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深夜のナオコ、急に壊れる
寝る準備を全部終えた、何でもない夜だった。照明を少し落とした寝室には、エアコンの静かな音と、ベッド脇で充電中のスマホの小さな光だけが残っている。
ナオコとコハルは布団へ入りながらもまだ眠る気にはならず、横並びで枕に身体を預け、今日あったことをぽつぽつ話していた。
コハルは仰向け。ナオコは横向きになり、片肘を枕へ沈めながらコハルを眺めている。いつも通りなら、このまま明日の予定を確認して、少しくだらない話をして終わるはずだった。
本当に。
いつも通りなら。
コハル
「明日さ、家出るの何時だっけ?」
ナオコ
「十一時くらいでええんちゃう?」
ナオコは一度、普通に答えた。
そこで終わるはずだった。
しかし、次の瞬間には、何かを思いついた人間の顔ではなく、長年の疑問をようやく口にする人間の真顔になっていた。
ナオコ
「……それより今ふと思ったんやけど、冷蔵庫って夜中に一人で頑張りすぎやと思わへん?」
コハル
「……何?」
始まった。
しかも。
本人だけが。
始まったことに気づいていない。
ナオコ
「だって私ら寝てる間もずっと冷やしてくれてるやん。
誰にも褒められへんのに、冷蔵庫だけ二十四時間ずっと『私が止まったら全部終わる』みたいな責任感で立ってるねん。
しかも開けられるたびに中身見られるやろ?
プライバシーないで。
私が冷蔵庫やったら三日目くらいで『今日はもう常温でいかせてもらいます』って労働組合つくる」
コハル
「待って。
冷蔵庫の労働組合って何?笑」
ナオコは、コハルが笑い始めた理由を理解していない顔で、淡々と続けた。
ナオコ
「製氷機が副委員長。
理由は一番ブラックやから。
水入れられて、凍らせて、落とされて、また作って。
ずっと氷。
キャリアアップがない」
コハル
「キャリアアップww」
ナオコの表情は。
真顔。
完全に。
真顔。
まるで今、家電業界の労働環境について、専門家として意見を求められているかのようだった。
ナオコ
「で、たぶん野菜室が経理。
静かやから。
冷凍庫は営業。
圧が強い。
ドアポケットは新人。
すぐ何か倒れる」
コハル
「何その会社!!笑」
ナオコ
「社長は冷蔵庫本体やと思うやん?」
コハル
「違うの?」
ナオコ
「コンセント」
コハル
「っ……!」
ナオコ
「抜かれた瞬間、全員失職」
コハル
「やめてwwww」
コハルが布団へ顔を埋める。
肩が。
もう。
震えている。
しかし、ナオコはそれを「話が伝わった」と判断したのか、さらに落ち着いた口調で話を進めた。
ナオコ
「あとさ。
炊飯器も結構かわいそうやで。
毎回『炊飯』押された瞬間、何も聞かずに働くやん。
たまには炊飯器側から『今日は麺にせえへん?』って提案あってもいいと思う」
コハル
「家電に意思持たせないで!笑」
ナオコ
「朝六時に予約されて、夜中ずっと『六時か……六時やな……あと四時間……』って時計見てんねんで」
コハル
「炊飯器、寝て!!」
ナオコ
「寝たら米炊けへんやん」
コハル
「知らないよ!!笑」
ナオコはそこで少し考え込むように天井を見た。
その顔があまりにも真剣だったため、コハルは一瞬、本当に炊飯器の睡眠問題について議論が続くのかと思った。
そして。
続いた。
ナオコ
「電子レンジはもっと怖い」
コハル
「まだあるの!?笑」
ナオコ
「だって急に数字だけ言われるねんで。
『500』。
何が?
『2分30秒』。
何を?
