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「突然にお邪魔しまして
申し訳ございません」
ライエルは丁寧に頭を下げながらも
椅子の縁にきちんと座り直した。
手の指はきちんと組まれ
その所作一つひとつに
五百年の時を越えても
揺るがぬ品位が滲んでいる。
時也はそれに微笑で応じながら
そっと隣に座るアリアへと視線を向けた。
アリアは変わらず無言だったが
深紅の瞳に僅かな柔らかさが差していた。
それを確認すると
時也の表情がさらに優しくなる。
「いえいえ。
アリアさんも、喜んでおられますし
大丈夫ですよ。
今日は、どうされたんですか?」
その声音はどこまでも温かく
誘うように静かだった。
それにライエルは
ほんのわずか頬を緩める。
彼の目には
最期に見た
あの絶望に塗れたアリアの姿はなかった。
ただ静かにコーヒーを飲み
穏やかに朝を迎える彼女の姿に
胸の奥が温かくなっていくのを感じていた。
(⋯⋯これも、すべて
この方のおかげなのですね)
「時也様に
折り入ってご相談がありまして」
少し緊張を含んだ声で
ライエルは切り出した。
時也はカップを静かに置き
柔らかく目を細めた。
「⋯⋯慈善活動についてと
現代のこと、ですか」
ライエルがわずかに目を丸くしたのを見て
時也はくすりと笑った。
「⋯⋯読んでしまって、すみません。
けれど、不安に思っていらっしゃるのは
伝わってきましたから」
ライエルは深く頷き、背筋を正した。
「お恥ずかしながら⋯⋯
私は、この時代の何もかもを知りません。
今、アラインの記憶を見て
必死に学んでいるのですが⋯⋯」
彼の声には焦燥と
誠実な不安が滲んでいた。
時代に取り残された者としての自覚。
それでも、今を生きようとする決意。
時也は
その姿にどこか懐かしさのような
感情を覚えた。
──かつての自分もまた
未知の地に足を踏み入れた存在だったのだ。
「⋯⋯アラインさんの記憶では
確かに不安要素は多そうですね」
軽く肩を竦めながら
時也は茶目っ気を含ませた微笑を返す。
「なので
烏滸がましいお願いではありますが⋯⋯
この時代に即した慈善活動内容を
共に検討して頂きたく⋯⋯」
その言葉に、時也は真顔に戻り
しばし考えるように視線を落とした。
やがて──
ゆっくりと口を開く。
「⋯⋯現代における
〝慈善活動〟という言葉の重みは
かつてよりも複雑です。
それは〝善行〟であると同時に
〝経済活動〟でなければなりません」
ライエルが、静かに耳を傾ける。
「支援は⋯⋯
与える側にも余裕がなければ続きません。
ですから
まず〝自立した経済基盤〟を
作ることが必要です。
人を助けたいなら
まず〝助ける力〟を保つことから
始めましょう」
その理路整然とした語り口に
ライエルは深く頷いた。
「⋯⋯なるほど〝持続性〟ですね」
「はい。
そしてもう一つ⋯⋯
〝顔〟となる存在が必要です。
貴方がその役を担われるのは
きっと正解でしょう。
異能を使うことよりも
あなたが見せる〝誠実さ〟こそが
人を動かしますから」
ライエルの目が、見開かれる。
「それは⋯⋯過分なお言葉です」
「いえ、これは僕の能力ではなく
観察と経験からの結論です。
今の時代〝真摯な言葉〟ほど
人の心を動かすものはありません。
──そして
それはアリアさんが
最も信じていることでもあります」
時也は隣のアリアにそっと視線を送る。
アリアは何も言わなかったが
その指先が一度だけ、カップを軽く撫でた。
それがまるで〝同意〟であるかのように
リビングにほんの少し
温かな空気が流れ込んだ。
時也は続けた。
「まずは──〝居場所〟を作りましょう。
困っている人が
最初に助けを求められる場所。
暖かい食事と、清潔な寝床と
話を聞いてくれる誰かがいる場所。
そんな小さな場所から、信頼は始まります」
