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縷籟帝国よりもずっと東、マモ公国。13の国のうち7番に位置づけられ、白や青を基調とした建物が並ぶ上品な街並みは、地味で質素な縷籟帝国に住んでいる者からすればファンタジー小説のようで、とても輝いて見える。
街ゆく市民の服も明るく、ところどころに宝石があしらわれているものもちらほら見かける。この街はマモの中でも裕福な層が暮らす場所なのかも知れない。金髪や茶髪の市民も多い中で、縷籟人が持つ黒い髪と警軍学校の制服の艶やかな黒色がとても目立っていた。
「初任務、何があっても気を抜かないように。」
周りからの目なんて気に留めることもなく、ささめは後ろのみずなを振り返った。
「わかっています。」
みずなは前を歩くささめを見上げる。ひと回り大きい背からは圧も安心感も感じない、本当に植物のような人間だ。この任務を通して、ささめのことをもっと知りたい。みずなの頭にはそれしかなかった、逃亡した犯罪者なんて心底どうでもいい。
「ナナセさんのウエポンは動物でしょ。今のうちに出して環境に慣れさせたほうがいい。カイトはいつもそうしている。」
「あ、はい、わかりました。」
みずなは小さい声で、「ミミズ、出ておいで」と呟く。すると彼の腕の中に、大きなフクロウが、大きな目をくるくるさせて現れた。
「ミミズ?」
「……ミミズという名前のフクロウです。」
「ふーん。」
ささめはまた、ふいっと前を向く。もうこの国に入国してから随分経ったように感じる……この人はどこに向かって歩いているんだ。少しだけ早い足にフクロウを抱えながら追いつくのは少し大変で、しばらくしてからささめもそれを汲んでくれたのか、少しだけペースを落とした。
「……どこに向かっているんですか?」
「国の役所。縷籟警軍は、まず国の役所に行って、各国の案内人に会うのがルール。」
「手続きする訳でもないなら直接事件現場に行ったほうがいいと思うのですが。」
「うん、自分もそう思う。けど仕方がない、縷籟は嫌われているから、その国の人と行動しないと酷い目に遭うかも知れない。」
「戦勝国だからですか?」
「うん。」
縷籟帝国はとても広い。過去の戦争で1度も負けたことがないからだ。縷籟人にはウエポンがある、戦場に出向いた少し鍛えられただけの一般人が動物や兵器に勝てる訳がない。このウエポンというもの、卑怯なのが、召喚しても体力を消耗しない。この場に出したいという明確な意思さえあればいつでもどこでも呼べる、そんなものを戦闘に出されて負けるだなんて、あまりにも理不尽だ。
このせいで縷籟人は、他国民に嫌われがちな傾向にある。ここ数百年大きな戦争は起こっておらず、今を生きる縷籟人には何の罪もないが、各国の教科書に載っている歴史において、縷籟はいつも悪者だ。
「ついたよ。一旦ミミズはしまって。」
「はい。ミミズ、隠れて。」
ミミズはみずなの言葉に、アセアセと羽をバタバタさせると、みずなの服をつつき出した。そのままジャケットに頭を突っ込む。
「服に隠れようとしてる?」
「……ミミズ、違う、僕の言い方が悪かった。一旦帰って。」
ミミズはジャケットから頭を出して、また羽をバタバタさせた。丸くて黒い目が、こちらに何かを訴えているように見える。
「帰りたくないの?それは無理だよミミズ、頼むから帰って。またすぐ呼ぶから。」
語気を強くしたみずなに怯えたのか、ミミズは、みずなの腕からささめに飛び移った。「うわっ」とささめが咄嗟に抱くと、ミミズは腕の中でふんぞり返る。
「……ごめんなさい、ササメ先輩。いつもは言うこと聞くんですけど……」
ささめは腕の中のミミズを10秒ほど見つめてから、そっと撫でると、そのまま建物にすーっと入っていった。
「そのまま入っちゃって大丈夫なんですか、先輩。」
「言っても帰らないなら仕方ない。重いからナナセさんが持って。」
「……わかりました。」
てっきりいつもの無愛想な顔で「ウエポンくらいしっかり躾けてくれない?」とでも言われるのかと身構えていたが、どうやら思ったよりも堅苦しい人ではないらしい。
「自分はマモのお偉いさんと顔見知りだから、多分許してくれる。」
そう言って、ささめは優しく、みずなの手元にミミズを返した。
今のところの彼は、優しくて融通がきいて、説明も丁寧なただの良い先輩だ。おかしいのはささめではなく、紺のほうなのではないか……そう思えてしまうくらいに。
2人きりのエレベーターの中で、みずなは、口を開いた。
「ササメ先輩は、コン先輩のことどう思ってますか?」
「ツチカゼさん?頭が良くて、思いやりがあって、頼れる人だと思ってるよ。スズムラ先輩が見ていたらの話に限るけど。」