説明なしで仕事始まんねん。
しかも途中で開けられたら、電子レンジ側からしたら『え?まだ二十七秒残ってますけど!?』やで」
コハル
「ひっ……ww」
ナオコ
「で、私ら平気な顔で皿触って『熱っ!!』って言うやろ。
電子レンジからしたら、知らんがなやで。
二分三十秒ちゃんと温めた結果や。
むしろ成果出して怒られてる」
コハル
「待ってwwww」
もう。
コハルの目尻には。
涙。
ナオコはその涙を見ても、感動しているとは思わなかった。
ナオコ
「熱いのが嫌やったら、最初から一分にしとけばええねん」
コハル
「正論で追い打ちしないでwwww!」
コハル
「なんで今日そんな家電の気持ち分かるの!?笑」
ナオコ
「分からへん。今初めて考えた」
コハル
「全部今!?」
ナオコ
「うん」
コハル
「怖い怖い怖い!笑」
ナオコ
「洗濯機もな――」
コハル
「まだ家電あるの!?」
ナオコ
「洗濯機って、洗ってる途中ずっと窓から見られる可能性あるやん。
人間でいうたら仕事中ずっと上司がガラス越しに『回ってる回ってる』って見てくる状態やで」
コハル
「誰が洗濯機ずっと見るのよ!」
ナオコ
「マヒは見ると思う」
コハル
「……見るかもwwww」
ナオコ
「『すごーい!靴下回ってるー!』って十五分くらい見てそう」
コハル
「言いそう!!」
ナオコ
「で、ユリに『暇なの?』って言われる」
コハル
「いる!!その光景いる!!笑」
完全にツボへ入った。
コハルは布団を握り締め、身体を丸めて笑っている。それを横で見ながら、ナオコ自身はなぜかほとんど笑わない。
むしろ、コハルが笑うたびに、ナオコは「この考察は続けていい」と判断しているようだった。
本人の中では、どうやら至極真面目な考察らしい。
関西弁で淡々と語られる、家電たちの不遇な労働環境。
そのギャップが。
余計に。
面白い。
ナオコ
「でも一番怖いん、掃除機やと思う」
コハル
「もう嫌な予感するww」
ナオコ
「一生ゴミだけ食べさせられる」
コハル
「…………っ」
ナオコ
「お腹空いたとも言うてへんのに、髪の毛、埃、お菓子のカス。
たまに輪ゴム。
最悪、小さい靴下」
コハル
「小さい靴下吸わせないで!!笑」
ナオコ
「しかも吸い込んだ瞬間、人間が『あっ!!』って追いかけてくる」
コハル
「ひゃははははは!!」
ナオコ
「掃除機も『何!?食べたらあかんかった!?今吐く!?どうする!?』ってパニックや」
コハル
「待って……。
ほんと待って……。
ひゃーひゃっひゃっひゃっwwww!!」
とうとう。
涙。
コハルは笑いすぎて目元を押さえ、そのまま枕へ顔を伏せた。息を吸おうとしても途中でまた思い出してしまい、肩が大きく揺れる。
ナオコは横からその様子を眺めて、少し考えた。
コハルがここまで笑っている。
ならば。
まだいける。
そう判断した顔だった。
ナオコ
「ルンバは?」
コハル
「やめて!!」
ナオコ
「あれ家電界の野良猫みたいなもんやろ」
コハル
「何で!?」
ナオコ
「勝手に歩き回って、壁ぶつかって、たまに迷子になって、充電減ったら自分で家帰る」
コハル
「っはははははは!!」
ナオコ
「しかも椅子の脚に挟まったら『助けて』みたいな音出す」
コハル
「野良猫じゃないwwww!」
ナオコ
「いや、飼い猫か。
家帰るもんな」
コハル
「訂正そこじゃない!!」
ナオコ
「名前つける?」
コハル
「何に!?」
ナオコ
「ルンバ」
コハル
「うちにないじゃん!!」
ナオコ
「買ってから決めると遅いやろ」
コハル
「何が遅いの!?」
ナオコ
「本人来てから『ちょっと名前考えるわ』って待たせるん可哀想やん」
コハル
「本人って言うな!!笑」
ナオコ
