃねえぞ。分かったな?」
「……わかりました、主君様。どうかご無事で」
ようし、とヤマヒメは手をぱんっと叩いて──。
「じゃあ解散だ! てめえらは仕事に戻れ! ノキマル、警備隊に都周辺の結界の強化をさせておけ。帰れそうなら日の暮れまでには帰る!」
そう言って、彼女はハジロ山の頂上へ向かった。嵐でも来そうなほどの不穏な気配が渦巻く場所に駆け、到着したときに、ホウジョウには似つかわしくない歪な外見をした何者かが、神の涙の残骸をつまみあげて眺めているのを見つけた。
『想定よりずっと早く実力をつけてくれたらしい。エンジュノヤマヒメ、おまえになら預けても良いと思ったのは正解だったようだね』
ヤマヒメの眉がぴくっと動く。
「やっぱてめえか、骸骨野郎。アバドン・カースミュールって言うんだって?」
神の涙の残骸を握り潰して粉々にしたものを手から零れさせ、アバドンは彼女を振り返り、にたぁ、と笑った。
『よくご存じで。とはいっても、そんなものは仮初の名にしか過ぎないので意味なんてないんですけど。少なくとも破壊者《アバドン》の名に偽りはない』
「興味ねえよ。しかし、どうしてわちきの名を知ってやがる?」
教えたはずのない名を知るアバドンに警戒心をあらわにする。今までのどんな敵よりも不気味で、どんな瞬間よりもおぞましいと感じた。
『それこそどうだっていいじゃないか。おまえは守護者で、ワタシは破壊者。こうして顔を合わせた以上、やることはひとつ。おまえも分かってて来たんだろう? でなきゃあ、わざわざ探しに来ないでしょうよ』
挑発的な言動に、ヤマヒメもぎらりと歯を見せつけて。
「いいねえ、わちき好みだ。てめえを今、ここから逃がすわけにもいかねえ。最初から問答の意味なんぞなかったってわけだ。仲良く手を取り合って酒を酌み交わすほど、わちきらも出来た奴らじゃねえもんなあ!──だけどもよ、」
高く空へ拳を掲げる。地面が揺れ、ハジロ山の頂上を青紫に輝く妖気の壁が囲んでいく。アバドンは、それが自分の魔法でも簡単に壊せない結界だと理解した。
「わちきらが戦えば、こんな島ひとつ簡単に消し飛んじまう。多少の配慮くらいはしてもらいてえとか思ってんだが、てめえはどうだ?」
アバドンが、手で顔を覆いながらくっくっと笑いを堪える素振りで。
『馬鹿な女の英雄気取り? 魔物のくせに仲間想いとは──』
そう言いながら、顔を見せたときにはちっとも笑っていなかった。
『中々に出来た女だ、虫唾が走る。いいでしょう、あくまでワタシが戦いたいのはおまえ一人だけだ、他の連中に興味はない』
髑髏の杖の石突が地面を叩く。妖気の結界の内側に、どす黒い魔力の結界が張られていく。神の領域に至った者たちの結界は、双方がどれほどの威力を発揮しようとも突き抜けることはない。準備が整った二人はそれぞれ構えを取って──。
「カッカッカ! んじゃあ、まあ、ここはひとつ!」
『思う存分に、暴れるといたしましょう!』
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