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「何事だ…!!」
玉森達から事情を聞いたのであろう仲野が和室に飛び込んできた。
「……おっせぇな」
篠崎が呟きながら板倉を離す。
喉を抑えせき込んだ板倉が、仲野の後ろに隠れるように駆け寄る。
「牧村、お前どういうことだ!玉森を殴ろうとしたらしいじゃないか!」
仲野は牧村を睨んだ後、今度は篠崎を見上げた。
「あなたもどういうつもりですか。うちの社員を羽交い絞めにしたりなんかして!」
「……俺はおたくの設計長さんの真似をしただけですけどね」
篠崎が仲野を睨み落とす。
「……っ」
睨み比べで早々に敗退を期した仲野は、矛先を板倉に代えた。
「どういうことですか、板倉さん」
板倉は仲野の影に隠れながら、牧村と篠崎を交互に睨んだ。
「わ、私はただ、玉森を殴ろうとしていた牧村を、彼のために止めていただけです。ここで殴ったら、もう営業人生終わりでしょうから。それなのにセゾンの店長さんが、誤解をして……」
「……違う!」
牧村は仲野に向かって叫んだ。
「こいつが……!」
「板倉さんがどうしたって?」
仲野が眉間に皺を寄せながら板倉と牧村を見比べる。
「俺を……襲ってきて……!」
自分よりも年上でだいぶ年上で筋肉もなく、身体もダボついた非力な男に、性的に襲われたなどと、こんなことを言うのは屈辱だった。
自分一人なら、この場は笑ってやり過ごしてもいい。今までだってそうやって誤魔化して生きてきたんだ。
でも、今は違う。
牧村はポケットに手を入れたまま目を細めて立っている篠崎を振り返った。
……この人がせっかく助けてくれたんだ―――。
彼の顔まで潰すわけにはいかない。
「板倉さんが、お前を襲っただあ?」
仲野が振り返る。
板倉は首をぶんぶんと振ってこっちを睨んだ。
「俺が男を襲うわけがねぇだろうが!お前と一緒にすんな!ゲイのくせに!」
牧村のこめかみの中で何かが切れた。
「……そのゲイに股間硬くして抱きついてきたのは、どこのどいつだよ!」
叫んだ牧村に、板倉が震えながら息をついた。
「何を言っているのかわからない。店長、こいつどうかしてます!」
仲野は板倉と牧村をもう一度交互に見た後、大きくため息をついた。
「……牧村。俺はお前のプライベートや性的指向とやらにとやかく言うつもりはないが、そうじゃない奴らまで巻き込むなよ」
「――――」
膝の関節から、大事な何かが外れてしまったように力が抜けて、牧村は片膝をついた。
自分が今まで守ってきたものは何だったのだろう。
結婚したと告げられ、それでも求められるまま、彼が飽きるのを待っていた。
いつか、彼に今度こそ子供ができ、自分なんかの存在を忘れ、家路を急ぐ日々が来るだろうと我慢していた。
しかし結局、彼に子供は出来なかった。
もともと彼の身体に問題があったのか、それとも彼の行いを許さない神様だか仏様だか知らないがとにかく偉い人が、彼に罰を与えているのかは、わからない。
しかし彼は牧村にこう言い放った。
『男になんか突っ込んでたから、俺の身体はおかしくなったんだ』
それからは牧村をひどく抱くようになった。
今まで嫌というほど囁いていた愛の言葉も言わなくなった。
いつでも切れる。
いつでも捨てられる。
そう思ってズルズルと続いてきた関係は、もうすぐ終わるはずだった。
前々から希望していた、牧村の異動という物理的別れをもって――。
もう少し。
もう少しだったのに――。
その直前にこんなことに。
「仲野店長。ちょっといいですか」
今まで黙っていた篠崎が口を開いた。
「私はずっと展示場の玄関から、胸糞悪い声を聞いてました」
その言葉に板倉の顔が強張る。
「まあ、あんたのところの牧村は、雑魚のような先輩衆にも、そこの狸みたいな設計士にも、負けないだろうと思って傍観してたんですが、いささかやり方が卑怯だったんでね。加勢させていただきました。
以上のことを踏まえて、言い訳が出来るなら板倉さんにお聞きしたい」
「…………」
板倉は唇を結ぶと、縋るように仲野を見た。
「……設計長。もう結構ですから、事務所に戻っていてください」
仲野がため息交じりに言うと、板倉は肩を落として事務所に戻っていった。
ドアが閉まる音を聞くと、仲野は大げさなため息をつきながら、頭を掻いた。
「篠崎さん、すみませんでした。内輪のもめ事に巻き込んで。あとはこちらで事実確認をして、しかるべき処分をしますので」
「どこまで理解してますか?」
「……え?」