当たり障りのない返事だが、嘘はついていない。心の底からの言葉だ、みずなにはそれがわかる。今のではっきりしただろう、ささめに、紺を恐がらそうという気は恐らく一切ない。
本当に、考えれば考えるほどわからなくなる。今自分が調べるべきは、もしかして、ささめではなく紺なのではないか。
紺は不思議な人だ。ポーカーフェイスに見えて意外と分かりやすく怒るし、賢いはずなのにどこか抜けているし、ご飯を美味しそうに食べるし……。ササメには逆らうな、って、言葉足らずにもほどがある。
(あの人、得意じゃないんだよな。……ていうか、僕、なんでこんなにこだわってるんだろう。くだらない、どうでもいい、他人の人間関係に。)
幼少期、みずなは人と関わっていなかった。母親から逃げてきた今でも、人と関わるのは好きじゃないし、下手くそなのも自覚している。
(でも、先輩に、「ササメには逆らっちゃいけない」と耳打ちされて……気にしない方が無茶だろ、ルームメイトなんだから。)
しばらく考え込んでいると、エレベーターが止まった。どうやら到着したようだ。腕の中のミミズが、かなり重い……うんざりしながら、みずなは、先に出たささめの後を追ってエレベーターを出た。
「……っあ、くしゅん……。」
「大丈夫?寒い?」
「違う。誰かが俺の噂でもしてるのかも。」
縷籟警軍学校、食堂。海斗と紺が、珍しく、共に食事をしていた。
「……3年寮、取り残された組だね。」
「ミズナの無事を祈るばかりだよ。」
「ササメくんが上手くやってくれるさ。久しぶりにコンくんと話せて、嬉しいな。」
「友好の証に、これ、あげるよ。」
紺は自分の皿に乗ったキノコを、海斗の皿に移した。
「コンくん、キノコ嫌いなんだ。」
「うん。美味しく食べてくれる人に渡ったほうが、キノコも喜ぶ。」
「有難くいただくよ。」
キノコを上品に口に運ぶ海斗の顔を、紺はまじまじと見つめた。食事の時は帽子を外すようで、いつもよりも不気味さは減っているものの、相変わらず、どこか人外感の漂う雰囲気だ。
「……妖怪。妖怪、キノコ食い。」
「食べれるだけで妖怪呼ばわりされるなんて、コンくんはキノコに親でも殺されたのかな。」
「声に出てた?ごめん、悪気はない。」
「面白い人だね、コンくん。」
海斗は手をパンパン、と2回叩いた。すると彼の肩に、いつの間にか茶色い哺乳類が乗っかっている。先程のキノコの余りをそいつにやってから、海斗がまた手を2回叩くと、その哺乳類はどこかへ消えた。
「……タヌキって、キノコ食えたのか。」
「この子、妖怪だから。」
そう言ってから海斗は、紺が言う「妖怪はキノコを食べれる」論に新たな実例を加えてしまったことに気が付き、咄嗟に訂正する。
「妖怪だけど、この子はキノコが好きな妖怪だから。妖怪だからキノコ食べれるとか、そういうのじゃないから。」
「ウエポンに食べさせる手があったか。カイトは賢い。」
「動物を喚べる人だけの特権だよね。コンくんも動物だっけ?」
「うん。あいつに俺の飯はあげないけど。」
「可哀想。」
2年間以上共に特待生をやってきて、来年には縷籟警軍の顔である4年特待生になると言うのに、この人との会話が意外と悪いものではないと、紺は初めて知った。
みずなが来るまで、3年寮はこの3人だったが、同じ部屋で和気藹々と暮らす海斗とささめの2人に、殆どの時間4年寮にいる紺が交わることは無かった。それでも、共に仕事をしたいとは思わないが……。紺はいつも、灯向がいるところでしかやる気を出さない。
「……あ。」
食事をしていた海斗が、急に箸を止めた。紺の後ろの空間を見つめて、何やら少しだけ考えてから、いつものように帽子を深くかぶる。
「コンくん、じゃあね。急で申し訳ないけど、ぼくは戻るよ。」
「うん。また。」
なんだ急に、そんなに急いで……疑問に思う間もなく、隣の席が引かれた。
「コン、やっほー。」
「ヒナタ。」
灯向の声に、振り向いた紺の顔が曇る。
「………」
「……そんな残念そうな顔してんじゃねえよ、コン。悪かったな、オレたちも一緒で。」
そこには灯向だけでなく、徇に蓮人もいた。蓮人が紺の隣の椅子に腰を下ろすと、その向かいに灯向と徇が座る。
「勢揃いじゃないですか。ユウ先輩は?」
「保健室でぼっち飯。」
「3人で食べる予定だったんだけど、オタクの後ろ姿見たら、ボスがオタクと食べるって聞かなくてさ。」
「ちょ、言わないでよトト。」
少し照れて紺を見る灯向に、紺は目を輝かせた。
「灯向の顔は、この世にある何よりも、白米に合う。」
「オタクくんヤバ。」
「どうとでも言ってくださいよ。」
隣の徇と楽しそうに話す灯向を、紺は、食べ終わったあともずっと見つめていた。そんな紺に、蓮人が小声で話しかける。