ライエルの目が、潤んだように光る。
時也はゆっくりと頷いて
最後にひとことだけ添えた。
「一緒に、考えていきましょう。
この世界に必要とされる〝善意の形〟を。
絶望が少しでも減るのなら
不死鳥の抑止にもなりますしね」
ライエルは
時也の言葉を胸に落とし込みながら
ゆっくりと視線を伏せた。
その瞳の奥に浮かぶのは
かつてアラインの中で見た
〝始まりの記憶〟──
鉤爪で裂かれたのような背の痣に
誰も触れようとしなかった
あの忌まわしき孤児院。
(⋯⋯あの場所が
ただ少しでも優しく在れたなら⋯⋯
彼は、あんな風には
ならなかったかもしれない⋯⋯)
ライエルの胸に
淡いが確かな〝悔い〟が灯る。
アラインの記憶の断片に宿る幼い絶望が
どうしても他人事には思えなかった。
静かに顔を上げたライエルは
椅子の上で姿勢を正すと
穏やかな声音で口を開いた。
「──居場所⋯⋯ひとつ、案がございます」
時也が、柔らかく視線を向ける。
ライエルは
その眼差しに背を押されるように続けた。
「⋯⋯教会を兼ねた孤児院など
いかがでしょうか?
神の教えのもとで、孤児たちに生きる指針と
安らぎを与える場所を。
教会であれば
寄付も受けやすくなるでしょうし⋯⋯」
一呼吸置いて
ライエルはまっすぐに時也を見つめた。
「私が、ノーブル・ウィルの代表として──
そしてその〝教会の神父〟として
務めを果たしていきたいのです」
その言葉には
誇りと使命の両方が宿っていた。
古の魔女の一族の長としてではなく──
いま、この時代を
〝生きよう〟とする者としての意志。
静寂のなか
時也はカップに手を伸ばしながら
ゆっくりと小さく頷いた。
それは思慮深く、慎重な動きで──
彼の心が、既に幾つかの可能性を
描き始めている証でもあった。
「⋯⋯非常に現実的で
かつ人々の信頼を得やすい形ですね」
コーヒーの香りが立ちのぼるなか
彼は言葉を選びながら静かに語る。
「教会という〝形〟は
この世界でもまだ
多くの人々の拠り所になっています。
信仰と福祉が結びついていることで
〝支援の正当性〟も
理解されやすくなるでしょう」
指でカップの縁をなぞりながら
ふと目を細めた。
「ですが⋯⋯同時に
〝監視〟の目も集めやすくなります。
表立った支援活動には〝意図〟を問う者
〝思想〟を測る者が必ず現れます。
それに、過去に宗教が引き起こした
〝統率と弾圧〟の歴史も
いまだ多くの人に根を残しています。
これは⋯⋯当事者であるライエルさんが
一番良くお解りかと思いますが⋯⋯」
ライエルは真剣に聞いていた。
彼が生きた時代にはなかった
〝現代の警戒心〟という現実。
時也は続ける。
「⋯⋯ですが
ライエルさんのような方が
〝神父〟であるなら
それはむしろ強みになるかもしれません。
あなたの言葉には〝異物〟としてではなく
〝人として〟誰かに寄り添おうとする
優しさがありますから」
そして、静かに微笑んだ。
「まずは、小さく始めましょう。
孤児院として、一つの施設から。
最初は〝拠点〟として
関係者の受け皿になってもいいでしょう。
必要があれば、僕やレイチェルさん
ソーレンさんも協力します」
アリアは、依然として口を開かない。
けれど、ふと──
彼女の手元にあるカップが
一度だけ、静かにコトリと音を立てた。
まるで〝それで良い〟と、認めるように。
ライエルは
胸に熱がこみ上げるのを感じながら
深々と頭を下げた。
「ありがとうございます⋯⋯
時也様⋯⋯アリア様⋯⋯
必ず、良い形にしてみせます」
その声音には、確かな決意と
穢れなき信念が宿っていた。
──それは
幼いアラインという存在がこぼしてしまった
〝希望〟の形。
ライエルが引き受けた
新たな祈りの始まりだった。
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