「あんたはどこまで理解したかと聞いている」
篠崎はポケットに手を入れたまま仲野を睨んだ。
「事実確認をするのは勝手ですがね。間違いなくこいつが被害者だった。確認をするときは色眼鏡で見たりせず、こいつの話を全面的に信用して話を聞いてくださいね」
「……はい」
仲野がチラリとこちらを向く。
「まあ、私が部外者なのに変わりはありません。これ以上何か言うつもりはありませんが、最後に一つ、言わせてもらうとすれば」
篠崎はポケットから手を出し、仲野に寄ると至近距離から彼を見下ろした。
「部下の一人も守れなくて、なにが店長だ」
仲野も篠崎を睨み上げた。
「あんたが大切にしないなら、こんな優秀な社員、いつでもセゾンで引き取ってやる」
言いながら篠崎の大きな手が牧村の肩を叩く。
「…………」
牧村は彼を見上げた。
瞬きもせずに仲野を睨み落としている篠崎の視線の鋭さに、鳥肌が立つ。
(俺は……こんな人を相手に、喧嘩を売ってたのか……)
「あ、そうだ。牧村」
篠崎がこちらを見下ろす。
「寸劇に使う効果音のデータがあったらもらいたいんだが、いいか?」
「あ。わかりました。あとでデータ、お持ちします」
「悪いな。助かる」
言うと篠崎はもう一度、牧村の肩を叩いた。
「じゃあ、明日のイベント、よろしくお願いしますね。仲野店長」
篠崎がもう一度鋭い瞳で仲野を見る。
「あ、はい。こちらこそ……」
仲野は半ば呆然としながら、頷いた。
2人を視線で一巡すると、篠崎は踵を返し、展示場から出ていった。
「……牧村」
仲野が口を開いた。
「話、ちゃんと聞くから。ここでいいか?」
和室のテーブルを指さす。
「あ、はい」
牧村は立ち上がり、篠崎が消えていった入り口をもう一度振り返った。
空からはまた、雪が降り出していた。
◇◇◇◇◇
煙草を吸っている篠崎の姿を見つけ、牧村は慌てて管理棟に駆け出した。
「…………」
篠崎はこちらの姿に気づいたが、また目を逸らすと、煙草を口から離し、白い煙を空に吐き放った。
「篠崎さん」
こちらを見ないまま、また唇に煙草を戻す篠崎に一方的に話しかける。
「先ほどは、ありがとうございました…!」
ご成約をいただいた時と同じ勢いで、頭を下げる。
「……ちゃんと話聞いたか、あのブタ店長は」
篠崎が灰皿に灰を飛ばしながら言った。
「あ、はい。今回はちゃんと聞いてくれました」
「先輩たちは」
「店長に言われてちゃんと謝ってくれました。まあ俺も謝罪しましたけど」
「タヌキ設計長は」
「事務所にいませんでした。店長が後から話をしてくれるって約束してくれました」
「そうか」
篠崎がため息とともに煙を吐き出す。
「あ………あの………」
「木造もいいぞ」
篠崎は相変わらずこちらを見ないまま言った。
「え?」
「木造住宅もいいぞと言っている」
「…………」
「あんなところで潰される必要はない。来いよ。セゾンに」
その目がやっと牧村を見下ろした。
「え。もしかしてあれ、本気で……?」
篠崎はふっと笑った。
「本気じゃなかったら、店長である俺が、ライバル会社の店長の目の前でトップセールスマンを口説くかよ」
「…………」
胸が熱くなる。
新谷と同じゲイだからと言って、
ノンケにはわからないゲイの辛さを知っているからと言って、
女を選ぶ心配がないからと言って、
この人に敵うわけなど、初めからなかったのだ。
それなのに自分は―――。
『牧村さんは、昔からの知り合いのような、自分の分身のような、不思議な感覚です!』
そう言ってくれた、新谷の笑顔を思い出す。
何の曇りもない、愛している人と共に生きている幸せを讃えたあの笑顔。
それを自分は―――壊してしまった。
「…………」
迷いは吹っ切れた。
牧村は、篠崎を見上げた。
「これ、音声データです」
「音声データ?効果音のデータだろ?」
篠崎は煙草をくわえたまま、牧村が渡したUSBを受け取った。
「あ、間違えました。効果音のデータです」
牧村は篠崎を見つめた。
「事務所じゃなくて、お家で聞いてくださいね……?」
「は?」
篠崎が眉間に皺を寄せると、牧村は踵を返し、歩き出した。
「……おい。セゾンにくる話、考えとけよ」
後ろから篠崎の声が追いかけてくる。
牧村は振り返って微笑んだ。
「ありがとうございます。でも俺、いい男が多い職場は目に毒なんで」
「……はあ?」
篠崎が口を開けて呆れる。
「ミシェルのタヌキやブタに囲まれてるくらいがちょうどいいっす!!」
牧村はふっと笑うと、一礼してからファミリーシェルターに向かって走っていった。