「候補は、田中」
コハル
「急に人間!!」
ナオコ
「田中、今日リビングお願い」
コハル
「家政婦みたいになるじゃん!!」
ナオコ
「田中、ソファの下まだやで」
コハル
「圧かけないで!!」
ナオコ
「田中、充電してき」
コハル
「優しくなったwwww」
ナオコ
「田中、そこ段差あるで」
コハル
「保護者になってる!!」
ナオコ
「田中ーーーー!!」
コハル
「何があったの!?」
ナオコ
「玄関から落ちた」
コハル
「最悪wwwwww」
コハルはもう仰向けで笑えなくなり、身体を横へ向けて丸くなっている。目尻から出た涙を袖で拭いながら、何度も「もう無理」と繰り返しているのに、ナオコは止まる気配がない。
むしろ。
今。
乗ってきた。
ただし、ナオコの顔は相変わらず真剣だった。
田中という架空のルンバの安否を、本気で心配している。
ナオコ
「でもな、田中ってたぶん、充電のタイミングだけは自分で分かるねん」
コハル
「もう田中の話やめてwwww」
ナオコ
「人間が『まだいけるやろ』って思ってても、田中は分かってる。
『いや、もう無理です』って」
コハル
「田中、頑張って!!笑」
ナオコ
「で、帰ろうとするんやけど、途中で力尽きて止まる」
コハル
「悲しい話にしないで!!」
ナオコ
「だから見つけたら言うねん。
『田中、充電してき』って」
コハル
「また言ったwwww!」
ナオコ
「優しさやで」
コハル
「言い方が雑なのよ!!」
ナオコ
「でも田中からしたら、たぶん一番嬉しい言葉やと思う」
コハル
「何で分かるの!?」
ナオコ
「充電したいから」
コハル
「目的そのまま!!」
ナオコ
「田中、充電してき。
田中、充電してき。
田中、充電してき」
コハル
「繰り返さないでwwww!」
ナオコ
「大事なことやから三回言うねん」
コハル
「寝る前に聞く言葉じゃない!!」
ナオコ
「明日の朝も言う?」
コハル
「田中いないでしょ!!」
ナオコ
「心の田中に」
コハル
「心の田中って何wwww!!」
コハルはもう仰向けで笑えなくなり、身体を横へ向けて丸くなっている。目尻から出た涙を袖で拭いながら、何度も「もう無理」と繰り返している。
それでも、ナオコが少しでも口を閉じると、コハルは笑いながらも不安そうに顔を上げた。
コハル
「……もう終わり?」
ナオコ
「まだあるけど」
コハル
「あるの!?」
ナオコ
「田中の帰宅後の話」
コハル
「聞きたくないのに聞きたいwwww!」
ナオコ
「充電器の前まで戻ってきた田中がな、まず一回止まるねん」
コハル
「何で!?」
ナオコ
「達成感」
コハル
「ルンバに達成感を持たせないで!!」
ナオコ
「で、ちょっとだけ向き変えて、端子に当たらへん」
コハル
「下手なの!?笑」
ナオコ
「三回くらい失敗して、最後に『もうええわ』って横向きで寝る」
コハル
「田中ーーー!!」
ナオコ
「だから言うねん。
『田中、充電してき』って」
コハル
「また!!」
ナオコ
「『田中、そこちゃう。充電してき』」
コハル
「指示が細かいwwww!」
ナオコ
「『田中、壁に謝らんでええから、充電してき』」
コハル
「壁に謝ってたの!?」
ナオコ
「ぶつかったから」
コハル
「律儀すぎる!!」
ナオコ
「『田中、今日はもうええ。充電してき』」
コハル
「急に優しい!!」
ナオコ
「『田中、明日も働くから、充電してき』」
コハル
「上司と保護者が混ざってる!!」
ナオコ
「『田中、充電してき』」
コハル
「もうそれだけで笑えるようになってるのやめてwwww!」
ナオコ
「便利な言葉やろ」
コハル
「便利じゃない!!」
ナオコ
「冷蔵庫にも言えるで。
冷蔵庫、充電してき」