「ねぇ、オタク。」
「今忙しいんですけど。」
「ぶっちゃけ。オタクさ、タヌキとキツネのこと、嫌いでしょ。」
紺は驚いたように、目を見開いた。蓮人は人の名前を覚えない、タヌキとキツネというのは、海斗とささめの事だ。
「……どうしてですか?」
「そんなの、オタクしか知らないでしょ。さっき楽しそうに話してるの見てたけど、オタク、目が死んでたよ。」
「別に、嫌いじゃないです。」
「マジで?ふーん、ならいいや。」
つまんね。蓮人はそう言い捨てて、前を向いた。
嫌いな訳では無い。彼は穏やかで優しい人だ、少なくとも見かけは。
それでも彼に対して、そして彼の友人に対して。恐怖心が抜けないのは、あの出来事のせいだ、紺はまだあの光景を信じていない。あれは夢だった、そう思い込むようにしているが、そう思うほど余計に、あの光景がやけにくっきりと、脳内にフラッシュバックしてくる。
あの日、紺は、見てはいけないものを見てしまった。
紺に近づいてくる4年生を見て退散した海斗は、廊下を歩きながら窓の外を見つめていた。
いつもはささめと一緒にいるが、今日は任務でいない。彼がいないと、時間が経つのがやけに遅く感じる。ささめ以外に友達などいない。一般生徒に、海斗に話しかけることができるような、肝の据わった人間はいないからだ。
(マモは……あっちかな。)
マモでテキパキと仕事をこなすささめを想像して、海斗は相変わらずの笑顔を崩すことはなく、ただ少しだけ頬を赤らめた。
(今日の夜ご飯は、何にしよう。ささめくんが好きな物……)
任務終わりに電話で訊くつもりだが、おおよその見当はつく。学校の食堂から食材を貰っておかなくては。
ささめがいない学校に、これ以上留まる意味もない。午前の授業は受けたし、今日は帰って、ささめを迎える準備をしよう、洗濯と掃除も残っている。海斗は足早に、自分の教室へ荷物を取りに戻った。
「コンチャー。ウチはリウベル、ヨロシクね。」
「妹のメーテルです。ハジメまして。」
あからさまに顔を顰めたみずなの頭を、ささめが弱くこつん、と叩いた。そのまま、目の前に立つ2人の少女に向かって頭を下げる。
「帝王の仰せの下に。本日はマモ警察、並びに縷籟警軍の捜査にご協力いただき、ありがとうございます。自分は縷籟警軍学校特待3年生、柊 ささめと申します。また、同じく1年生、七瀬 みずなもご同行させてください。」
咄嗟に、みずなも頭を下げた。少女相手とは言え、しっかりと礼儀に気を遣えるのは、ささめの真面目さ故だろう。
目の前に立つ金髪の少女はリウベル・ブラウン、その隣の茶髪の少女はメーテル・ブラウンと言った。2人は今回捜索している窃盗犯の被害者であり、ささめとみずなを案内するために呼ばれた一般市民である。
「ヨロシク、ササメにミズナ。2人ともカワイイ名前ね。ササメは背の高さテキにオトコノコだろうけど、ミズナはオンナノコ?」
その質問に、みずなは急にびくっと震えた。
「……あ、男、です。」
先程までどうともなかったのに、今は少し顔色が赤く、何やら体調が悪そうに見える。そんなみずなの様子にリウベルも気が付いたのか、申し訳なさそうに謝った。
「ゴメン、気に障るコト言っちゃったかもシレナイわね。」
「ナナセさん、平気?暖かい中、ずっと制服を着て歩いていたから、日射病かも。水は持ってる?」
ささめは施設内の職員に声をかけて、すぐみずなを休ませてくれた。休んでる間、みずなはずっと、どこか思い詰めたような顔をして下を向いている。
その間、ささめは2人の少女と会話をしていた。
「ササメ、目の色がキレイね。」
「祖母が異国人なんです。」
「へぇ。どこの人?マモ?」
「アスモ大公国出身です。」
あぁ、アスモか……マモ人を期待したのか、リウベルは残念そうに肩を落とす。
「おバアサマがアスモ人ってコトは……“使える”んですか?そのバアイ、ルフエ人のウエポンは、ドウナルんですか?フタツの能力が使えるのか、はたまたウエポンは発現シナイのか……」
どこか興味深そうに、メーテルがささめを見つめる。ささめは黙って、少しだけみずなの様子を伺ってから、小さな声で呟いた。
「使えません。そもそも伝説にすぎませんから。血が純粋でも、殆どのアスモ人は使えません、クウォーターの自分に使える訳がありませんよ。自分が使える力はウエポンだけです。」
そう答えたささめを、みずなは顔を上げて見つめた。そのままゆっくりと立ち上がる。
「ご迷惑おかけしました。もう平気です。」
ささめはみずなの顔色を見て、一応体温を計らせてから、うん、と頷いた。
「大丈夫そう。それじゃあ行こう、まずはマモの警察に話を聞きに行く。」
リウベルとメーテルに連れられて、2人は役所を後にした。
続く