テラーノベル
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(数十年後です)
静寂が、深く、どこまでも澄み切った秋の夕暮れを包み込んでいた。
庭先の木々を揺らす風の音は、数十年前に二人が初めて心を通わせたあの夜と何も変わらない。しかし、部屋の中に流れる時間は、残酷なほどにその形を変えていた。
「……耀さん」
かすれた、ひび割れたガラスのような細い声が、静まり返った和室に響く。
その声に応えるように、王耀は布団の傍らに座ったまま、力なく横たわる彼女の手を両手でそっと包み込んだ。
「ここにいるアルよ、時雨。……ずっと、お前の側にいる」
彼の手は、数十年という途方もない年月が流れてなお、若々しく力強いままだった。滑らかな肌も、琥珀色の瞳も、あの夜から何一つ変わっていない。国家という永遠に近い時を生きる彼にとって、数十年などほんの一瞬の瞬きに過ぎない。
しかし、彼がその手に包み込んでいる天乃時雨の体は、人間の理(ことわり)に従い、静かに、そして確実にその命の灯火を燃やし尽くそうとしていた。
腰まであった美しい銀髪は、今や透き通るような白雪の色に変わり、艶やかだった肌には無数の皺が刻まれている。百六十三センチだった細身の体はさらに小さく、まるで枯れ葉のように軽く、儚くなっていた。それでも、薄く開かれた青い瞳の奥にある、控えめで、どこまでも優しい光だけは、彼が愛した「時雨」そのものだった。
「ごめんなさい……わたくしばかり、こんなにお婆あちゃんになってしまって……」
時雨は、力のない笑みを浮かべながら、ゆっくりと瞬きをした。呼吸は浅く、時折苦しそうに途切れるが、彼女は自分の命の終わりがすぐそこまで来ていることを静かに受け入れているようだった。
「馬鹿なことを言うんじゃないアル。お前はいつだって、我の自慢の妻アルよ。出会った頃からずっと、今の今まで……世界中の誰よりも美しい」
王耀は、彼女のひび割れた乾いた唇に自分の唇を優しく押し当て、それから彼女の真っ白になった髪を、かつてそうしたように丁寧に梳いた。手の中に伝わる彼女の脈拍は、ひどく弱々しく、頼りない。その事実が、何千年もの歴史の中で幾多の死を見送ってきたはずの彼の心を、かつてないほどの恐怖と悲しみで締め付けていた。
彼はずっと分かっていたのだ。人間の娘を愛し、妻として迎え入れたその日から、いつか必ずこの日が訪れることを。
自分だけが取り残され、彼女が老いて死にゆく姿を見届けなければならないという絶望を覚悟の上で、それでも彼女と生きる道を選んだ。二人で歩んだ数十年の日々は、彼の悠久の歴史の中でも、間違いなく最も暖かく、最も眩い光に満ちた黄金の時代だった。
「耀さん……わたくし、本当に……幸せ、でした……」
時雨の青い瞳から、一筋の涙がこぼれ落ち、深く刻まれた皺を伝って枕へと吸い込まれていく。
「いつもおどおどして、自分の意見も言えなくて……耀さんの背中に隠れてばかりいたわたくしを、耀さんは……お兄ちゃんのように、そして、誰よりも素敵な旦那様として……ずっと、守り続けてくれました……」
「時雨……」
「でも……一つだけ、後悔していることが、あります……」
虫の息のような声で紡がれるその言葉に、王耀は息を呑んだ。何か、自分が彼女に足りないものを与えてしまったのだろうか。それとも、やはり不老不死の存在と共に生きることは、彼女にとって呪いだったのだろうか。
不安に揺れる王耀の瞳を見上げ、時雨はふふっ、と、昔のように少しだけ恥ずかしそうに、少女のような笑い声をこぼした。
「あの夜のことです……。わたくしがお酒に酔って、耀さんを押し倒してしまった、あの夜……。今思い出しても……恥ずかしくて、穴があったら入りたいです……。わたくしの人生で、一番の、汚点……いえ、大冒険でした……」