コハル
「冷蔵庫はコンセント!!」
ナオコ
「炊飯器にも」
コハル
「炊飯器も!!」
ナオコ
「電子レンジにも」
コハル
「家電全部に言うな!!」
ナオコ
「コハルにも」
コハル
「……え?」
一瞬だけ。
ナオコの声が。
普通に戻った。
ナオコ
「コハル、今日はもう寝よ。
明日早いから、充電してき」
コハル
「…………」
ナオコ
「何?」
コハル
「最後だけちょっと優しくするのずるいwwww!」
ナオコ
「コハルも充電いるやろ」
コハル
「いるけど!!」
ナオコ
「私もいる」
コハル
「ナオコはもう十分しゃべってる!!」
ナオコ
「しゃべった分、減ったかもしれへん」
コハル
「何の残量!?」
ナオコ
「口の電池」
コハル
「そんなのない!!」
再び。
爆発。
笑い声が寝室いっぱいに広がる。
ナオコはそこでようやく自分も小さく笑った。けれど、最後まで「そんなに面白いことを言ったつもりはない」という顔をしている。
何がそんなに面白いのか本人には半分くらい分かっていないらしい。
ただ、コハルがここまで笑っていることは嬉しい。
だから。
止まらなかった。
やがて。
さすがに話題が尽きたのか。
ナオコが枕へ頭を落とす。
ナオコ
「そろそろ寝よか。」
コハル
「…むりwww
ナオコのせいで笑い死ぬwww」
ナオコ
「生きて。」
コハル
「その言い方やめてwwww!」
ナオコ
「田中も生きて」
コハル
「ルンバに生死を持ち込まないでwwww!」
ナオコ
「田中、充電してき」
コハル
「最後にそれ言うのやめて!!」
ナオコ
「大事なことやから」
コハル
「もう無理wwww!」
最後の一撃まで。
ナオコ本人は。
完全に。
無自覚。
関西弁で、真顔で、家電と架空の田中の人生について語り続けた結果。
その夜。
コハルがようやく笑いを止めて眠れたのは。
「田中、充電してき」
を思い出さなくなってからだった。
ただし。
翌朝。
ナオコが寝ぼけたまま、枕元のスマホへ手を伸ばして言った。
ナオコ
「……田中、充電してき……」
コハル
「まだ言うの!?」
ナオコ
「……寝言やで」
コハル
「寝言で田中を働かせないでwwww!」
ナオコ
「田中、充電……」
コハル
「もう寝て!!」
ナオコ
「……はい」
コハル
「返事はするんだ……」
そして。
ナオコは本当に眠った。
コハルは布団の中で、声を殺して震えた。
結局その日一日。
コハルの頭から。
田中が消えることはなかった。
冷蔵庫を開けても。
炊飯器を見ても。
スマホを充電器へ差しても。
ふとした瞬間に。
あの真顔が浮かぶ。
ナオコ
「田中、充電してき」
コハル
「……っ、ふふ……」
そのたびに。
コハルは一人で笑い出し。
ナオコは何も知らずに振り返る。
ナオコ
「何?」
コハル
「……何でもないww」
ナオコ
「田中?」
コハル
「もう田中から離れて!!」
ナオコ
「でも充電は大事やで」
コハル
「それはそうだけど!!」
こうして。
何でもない夜に始まったナオコの家電考察は。
翌朝まで。
そして。
その後しばらく。
コハルの中で。
勝手に充電され続けた。
田中という、存在しないルンバの記憶だけが。
コメント
1件
**みぅ🤍🥀:** うわあ第4話、爆笑しながら読み終わったよwww ナオコの真顔で真剣な家電考察が面白すぎてコハルと同じで涙出た(笑)特に「田中、充電してき」がずるすぎる。日常のほのぼのした空気の中に、めっちゃクセになるギャグが散りばめられてて、読んでてすごくあったかい気持ちになった。連載中だけど、このテンポ大好きです!
クロ
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