その言葉に、王耀の目から堪えきれずに大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
死の淵に立ってなお、彼女が思い出すのが、あの若き日の不器用で愛おしい夜のことだなんて。
「……阿呆。あれがあったから、我はお前を手放せなくなったアル。あの夜のお前は、世界のどの英雄よりも勇敢で、可愛かったアルよ」
王耀は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を彼女の顔にすり寄せ、その細く冷たくなりかけた手を自分の頬に強く押し当てた。彼女の体温が、少しずつ、少しずつ、世界から失われていくのが分かる。
「耀さん……泣かないで、ください……」
「泣くさ。我が愛した、たった一人の大切な妻がいなくなるんだ。天地がひっくり返るほど泣いたって足りないアル……っ」
「……わたくしは、いなくなりませんよ……」
時雨は、最後の力を振り絞るように、震える指先で王耀の頬の涙を拭った。
「耀さんが……わたくしのことを、覚えていてくださる限り……わたくしは、耀さんの、長い長い歴史の一部になって……ずっと、貴方の胸の中で、生きていきます……」
「……ああ。忘れない。絶対に忘れるものか。お前の声も、髪の匂いも、あの夜の無茶苦茶なキスも、一緒に食べたご飯の味も……我の魂に刻み込んで、この世界が終わるその日まで、お前を連れて生きていくアル」
「ふふ……それは、少し……重たいですね……。でも……嬉しい、です……。大好きな、耀さんに、そこまで……愛して、もらえて……」
時雨の青い瞳が、夕暮れの光を反射して、最後に一度だけ強く、美しく輝いた。
「耀さん……愛して、います……。どうか、これからも……貴方の歩む道が、優しく、温かいもので、あります……よう……に……」
その言葉を最後に、時雨の手からふっと力が抜け、彼女のまぶたが静かに閉じられた。
浅く続いていた呼吸の音が止まり、和室には、風が木々を揺らす音だけが残された。穏やかな、まるで今にもまた「耀さん」と目を覚ましそうな、美しい寝顔だった。
「…………時雨?」
王耀は、震える声でその名前を呼んだ。返事はない。
彼の手の中にある彼女の手は、もう二度と彼の手を握り返してはくれない。
「ああ……ああああっ……!!」
数千年の時を生きる偉大な国家の慟哭が、夕闇に沈む部屋に響き渡った。
王耀は、動かなくなった妻の体をきつく、壊れてしまいそうなほど強く抱きしめ、子供のように声を上げて泣き崩れた。その冷たくなっていく体に自分の体温を分け与えようとするかのように、何度も何度も、彼女の名前を呼び続けた。
外では、二人が生きた数十年の歳月を労うかのように、秋の夜風が優しく吹き抜けていく。
王耀の腕の中で永遠の眠りについた天乃時雨の顔は、恥ずかしがり屋だった彼女が最後に残した、誇り高く、そしてこの上なく幸福に満ちた微笑みに彩られていた。
永遠を生きる彼の心に、彼女という存在が、決して消えることのない不滅の星として深く刻み込まれた瞬間だった。
めーし
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瑞希 流星♟也中
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コメント
1件
えっ…!?ちょっと待って…これ…時雨さんが…?😭💔 もう涙が止まらないよ…!!数十年後ってまさかこんな形でくるとは思わなかった…王耀がずっと側にいて、最後まで時雨を愛し続けてるのが伝わってきて胸がぎゅーってなった…特に「あの夜のことを思い出してる」って時雨が言うところ、あの頃の思い出がこんなに尊く映るんだね…🥺💕 「覚えてる限り私は生きてる」って言葉、ずっと心に残るよ…お二人の愛が永遠に続きますように、って心から思った…!素敵な話をありがとうございます…😭✨